戻る
天使の休息
真っ青に晴れ渡った聖地の空。
その中空で直線を描き、帆船を象った宇宙船がゆっくりと飛んでいく。
「いってらっしゃい。・・・どうかエンジュの旅が、平穏なものでありますように。」
星の称号を与えられた少女の旅立ち。
それを宮殿のテラスで眩しそうに見上げ、この宇宙の女王は見送る。
そしてそっと瞳を伏せて手を組み、旅立つ者への出立の祝福と旅の平安を静かに祈る。
「そうやって、いつも見送ってるのか?」
「っ?!」
しかしその祈りの最中に不意に背後から声を掛けられ、アンジェリークは剥き出しの肩をビクッと揺らす。
けれどすぐにその声の持ち主に気付いて振り返り、相も変わらず突然現れ、テラスと執務室の境の扉で佇んでいる人に淡く微笑む。
「おかえりなさい、アリオス。」
「ああ。」
その心からの出迎えの言葉に青年は僅かに目を細めて手を上げ、先程まで少女が見ていた天空へ視線を移す。
もはや黒い影でしかない宇宙船は見ている間に小さくなり、聖地の障壁を越えたのか、ついには視界から消え去る。
「わたしには、これぐらいのことしか出来ないから。」
「アンジェ?」
胸元で聞こえた声にアリオスが目線を下ろすと、いつの間にか自分の元へ歩いてきていた女王がはかなげな表情で再び空を見上げていた。
「危険な目に遭わせるかも知れないのに、わたしには女王としてエトワールの旅を止められない。手伝いの手を無下に出来るほどまだ万全じゃないし、強くもないから。」
恋人の視線に気が付いたのか少女ははにかんだように笑い、自分を見下ろす青年を蒼い瞳に映す。
「だからね、せめて見送るの。無事でありますように、宇宙を見て回ってくれてありがとうって。」
「そうか・・・」
感謝の気持ちを口に出来る自分にはない素直さに苦笑しつつも、青年は少々羨望にも似た気持ちになる。
だが何故か同時に苛立ちが沸き、彼は己の感情の不可解さに一瞬眉を顰める。
「アリオス?・・・きゃっ!」
そのわずかな不機嫌を珍しく鋭く見取った少女は、薄桃色の長いベールを揺らして首を傾げる。
だがいきなり茶色の髪に載せられた冠を取られ、大きな手で頭を乱暴に撫で回されて身を竦める。
「上に立つ者として、自分の弱さが判ってりゃ上等だ。」
「え・・・?」
ティアラを乱れた髪の上に置かれ体を小さくしたまま見上げると、口許を歪める人に額を小突かれる。
「それに思い遣りのあるけなげなご主人様に頼りにされるなら、下僕も仕え甲斐があるってもんだ。」
「ア、アリオス・・・」
そして軽口を叩きながら近づいた端正な顔に赤くなりながらも、アンジェリークは彼の唇を甘受する。
「ちゃんと思い遣れてるかどうか判らないし、出来ていたとしてもきっと自己満足だし、まだまだ頼りない女王で申し訳ないけれど・・・」
そのくちづけに小さく溜め息を漏らし、少女は大きな背中に細い腕を回し広い胸に身を寄せる。
そしてもう一度まっすぐに青年を見上げ、花咲くような笑みで口を開く。
「ありがとう・・・」
「本当はね・・・少しだけエンジュが羨ましいの。」
来客をもてなすために自ら茶を入れていた女王は、ソファーで隣に座る人の前にカップを置き小さく呟いた。
「何が?」
「直接、この宇宙に住む人達や星々を見て回れて・・・そういう意味では、わたしは何も知らないから。」
少し寂しげな表情を見せる彼女に、アリオスは一瞬困惑し片眉を上げる。
しかしそれをきれいに隠し、琥珀色に波立つストレートティに口をつける。
「だがおまえのことだ、どうせ宇宙が発展しだす前は、自分であちこち見て回ってたんじゃねぇのか?」
「え?」
「一度決めたら周りが止めたって、聞きゃあしねぇからな、おまえは。」
喉をクッ鳴らしつつ首を竦めて隣の少女をからかいがちに見遣ると、何故かきょとんとしたような顔をしている。
「あ、そっか・・・アリオスと出会った頃はずっと旅をしてたものね・・・」
しかし不意に気がついたように口許に手をやり、小さく澄んだ声を上げる。
「わたし、この宇宙の星々は、主星以外そんなに行ったことないのよ。女王は基本的には、自分が作った障壁の外に出ないから・・・少なくとも生身では。」
「・・・女王ってのは、そこまで窮屈だったのか?」
彼の言いたいことに思い至り、アンジェリークはその思い違いを正す。
すると予想外の返答だったのか、忠実な彼女の影は憮然とした表情で不敬なことを低く呟く。
「窮屈だとは思わないけれど・・・あちらの宇宙の陛下も、女王になってからはそうだと思う。」
自分のことでもないのに少々不機嫌気味になる人に苦笑しながらも、少女はほんのりと嬉しくなる。
「わたしが行ったことある星って、あちらの宇宙から頂いた花の惑星に即位してすぐの頃に行ったのと、ジェムを埋めに行った銀水嶺の惑星と・・・あとは、温かな水の惑星ぐらいかな。」
けれど訪れたことのある星を指折り挙げてみると、今度は一転して彼はばつの悪そうな顔になる。
その原因に心当たりがありすぎるほどある少女はクスクスと笑い、しかしますます機嫌が悪くなりそうな雰囲気に緩んだ口許を引き締める。
「だからエンジュやアリオスが少しだけ羨ましい。」
「俺もかよ・・・コキ使われてるだけだぞ。」
「うん、アリオスも。」
再び羨みを口にした彼女は、今度はアリオスまでをもその数に含めにっこりと笑う。
「でも無事にこうして帰ってきてくれて、話を聞いてるだけでも楽しいし嬉しい。もちろん二人とも宇宙の為に旅に出てくれているんだって、判ってるんだけど。」
そして自らを封じた世界で祈り待ち侘びるだけの少女は、普通の人間からすればささやか過ぎる幸せを願う。
その欲のなさにもどかしさを感じながらも、青年はいつまでも自分の帰還を心待ちにしていてくれる想い人に愛しさが増し目を細める。
「だったら、ちゃんと労わってくれ。」
「え、アリオス?あ、あの・・・」
けれど素直じゃない彼はいきなり横になり、戸惑う彼女の膝に銀の髪を散らし午睡を決め込む。
「さっきも思ったんだがな・・・おまえ、俺の見送りはしてねぇだろ?」
「え?」
「見送らねぇのに外の話を聞かせろなんて、ちょっと勝手都合じゃねぇか?女王サマ?」
突然のその言いがかりに近いその言葉にアンジェリークは一瞬呆気に取られ、声にならない声に口をパクパクとさせる。
「だっ、だってアリオスはシャトルだし・・・宇宙港は聖地の外だから、ここからじゃ障壁で遮られて見えないし・・・時間の流れが違うから、いつ出発しているのかはっきりとわからないし、でも・・・・・・ごめんなさい。」
そして彼の責め句に対する返答を何とか探し、しどろもどろに惑いながら次第に小さくなる声で言い訳をする。
しかしすればするほど横柄なそれは至極当然なものに思えてきてしまい、少女は仰向けで見上げる顔に小さく謝罪する。
「・・・バ〜カ。だから代わりに少し膝を貸せって言ってるんだよ。」
その痛々しいくらいに真正直に自分の言葉を受け止めて落ち込む姿に、アリオスは少々苛め過ぎたかと心の内で舌打ちし焦る。
けれど素直にそれを詫びることのできない彼は、慰める代わりに華奢な肩から滑り落ちてきた茶色の髪に手を伸ばす。
そして長い指で滑らかで真っ直ぐなそれを弄び、意地悪く歪めた唇に流れるような動作で寄せる。
「う、うん・・・でも本当に少しだけよ?まだわたし、執務が残ってるから・・・」
その慣れたようになされた行動と言葉に頬が紅潮するのを感じながらも、彼女は申し訳なさげに釘を刺す。
「ああ、俺も小うるさい補佐官殿に報告に行かなきゃならねぇしな。ま、物足りなかったら、今夜にでもじっくりと労って貰うから気にするな。」
「っ・・・こ、今夜って、あの、どういう・・・」
その控えめな確認と注意に青年は軽く頷き、しかし制限を付けられたことに対して交換条件を突きつける。
すると何を思ったのか、うっすら頬を赤くしていただけの少女は膝の上で寝ている人を覗き込んでいた顔を一気に沸騰したように真っ赤にする。
「ホント面白いな、おまえは。」
「・・・またからかってる?」
楽しそうにクククと笑う恋人に自分が何を考えたのか気付き、恥じらいが増したアンジェリークは困ったように瞳を潤ませ訊ねる。
「さぁ?それはおまえ次第だと思うが?」
けれどそのことにさえ彼は楽しそうに笑い、更には意味ありげに口の端を上げて薄紅が塗られた唇に手を伸ばしてくる。
その手に促されるように皮肉げな笑みが浮かぶ彼に赤い顔を近づけ、彼女は釈然としないものを感じながらもおやすみをくちづける。
「お疲れ様、アリオス・・・・」
やがて規則正しい寝息を立て始めた青年を優しげに見つめ、少女は膝に心地よい重さを感じながら労いを口にする。
そして午後の柔らかな日差しの中、この宇宙の女王は銀の髪を撫でながらしばしまどろんだ時を過ごすのだった。