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忘れられない日



女王の私室。
テーブルの上の花瓶に先程まで両手いっぱいに持っていた花を生けたその部屋の主は、嬉しそうにそれを眺める。


自分の部屋にこれを飾るのは、自信過剰なのかもしれない。
この花は、お祝いの花。
誰よりも大切な人の生誕を祝福する花。
だったらこの部屋ではなく、彼の部屋に飾るべきだと思う。

けれど当たり前のようにこの部屋に来てくれる人に見せるなら、ここに。
自分が慈しむ宇宙の中で、女王としてではなく個人としての自分が一番濃い場所に。


「もうちょっと上のほうがいいか・・・きゃあっ!」
少々全体的にバランスが悪いような気がした花に少女が手を伸ばそうとした時、不意に後ろから抱きすくめられ悲鳴を上げる。
「・・・色気のない声だな。」
「ア、アリオス・・・」
耳元で響いた低い声が今日はずっと頭から離れない人のものだと気付き、アンジェリークは頭だけ僅かに動かし赤い顔で見上げる。
「お前な、人の個人情報を勝手に言いふらすなよ。」
その無防備な表情にアリオスは軽く溜め息を吐き、二色の瞳を細めて苦情を口にする。
「あっ、エンジュからのお誕生日プレゼント、届いた?」
「・・・あぁ。」
しかし腕の中に捕らわれたままの少女はそれを諫言や苦言と取らなかったのか、嬉しそうに顔を綻ばせる。
「メル達もね、アリオスにプレゼントを用意してるって・・・わたしの部屋に届くようにしてくれたみたいだから、もう届くかな?」
そして他にも祝う者がいると、彼女はまるで自分のことのように報告をする。
「・・・よくそんな、人のことで楽しそうに出来るな。」
「えっ・・・?どうして?アルフォンシアも喜んでいたわ、アリオスが皆に祝福されてること。」
けれどいつものからかい口調ではなく僅かに拒絶を含んだ声で青年は呟き、不思議そうにする少女を抱きしめたまま眉間に皺を深く刻む。
そんなどこか不機嫌そうな彼の様子にようやく気付いた彼女は自分が一人で浮かれていたことに気付いて恥じ、戸惑いに眉根を下げる。
「アルフォンシア・・・宇宙の意思、か。つくづく甘いな、女王共々。」
「アリオス、本当にどうしたの?」
そして自嘲気味に笑う人に、アンジェリークは不安そうに重ねて訊ねる。

「お前、知ってるのか?俺が・・・侵略していたのは、ひょっとしたらこの宇宙だったかもしれないってことを。」
そんなだんだん曇っていく少女の顔を見ながら、アリオスはずっと心の底にしまい込んでいたことを告白する。
「・・・え?」
「先にたどり着いたのは、この宇宙だったからな。」
「本当に・・・?」
「あぁ・・・もっとも余りに未発展過ぎて使い物にならないと思ったから、やめたがな。」
すると予想に違わず、彼女は碧い双眸を見開いて絶句する。
そのことに会心と同時に痛苦をも感じながらも、青年は少女を傷つけるだろうことを口にする。
「故郷を侵略されかけても許した女王が甘けりゃ、一瞬でも自分を蹂躙することを考えた奴を祝福する宇宙の意思もやっぱりおめでたいな。」
確実に傷つけると思いながらもそれを何故か止められず、彼は彼女の半身までも貶める。

「・・・今だったら?」

「今?」
「あなたが初めて見た時のこの宇宙が、今の状態だったら・・・どうする?まだ利用価値は、ない?」
しかしそれに対して詰るわけでも泣き出すわけでもなく、少女は青年を真っ直ぐに見上げ今はどうなのか?と訊ねる。
「・・・今だったらすでに安定した神鳥の宇宙よりも、新たな命が次々と生まれ生命力溢れる聖獣の宇宙を選ぶかもしれねぇな。」
その清廉すぎる程清廉な眼差しにアリオスは一瞬たじろぎ、しかし嘘偽りのない、だが恩知らずと言われても仕方のない判断を口にする。
「そう・・・」
すると少女は一度瞼を伏せ、再び蒼い光が覗いた時には強い意志がそこに見えていた。
「アリオスが・・・レヴィアスが、もしこの宇宙を侵略していたら、あなたを憎んだかもしれない。それでも好きになっていたかもしれない。それは、判らない。」
向き直り青年を見上げ、アンジェリークはどこか寂しげな表情を浮かべる頬に手を伸ばす。
指先に感じた冷たい肌に静かに口元に笑みを浮かべながら、彼女にとって驚きでしかなかった告白に対する感情を吐露する。
「でもね・・・でもあなたが今でもあなたの生まれた宇宙に復讐したいなら、エリスさんの仇を取りたいのなら、あなたがそれを望むのなら、わたし・・・」
「バカッ、やめろっ!」
そして少女もまた嘘偽りのない想いを、生まれて初めて出来た想い人にそれを捧げようとする。
しかしその途中でそれを怒鳴って遮られて力強い腕に抱きしめられ、彼女は広い胸に顔を埋める。

「・・・わたし、あなたを許してなんていないわ。許すとか許さないとか、そんなこと考えたことすらないもの。」
突然のことに一瞬強張った体をふっと緩め、アンジェリークは胸いっぱいに安らぐ薫りを吸い込みながらポツリと呟く。
「「あなただけを選ぶ」って言ったこと、今でも変わりないわ。」
「・・・悪かった、泣くな。」
抱きしめた華奢な背が震えていることに気付き、アリオスは女王として少女がけして言ってはいけないことを言わせかけた己に舌打ちをする。
「八つ当たりして、悪かった。お前もアルフォンシアも悪くねぇよ。」
「八つ当たり?」
「ちょっと・・・夢見が悪くてな。」
そして幼い頃から愚かなままの自分につくづく胸を悪くしながら、青年は茶色のさらさらとした髪を撫でて重ねて謝罪を口にする。
しかし潤んだ瞳できょとんと見上げられ、今度は少々後ろめたさを感じつつ言葉を濁す。

「だがな、お前達がおめでたいのは変わりないと思うぜ。」
「そう、かな・・・」
けれどそれでもアリオスはこの宇宙の女王と意思の甘さを口にし、だが今度はからかい気味に口の端を上げる。
「でもわたしもアルフォンシアも、あなたがここで皆に望まれて愛されていることが嬉しいのよ?」
「皆?お前が俺を放さないんだろ?」
「・・・アルフォンシアにも同じようなことを言われたわ。」
その彼の言葉に先程までとは違うモノを感じ少し安心しながらも、アンジェリークは嫌がられるかもと危惧しつつ先程異形の少年と話したことを告げる。
しかしすぐにそれを笑って一蹴しながら頬に唇を寄せられくすぐったそうに身を竦めた少女は、聖獣のそれとは違い、思惑やらなんやらが目一杯込められている青年の言葉に困ったように見上げる。
「ほお、さすがお前の半身だな。・・・いけ好かないがな。」
「いけ好かないって・・・」
その彼女の視線にアリオスはクッと喉を鳴らして笑い、しかし感心しつつもその以心伝心さが気に食わないときっぱり告げる。
すると腕の中の少女はその理不尽な我侭ぶりにますます眉根を下げ、その表情をさせるのは恐らく自分だけであろうと知る青年は口元を緩めたまま目の前の細い顎を持ち上げ近づく。

「陛下〜っ!いらっしゃいますか〜?!」
しかしその時あと数ミリと近づいた二人の間を割るかのようにノックの音が響き、年頃の少年にしては高い声が少女を呼ぶ。
「メル・・・」
邪魔された彼は低い声で邪魔者の名を剣呑な表情でなぞり、恨めしそうに扉に視線を走らせる。
「ア、アリオスの誕生日プレゼントが届けてくれたんだわ。は・・・・・・んっ!」
一気に機嫌を損ねた様子の恋人を赤い顔で宥めるかのように笑いかけ、彼女は部屋の外で贈り物を持ってるであろう少年に返事をしようとする。
しかし自分の顎を捕らえたままだった青年に深く唇を塞がれ、身動きが取れなくなる。
「あれ?いらっしゃらないのかな・・・レイチェルは部屋に戻ったって言ってたのに。」
「じゃ、レイチェルに預けておけばどうだ?レイチェルもアリオスに会うだろ?」
「そうですね。レイチェルのところに行く途中で、陛下かアリオスさんに直接お会いできるかもしれませんしね。」
「じゃ、そうしよっか。」
扉の向こうで交わされる年少の守護聖達の会話に耳を傾ける余裕もなく、アンジェリークは自分を翻弄する人に無意識に縋り付く。

少年達の声が遠くにも聞こえなくなった頃ようやく開放され、黒いコートの背を握り締めたまま、今度は少女が長い指で楽しげに濡れた唇を拭ってくれる人を恨めしげに見上げる。
「・・・アリ、オス・・・・・・」
「俺と俺への贈り物とどっちを選ぶんだ、お前は。」
しかしプレゼントの為にせっかく傍にいる自分から離れたら本末転倒だろうとどこか理不尽なことを尤もらしく指摘されるが、未だ思考に余裕のない彼女にはそれに対してとっさに反論出来ない。
「・・・おめでとう。」
その代わりに細い腕をそっと伸ばして首に絡めた少女は背伸びをし、身勝手な人の頬に唇を寄せる。
そして困惑とはにかみが入り混じった表情で、改めて祝福を贈る。

「ま、せいぜい奴らの分まで祝ってくれ。お前が、な。」

その視線に満足そうに青年は金と碧の瞳を細めながら花瓶から名を知らぬ花を一本取り、自分の生誕の日を喜ぶ少女の髪に飾る。
「忘れられない日にしてくれよ?」
そして戸惑いと驚きに潤んだ瞳で瞬きをする顔にもう一度今度はくちづけ、彼はニヤリと口を歪めてその顔を覗き込む。
すると躊躇いがちながらに彼女はコクンと頷き、ふわりと微笑む。


「大好きよ、アリオス。」



誰よりも何よりも大切な人に寄り添って、少女は一年で一番嬉しく思う日を心からの祝福で彩るのだった。