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感謝してもしたりない



誕生日の旦那様の帰宅を出迎えた奥様が玄関で見たのは、大きなバラの花束。

「アンジェリーク、受け取れ。」
「えっ・・・あの、レヴィアス?」
『おかえりなさい』すら言うのを忘れ、それを持つ人と見比べていると、彼は楽しそうに二色の瞳を細め手渡してくる。
「どうしたの、これ?会社で貰ったの?」
両手抱えても気を付けていないと落としてしまいそうになるぐらいの量のバラに改めて驚きながら、アンジェリークは戸惑いの表情で違うと思いつつも訊ねる。


今朝出掛ける時は、彼はかなり不機嫌で。
毎年誕生日に取れていた休みが今年は取れなくて。
今年は二人で一緒に過ごせなくて。
旦那様みたいに攻撃的な感情は覚えなかったけれど、自分も少し淋しく思ってしまった。

だからそれを振り払うように、そして機嫌が悪いまま帰ってくるかもしれない旦那様に喜んでもらえるよう、一日かけて精一杯のご馳走を作っていたのだけれど。

けれど帰ってきた大切な人は、どこか機嫌がいい。


「どこぞの誰かから貰ったものなど、俺がお前に贈るはずがないだろう。」
しかし少女が頂き物かと訊ねれば、予想通り少し機嫌を損ねて否定される。
「俺からのささやかな感謝の気持ちだ。」
「感謝?」
「ああ、毎年俺などの誕生日を祝ってくれるお前への、な。」
困惑した表情でまっすぐに見上げてくる少女に気を取り直した青年は、自分からのプレゼントだと口の端を上げる。
だがその贈り物の理由に少女がますます小首を傾げるのを見て言葉が足りなかったことに気づき、レヴィアスは今日という日のために一生懸命祝いを用意をしてくれることへの礼だと笑って補足する。
「帰りに車が花屋の前を通りかかって、思いついた。・・・本当ならば、店の花をすべて買い占めたかったが、カインに止められてしまったのでな。これだけですまない。」
「う、ううん、これでも驚いたから・・・気にしないで。」
そしてさもいいことを思いついたといわんばかりに、彼は自慢げに思い至った時のことを語る。
しかしその計画の変更を余儀なくされたことまでを思い出し、ほんの少し眉間に皺を寄せる。
そんな昔ほどではないが、相変わらず突然の思いつきで一般人とは違う感覚で行動を起こす旦那様を止めてくれた彼の秘書に心の中で謝罪しながら、ようやく機嫌が良い理由を知った少女は首を横に振って見せる。

「・・・受け取ってくれるか?」
「うん・・・ありがとう、レヴィアス。嬉しい。」
すると彼は長身の上駆を屈め顔を覗き込むようにして改めて訊ねてきて、アンジェリークはふわりと笑って頷いて礼を言う。
「でも感謝なんて・・・わたしはレヴィアスが生まれてきたのが嬉しいから、お祝いしてるのよ?それにレヴィアスだって、わたしの誕生日お祝いしてくれるし・・・」
「お前が喜ぶ姿が、俺の幸せだからな。お前に喜ぶならば、お前の誕生日であろうが、自分の誕生日であろうが、いくらでも口実を作るぞ?」
「レ、レヴィアス・・・」
近づいた顔に心持ち頬を赤らめながら、少女は自分が今日を祝うのは自己満足だと口にしお互い様だと伝える。
けれど『感謝』というのは言い訳だと根本から言ってることを覆された上になんだか嬉しくも恥ずかしいことを言われ、アンジェリークは俯いて匂い立つ花の香に顔を埋める。

「ああ、だが感謝してるのは本当だぞ?」
「え?」
「お前に祝われるからこそ、俺の誕生日は意味あるものになる。そのことにどれだけ多くの花を贈ろうとも、俺の感謝の気持ちに足ることはない。」
恥らう妻を金と碧の瞳で優しく見つめ、レヴィアスは少女の柔らかな茶色の髪を大きな手で撫でる。
すると僅かに顔を上げた彼女の蒼い瞳で見つめ返され、更に愛おしげに彼は表情を緩める。
「お前に出会うまで、単なる一年の内の一日だったからな。」
「レヴィアス・・・・」
「ありがとう、アンジェリーク。」
改めて青年は少女の気持ちに感謝し、髪を撫でていた手を熱くなった頬に滑らす。
そして彼女の顔を真っ直ぐに自分に向かせて、嘘偽りない気持ちを返す。
「あ・・・ちょっ、ちょっと待って。」
そのまま彼は薄く開いた桜色の唇にくちづけようとする。
しかし寸でのところで彼女の声が上がり、それを止められてしまう。

「なんだ?」
「バラ、つぶれちゃうから・・・」
制止されて怪訝そうに見てくる青年のいつもより少し低くなった声に少し身を竦めながら、アンジェリークは申し訳なさそうにその理由を告げる。
「あっ・・・!んぅ・・・」
すると彼は彼女の両手から自分が贈ったものを片手で取り上げ、パサリと音を立てて肩に乗せる。
そしてもう一方の手で彼女の細い頤を持ち上げ、今度こそくちづけてくる。
「感謝の品を痛めてしまっては、贈った意味がないからな。だがそれ以上にお前に触れられないのは、本末転倒だ。」
低く喉を鳴らしながら笑う人を、奥様は熱くなった吐息を吐きながら困ったように見つめる。
けれど同じ気持ちであることを否めない彼女は自分からも一瞬触れるだけのキスをして、黒髪の旦那様をはにかみながら見上げる。
「・・・出来たら、来年のレヴィアスの誕生日は一緒にいたいな。」
「クッ・・・ああ、努力しよう。」
控えめながらも我が侭を言ったにも拘らず、青年は快く頷きもう一度くちづけてくる。
それを嬉しそうに微笑んで受け入れながら、アンジェリークは忘れていたことと祝福を口にする。


「おかえりなさい。そしてお誕生日おめでとう、レヴィアス。」