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忘れられない日



広大な広さをもつ宮殿の一角にある庭園。
色とりどりの花々が放つ咽返るような甘い匂いの中で、彼は自らの腕を枕に横になっていた。


「・・・ス。」

自分の名を呼ぶ誰かの声。
聞き覚えがあるそれに、彼は金と碧の瞳をうっすらと開く。

「・・・レヴィアス。」

逆光の中、見えたのは蒼い瞳。
次に茶色の艶やかな長い髪。
そして館のメイド達が身に着けている青いワンピース。

「エリ、ス・・・?」
「遅くなってごめんなさい。」
目覚め際のせいなのか、それとも花の匂いに中てられたせいなのか。
ぼんやりとする思考の中で覗きこむ少女の名を呟くと、彼女はにっこりと笑い隣に座る。
「いや・・・どうせ、俺はヒマだからな。お上品な奴等が眉を細めることをやらかすより、こうやって寝てる方がおまえも安心だろ?」
「レヴィアス・・・」
「クッ、そんな顔するな。」
長い前髪を掻き上げながら青年は起き上がり、恋人の謝罪の言葉に皮肉げに返す。
すると少女は笑みを浮かべていた顔を曇らせ、自分の視線よりも高くなった二色の瞳を見上げる。
その困ったような悲しんだような表情に自嘲気味に笑い、彼は彼女を引き寄せる。

「どうした?」
「え?」
「少し顔色が悪い。」
しかし近づいた少女の顔が僅かに青白いのに気が付き、少年はその笑みを消し眉を顰める。
「あの女にコキ使われているのか?」
「そんなことないわ。奥様は・・・よくしてくださるわ。わたしにはもったいないくらいに。」
それ以外に理由が思いつかず自分の母親のせいかと彼は訊ねるが、彼女は蒼い瞳を伏せゆっくりと首を振る。
そればかりかよい処遇だと、感謝にも聞こえる言葉を呟く。
だがその表情は微笑みながらもどこか曇りが見え、レヴィアスは更に母親への疑念が膨らむ。
「本当よ。だからレヴィアスもそんな顔をしないで。」
それが判ったのか、少女は顔に剣呑としたものを浮かべる恋人を宥めるように手を伸ばしてくる。
「・・・判った。」
そんな彼女の不安交じりの笑みに彼は心をズキンと痛め、どうにもならない自分の境遇と己のふがいなさに臍を噛む。

「それよりも、ほら。」
「え?何?」
「今日はお前の誕生日だろう?」
しかしそれを諦めにも似た感情で脇に押し遣り、レヴィアスは持っていた陶土の楽器を手渡す。
「ありがとう・・・」
贈られたものと贈り主の顔を交互に驚きに見開いた瞳で見遣り、少女は嬉しさに表情を崩す。
そしてそれをぎゅっと握り締め、心からの感謝を伝える。
「わたし、幸せよ。」
「大げさだな。安物だぞ?」
「ううん・・・幸せだわ。あなたに会えたこと、幸せだった。」
彼女の過剰なまでの礼に彼は苦笑し、皇子という身分とは不釣合いな金額の贈り物だと付け加える。
だがそれでも少女は重ねて幸運を感謝し、うっすらと涙を浮かべる。
「だからあなたも幸せになって・・・」
そして恋人の幸せを祈り涙目のまま微笑んで、自分を見下ろす金と碧の瞳を見上げる。

「俺はこのままでもいい。ムカつく奴等は多いがな。」
「そうね・・・そうよね。」
そのなぜか悲痛なまでの願いに不審なものを感じながらも、彼は薄く笑い涙に濡れる顔に唇を落とす。
そして現状に不満はないと嘘とも本当とも言えないことを口にし、レヴィアスは恋人を慰める。
「吹いてみろ。」
「ええ・・・」
音色を聴かせろと囁くと、少女はこくんと頷くとそっと吹き口に口を付ける。
花畑に響き出した澄んだ音色に、少年は普段は浮かべない安らいだ笑みを浮かべる。


――― ずっとこんな日々が続けばいい。

たとえ周りが自分を不要としていたとしても。
この少女だけは、自分の傍にいてくれる。

それが自分にとっての幸せだから。

それが唯一つの、自分にとっての幸せだから ―――




「・・・っ!」
「・・・ばっ!」

殺気を感じハッとした青年が二色の目を開くと、いきなり杖が自分に向かって振り下ろされるのが見え間一髪のところで避ける。
「何しやがるっ!」
そして上躯を起こし、物騒なものを振り回して自分を殴ろうとした金髪の少女を怒鳴りつける。
「こんなところで昼寝しないでって、言ってるデショ?!」
「だからって、いきなりそんなモン振り上げるこたぁねぇだろうが!」
「何度も起こしたヨッ!なのに起きないんだから、実力行使!」
頬を膨らまして怒る年下の上司の横暴さに、ムッとしつつも反論できないことを言われ押し黙る。
「いくら陛下がいいって言ったからってネェ、こんなところで大男に寝てられちゃ景観が悪いデショ?!」
「俺はどこぞの鬼補佐官にコキ使われて、疲れてるでな。休める時に休んでおかなきゃ、体がもたねぇんだよ。」
しかしふぅっとわざとらしく溜め息を吐きながら嫌味混じりなことを言われ、アリオスは皮肉げな笑みを浮かべながらそれに言い返す。
「だったら尚更こんなところで寝ないで、ベッドで寝てよネ〜。風邪でも引かれて、陛下にまで移されたら困ります。」
だがそれを真正面から受け止めた補佐官はひどく全うな正論、且つ、部下の健康は二の次な言葉で切り返す。
その尤もながらにどこか癪に障る言葉を聞きながら、彼は現状を把握する。


宮殿の一角にある中庭。
色とりどりの花々が放つ甘い匂いを放つそこで、自分は眠っていた。
しかしここは人が争い手に入れた地位である『皇帝』の居城ではなく、宇宙の意思が自ら選んだ『女王』の居城。
自分を厭わしく見下げる者達しかいなかったあの宇宙ではない。
自らの消滅を願った自分に、新たな命を授けたある意味残酷でそして甘い少女が育てる宇宙。

――― 一度はすべてを諦めた自分が生きると決めた世界が在るところ。


「ま、ここで寝転がりたい気持ちは判らなくもないけどネ〜。ここって陛下の・・・あ、エンジュ。」
急かされるかのように立ち上がると、暴力で青年を起こそうとした少女は首を竦めつつ余計なことを言おうとする。
けれどアリオスが睨みつけるまでもなく、おさげ髪の少女を見つけて気がそがれたのか、彼女は緩いウェーブの髪を揺らしてそちらに体を向ける。
「レイチェル様、アリオスさん、こんにちはっ!」
「こんにちは。」
「よう・・・」
元気に駆けてきたエトワールはやはり元気に挨拶をし、青年はかえって疲れる思いでそれに返す。
「・・・?どうかしたんですか?」
「なんでもねぇよ。」
不思議そうに首を傾げられ、脇でくすくすと隠れて笑う補佐官を尻目にアリオスは気にするなと彼女に告げる。

「そうですか?あ、これ、アリオスさんに。お誕生日、おめでとうございます。」
不可解そうな顔をしつつも、少女は両腕に抱えていたものを差し出しにっこりと笑う。
「誕生日?ああ、そうか・・・」
今朝方女王が楽しそうに同じことを言っていたのを思い出して納得し、同時に自分の誕生日がエトワールにまで知れ渡ってることに気付き、青年は眉間に皺を刻む。
「ま、サンキュ。」
だが無碍に断る程のこともないかと差し出されたものを受け取り、心ばかりの礼を言う。
「何をあげたの?」
「オカリナです。陛下がアリオスさんはオカリナの音色がお好きだって言ってたので。」
失礼にも他人宛のプレゼントの中身を訊ねる補佐官に、けれど朱い瞳の少女は選んだ理由まで素直に答える。
しかしその答えに金と碧の瞳を一瞬張り、不機嫌そうな表情を僅かに寂しげなものに変え先ほどまでの夢を懐かしむ。


今思えば。

あの日、彼女は彼女の主人から解雇を打診、いや、言い渡されたのだろう。
醜悪で下種な見栄ばかりのその理由と共に。
それから一月足らず、一人で悩み苦しんで・・・・

そして ―――――――――


「アリオスさん?」
さっきよりも更に怪訝そうに名を呼ばれ、アリオスはハッと我に返る。
「いや・・・なんでもねぇよ。」
少女の心配を無用だと突き放しながらも、青年は未だ胸に重く圧し掛かる思い出の日々に目を細め苦笑する。
そして徐に贈り物の包みを広げ、中から現れた素焼きの楽器を口元に運ぶ。



忘れられないその日を想い、青年は遠い日に聴いた曲を静かに奏でるのだった。