戻る
地位より名声より
「出来たぜ。」
聖地の空が闇に包まれた頃。
モニタを睨みつつキーボードを叩いていた青年の疲れ果てた声が、苛立ち交じりの溜め息と共に研究院に響く。
「ハイハイ、お疲れ様。それじゃ、ワタシの端末に送ってちょうだい。」
しかしそれを受けた少女は慣れた様子でそれを受け流し、コンピュータに向かったまま労いの言葉を手向ける。
そして送信するように指示を出すと、悪態をつきながらも彼は従い作成した書類を送信してくる。
「ったく・・・もう夜だぜ。」
「アナタが陛下の執務室でサボってるからデショ?報告に来る途中で寄り道してなきゃ、とっくの昔に終わってるヨ。」
「・・・・・・」
小さく聴こえた舌打ちと文句にレイチェルはようやく視線を青年に向け、最大の原因を的確に指摘する。
するととっさに反論も出来ないほど痛いところを突いたのか、彼はほんの一瞬絶句する。
「だいたい、なんで俺が帰ってきた早々、データの分析までしなきゃならねぇんだ?ここには優秀な人材が揃ってるんだろ?」
しかしそれでも腹は収まらないのか、それとも酷使されることがそれほど不満なのか、皮肉げな笑みを浮かべ逆襲してくる。
「実際に星に派遣されたアナタがやるのが、一番正確じゃない。それにアナタが無能だったらコキ使ったりなんてしないヨ、誰よりも優秀な魔天使サマ?」
けれど逆にそれを利用して褒め殺しにしてみると、青年はますます渋い顔になり押し黙る。
その表情にこっそりとほくそえみをしつつ、彼女は彼が作成した書類にざっと目を通す。
「ん、オッケー。じゃ、もうアンジェのトコでも自分の部屋でも帰っていいヨ。明日はオフにしてあげたから、ごゆっくりドウゾ。あ、でも陛下は休みじゃないから、気を付けてよネ。」
「・・・ご親切にどうも。」
そして一応の不足がないことを確認し、レイチェルは親友の恋人ににっこりと笑って帰宅と休暇を許可する。
しかし余計なことにまで気を回され再び気が触ったのか、彼は更に疲れが増したような表情を浮かべる。
それを見て少々野暮だったかと、彼女は心の中で舌を出す。
「じゃ、帰るぜ。・・・っ?!」
これ以上ここにいられるかとばかりに青年は立ち上がり、部屋の入り口に向かう。
しかし扉に立つ直前に自動でそれが開き、彼はとっさに足を止めた。
「あっ、ごめんなさ・・・あれ?アリオスだぁ!」
「・・・メル。」
開いたドアの向こうにいた少年はこちら側に誰かいることに気付き、反射的に謝る。
しかしそれが誰か気付いた彼は、ぱぁっと嬉しそうに笑みをその顔に広げる。
「・・・抱きつくなよ?」
「も、もう抱きついたりなんてしないよぉ!」
はしゃぐ夢の守護聖に一つ溜め息を吐き、魔天使は口の端を上げて牽制する。
すると成長しても幼さを残したままの彼は頬を膨らまし、赤くなって抗議する。
「ククッ・・・じゃあな。」
それに少々機嫌を取り戻し、青年は再び別れを告げる。
「お疲れ〜。」
「おやすみなさい、陛下にヨロシクね。」
「・・・・憶えてたらな。」
しかし無邪気に投げ掛けられた言葉に眉間に皺を寄せ、彼はさっさと部屋を出て行く。
「あ、あれ・・・僕、なんか悪いこと言った?」
その様子にメルは困惑し、補佐官に縋るような目を向ける。
「ん〜、気にすることないと思うケド。今夜は視察から帰ったばっかで、疲れてイラついてるみたいだし・・・あとは、多分いちいち陛下のことを言われるのが、面白くないんじゃないかな?胸の内を覗かれている様で。」
端から見てて丸判りなのにネと、レイチェルは戸惑いと不可解の表情を浮かべる少年を慰める。
「アンジェがアイツの世界の中心だから・・・ネ。」
だからこそ彼は表立った地位も役職も持たないまま、この宇宙の為に尽力してくれる。
そして聖地に帰還する度に、彼は女王のところへ向かう。
まさしく『女王の影』のように、傍に寄り添う。
自分の知らない内に、再び彼女に不幸が訪れるとも限らないから。
抗える不幸なら、自分が防ぐと。
抗えない不幸なら、自分の目の前でと。
「散々イジメて泣かせてる割には、ムダに心配性で過保護なんだよネ〜。宇宙が安定した今、よほどのことがない限り、陛下が倒れるなんてことないのに。まぁどこぞの宇宙の自称皇帝サマが侵略してくるとかあれば、知らないケド〜。」
「あ、はははは・・・・」
呆れたように親友に対する彼の所業を並べ立て、レイチェルは肩を竦める。
そして最後に当てこすりとも嫌味とも言える、しかし現実には起こらないだろうことを付け加え、傍にいた少年に乾いた笑いを誘う。
「で、アナタは何の用なのカナ?」
「あ、これ、エルンストから「安定期初期の宇宙の資料として、役に立つかもしれません」って。宮殿を出る時に会ったら、ついでに届けてって言われたから。」
「あ、わざわざアリガト♪お使い、ご苦労様。」
宇宙生成学が専門である幼なじみからだという古そうな書物を受け取り、少女は先ほど青年に手向けたものよりも丁寧な労いを贈る。
地位よりも名声よりも大切な唯一のものを持つ青年は、幸せだと思う。
同時にそれはなくしてしまう不安を持つことにもなるけれど。
だが彼にはこの宇宙で彼だけに与えられた不可思議の力と、それを行使するだけの深い知識と、そしてある意味誰よりも強い意思と想いがある。
心寄せる少女を守れるだけの術を、今、彼は持っている。
それはとても幸運なこと。
「ま、おこぼれ程度にコキ使わせていただいても、バチは当たらないデショ。」
一人になった女王補佐官は熱いカフェオレを飲みつつクスリと笑い、魔天使の報告書と夢の守護聖が持ってきた本に紫紺の瞳を向けるのだった。