戻る
愛の灯
のんびりとした時が流れる理想郷。
しかしその中心にある館の一室には、気だるげな空気が流れていた。
「レヴィアスッ!」
だが執務机に座りつまらなそうな表情で書類に目を通す主人に部下が小さく溜め息を吐いた時、いきなり扉が騒々しく開き少女が姿を現す。
「・・・アンジェリーク?」
いきなり現れた想い人の姿に、名を呼ばれた青年は珍しく一瞬虚を突かれたような表情を浮かべ、しかしすぐに先程までの仏頂面が嘘のように満面の笑みを浮かべる。
そして部屋の中に目的の人物以外の人がいたことに気付き、我に返って自分の無作法さを恥じているらしい少女に近寄り、レヴィアスは細い体をふわりと抱き寄せる。
「どうした、アンジェリーク?」
「え?あ、あの・・・」
そんな尻尾があったら振りまくってるだろう人の人目を気にしない抱擁に別の意味で恥ずかしくなり、アンジェリークは思わず見物人に蒼い瞳を向ける。
すると銀髪の彼はまた一つ溜め息を吐き、少し少女に同情するかのように苦笑して一礼して部屋を出て行く。
「どうした?」
自分が彼の仕事を邪魔した上に追い出してしまった格好になり、少女が心の中でごめんなさいと謝っていると、自分を抱く人は顔を覗き込んできてもう一度訊ねてくる。
近づいた金と碧の瞳に赤くなりつつもその言葉にここに来た理由を思い出し、彼女は恋人を真っ直ぐに見上げる。
「えっと・・・レヴィアス、今日お誕生日なの?」
「・・・どうして、それを?」
「さっき宮殿でルノー君たちに会って、聞いたの。」
そして少女にとって大切なことを訊ねると、微笑ましげに細められていた青年の瞳に一瞬剣呑な表情が浮かぶ。
すぐにそれは隠されるかのように消えるが、アンジェリークが少し拗ねた様な口調で情報源を告白すると今度は不機嫌そうな表情になる。
「どうして教えてくれなかったの?わたし、何もあなたにお祝い用意できなかったじゃない。」
「くだらぬ。」
自分の自己満足なことを押し付けてると気付きながらも恨み言を呟くと、彼は彼女を解放し心底つまらなそうに吐き出し、先程まで座っていた重厚な椅子に座りそっぽを向いてしまう。
「くだらぬって・・・何で?」
少女の前では感情の起伏が激しい青年にしても珍しいその振り幅ぶりに、少女は困ったように首を傾げ機嫌を悪くした人の顔を覗く。
「くだらぬから、くだらぬと言っている。」
「だから、どうして?」
苛ついたように理由になってない理由を繰り返した彼に、アンジェリークは眉を寄せたまま溜め息をつく。
けれど多分こういう癇癪を起こした時はうまく説明の言葉が浮かばないのだと、最近ようやく気付いた彼女は根気よく繰り返し同じ問い掛けをする。
「・・・お前に出会うまでつまらぬ日々だったが、今日という日付は一年中で一番つまらぬ日だったな。」
大切な事柄に対して程言葉が多くない彼はしばらく押し黙るが、けれどわざわざ自分のために来てくれた愛しい少女を困惑させることはもちろん本位ではなく、考えながら口を開く。
「お誕生日なのに?」
「誕生日だからだ。」
おそらくは彼女にとっては純粋にめでたい日なのだろう、生誕の日に対する想いの相違にレヴィアスは僅かに苦笑しつつ、細い体を自分の膝に座らせる。
「一年中で、一番機嫌取りが多い日だからな。逆効果だとも知らずにな。」
「・・・お誕生日パーティがつまらない?」
「あぁ。」
そしてじっと自分を見上げてくる蒼い瞳を見返しながら、彼はくだらない理由の一つを彼女に告げる。
すると自分の過去の生業を知る少女は、己のそれとは規模が違いすぎるだろうものを想像したのか、戸惑ったような表情を浮かべて機嫌取りが来る原因を確認する。
その顔に二人がどれだけ違う世界を生きてきたのかを改めて悟り、レヴィアスは見上げてくる白く柔らかな頬を指先で触れながら薄く笑って頷く。
本当はもう一つ、理由がある。
皇帝、もしくは皇太子の生誕祭ともなれば、城に出入りする人間が多い。
それ故に帝位などと言う取るに足らない理由で、自分を謀殺しようとする輩も多かった。
玉座に執着し縋り付くほど愚かではなかったつもりだが、みすみす殺されてやるつもりも当然なかった自分には、ただただくだらない事が起こるだけの日だった。
生誕祭といえども、真に祝福しようとする者など、ほとんどいなかっただろう。
しかしそのような血生臭い話で彼女の耳を穢すのは、それこそ本位ではない。
過去のこととはいえ、自分に比べれば格段に無垢な少女はその心を痛めることだろう。
そのような今更でくだらないことで、彼女を苦しめることはない。
「でも・・・お誕生日おめでとう、レヴィアス。」
そんな『くだらないこと』も『つまらないこと』も『今更』な過去のことだと自分自身で思っていることに気付かない青年に、けれど少女は改めて微笑んで祝福を与える。
「レヴィアスの機嫌が悪いのは困っちゃうから、ご機嫌取りはしちゃうかもだけど・・・でもね、レヴィアスのお誕生日をお祝いしたい気持ちは本当よ?」
「アンジェリーク・・・」
「だってレヴィアスが何年か前の今日という日に生まれてきてくれなかったら、こうしてわたしの傍にいてくれなかったでしょう?」
嘘が吐けない少女は、自分も青年の厭う人種かもしれないと正直に話す。
しかし同時に自分にとってはくだらない日などではないと、心を込めて伝えようとする。
「レヴィアスがわたしの宇宙に現れたのは、ほんの気紛れが起こした偶然かもしれないけれど・・・その偶然もあなたが生まれてくれなかったら起きなかったもの。」
ね?と同意を求めるかのごとく小首を傾げて嬉しそうに自分を見上げてくる少女に、レヴィアスは自然と顔が緩む。
そして何か頑なに拘っていたことにようやく気付き、心が溶かされる思いがする。
「だったら、祝ってもらうか・・・」
見上げる顔にひとつくちづけを落とし、青年は少女に口の端を上げて見せその体を抱き寄せる。
「あ、でもわたし、何もプレゼント用意してこなかったから・・・出直してくるね。ごめんなさい。」
「クッ・・・ここに来て我の膝に素直に乗ったということは、今日一日ここにいてくれると言うことではないのか?」
「え?!」
されるがままに広い胸に頬を寄せた少女は頬を染めつつも、申し訳なさそうに最初に彼を責めた事柄を今度は謝罪する。
しかし年上の恋人はその詫びを笑って一蹴し、思惑ありげに目を細めとんでもないことを言い出す。
「で、でもわたし、レイチェルに黙って出てきちゃったし、執務だって・・・」
「ルノーたちは、お前の宮殿にいたのであろう?ならばお前が我のところにいるのは、あちらに筒抜けだ。」
「そ、そうかもしれないけど・・・」
慌てて何もかもほったらかしで来てしまったことを告げてみるが、逆にここに来た理由を推測できる者がいるなら大丈夫だと言われてしまう。
「お前がここにいることで何事か問題があるならば、あの補佐官のことだ、使いを寄越すであろう?ならば問題が起こるまで、我の腕の中にいろ。」
それでも躊躇いに彼女が眉を寄せると、彼は更に笑みを深め何も支障がないことを確認する形で断言する。
そして自分の望みを口にして、擦り寄るかのように少女の茶色の髪に顔を埋めてくる。
「でも・・・わたしがここに座っていたら、邪魔でしょ?あっちのソファーに・・・」
「我の腕の中にいろ。執務もせねばうるさい輩がいるので、片腕で申し訳ないがな。」
いつものことながら彼の我侭に対する反論を封じられてしまい、アンジェリークは溜め息を吐く。
そして譲歩案を出してみるが、それを遮るように繰り返し同じことを命じられてしまい、その上きちんとやるべきこともやると言われてしまう。
「我の機嫌を取ってくれるのではないのか、アンジェリーク?」
「うっ・・・」
更には先程自分が言った言葉を言質のように掲げられてしまい、少女はほんの少しだけ後悔しつつ眉根を下げながら楽しげな彼を見上げる。
「まぁ拒むならば実力行使で思考を奪ってでも、ここにいてもらうまでだが・・・我はそれでも構わぬぞ?」
すると大きな手で頬を撫でられ今度は耳元に唇を寄せられて、低い笑み交じりに艶めいた声で囁かれる。
そしてどうする?と間近で顔を覗かれ、言外に言われたことを理解してしまった少女は顔を真っ赤に染める。
一体、なんの実力なのか。
こういう時は余計なくらいに口が立つ青年に、未だ幼さを残した少女は困る。
そして口が立つだけならまだしも、やると言ったら本当にやるので、本当に困る。
・・・困るだけで、そういう彼がけして嫌なわけではない自分にもかなり問題はあるだろうが。
「判ったわ。でもレイチェルに連絡だけはさせて?」
「あぁ、それは構わぬ。お前が我の腕から逃れぬのならばな・・・」
惚れた弱みなのかなぁと彼だけではなく自分にも呆れつつ溜め息をついた少女は、自分はいる場所を親友にちゃんと知らせておきたいと告げる。
その了承と願いの言葉に自分の望みがようやく叶ったことを知った黒髪の青年は破顔し、細い体をまたそっと抱きしめる。
「・・・お誕生日おめでとう。」
贈り物は誰よりも愛しい恋人から再度の祝福の言葉と、そして柔らかな唇。
はにかみながらも真っ直ぐに見上げてくる彼女に笑みを深めた彼は、生まれて初めて心安らいだ生誕の日を過ごすのだった。