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見咎められた横顔



平穏な聖地のとある日。


執務をこなした女王は少し浮き足立った心地で、中庭に降り視線を廻らす。
「あっ・・・」
すぐに目的の人物を見つけ、少女の顔には花咲いたような笑みが広がる。
「じゃ、渡したからな。」
「あぁ・・・」
しかしそのそばに前髪の銀のメッシュが印象的な少年を見て、彼女は珍しい組み合わせだと不思議そうに小首を傾げる。
「あっ、陛下。」
すると彼はこちらに気が付き、彼らしい純粋そうな笑みを向けてくる。
「こんにちは、ユーイ。アリオスと一緒にいるなんて、珍しいわね。」
「レイチェルに頼まれたんだ。」
「レイチェルに?」
明るい声でもたらされた親友の名に、アンジェリークはまた首を傾げる。
「ご苦労なことに人を疑うことを知らない風の守護聖様は、悪の女王補佐官殿に利用されて、俺の仕事を持ってきてくださったんだんだとよ。」
「アリオス・・・」
その疑問に多分少年が来るまで趣味に勤しんでいたのだろう青年は、かなり不機嫌な口調で答える。
その答えの言い回しに女王は苦笑し、同時にその彼の多忙さを申し訳なく思う。
「さてと・・・じゃ、どやされないうちに行くか。」
「うん・・・いってらっしゃい。」
「あぁ、じゃあな。」
けれどそれを口に出せば、青年がこの宇宙の為に身を窶してくれている気持ちを否定することになってしまう。
それをもう心が痛むほどに知っている少女はその感情を心の中に留め、努めて笑顔で去る人に見送りを口にする。

「おい、アリオスっ!」
「ユーイ?」
しかし隣でそれを見ていた少年は、今にも消えようとしていた青年の後姿に声を投げかける。
そのいきなりの行動に戸惑い、彼女は三度首を傾げる。
「・・・なんだ?」
「陛下が寂しそうな顔をしてるぞ。」
「?!」
そのことを呼び止められた彼も不思議に思ったのか、怪訝そうな表情で振り返る。
しかし思ってもみない理由が少年の口から飛び出し、アンジェリークは顔を一気に沸騰させ絶句する。
「え?あの、その・・・ユッ、そんな・・・こと・・・」
「出掛けるのを少し待ってほしいなら、そう言ったほうがいいぞ、陛下。」
慌ててそんなことはないと否定しようとするが言葉にならず、逆に言いたいことは言えと忠告されてしまう。
「ふ〜ん・・・なるほどな。」
感心したような楽しげな声に少女は少年に向けていた視線を去ろうとしていた青年に移すと、案の定予想に違わない表情で近づいてくる。
「ア、アリオス、違うの・・・そんなことは、なくて・・・」
そのどこか悪巧みをしているような笑顔に、彼女は頬を赤らめつつも血の気が引く思いがする。
しかしそんな少女の顔色が更に楽しませてしまったのか、青年は一つクッと喉を鳴らして跪き、淡い桜色のドレスの裾を手に取る。
「我が主の御心の内も知らず御前から去ろうとするなど、下僕として不徳のいたすところ・・・申し開きのしようもない。」
そしてそこに口づけを落とし、彼は金と碧の目を細めて思惑満ちた視線で見上げてくる。
「あ、あの・・・そんな、別に・・・」
明らかに面白がっている様子の彼の態度に、敬れ慣れない女王は余りの恥ずかしさに視界がぐるぐると回っているような気がしてくる。
「だが詫びはしなければ、ならない・・・よな?」
「きゃあっ!」
しかし不意に抱きかかえられ、アンジェリークはふわりと体が浮いた感覚に驚く。
更には彼ごと宙に浮上し、反射的に彼女は身を竦め、縋るように目の前の人にぎゅっと抱きつく。
「お前も悪かったな。」
「いや、陛下が元気になるなら、それで良いぞ。」
しかし自分を抱く人が真下にいる少年に感謝の声を掛けたことで、今の一連の出来事を見られていたと自覚させられ、少女は思わずしがみつく手を離そうとする。
けれどその前に落ちない様に抱き直されて、ますます密着させられてしまう。
しかも視界を遮られ見えないが、眼下の部下にうんうんと満足そうに認められ、どうしていいのか判らなくなる。

「降ろすぞ。」
そのまま浮上した彼は女王の執務室に備えられたテラスに降り立ち、彼女は動悸が治まらないまま降ろされる。
壊れ物を扱うかの様なその動作に嬉しくなり、少女は優しさを感じふわりと微笑む。
「ありがと・・・んっ?!」
しかし礼を言おうとして見上げた途端唇を深く塞がれ、彼女はひどいくちづけをする恋人にまた縋りつく。
思うが侭に貪られ、ようやく放された頃には力が抜けて立っていられず、彼女は彼に支えられて熱い息を吐く。
「気付いてやれなくて、悪かったな。」
「ぅ、ん・・・っ!」
髪を撫でながら珍しく素直に謝罪をくれた彼の想いに、アンジェリークは広い胸にもたれ掛かりながら喜びを感じる。
しかしぼんやりとしている間もなく僅かに体をずらされ、その瞬間、少女は首元に鋭く甘い痛みを覚える。
「ア、アリオス?」
「これで少しは寂しくないか?」
その疼きのような感覚の理由をうっすらながらに理解し、彼女はそこに白い手を恐々当てて潤む瞳で彼を見上げる。
すると彼はニヤリと人の悪い笑みで見返してきて、予想は真実だと確信する。
「え、でも・・・あの・・・」
「少なくともコレが消えるまでは、鏡を覗く度に俺の唇が思い出せるだろ?」
「くっ、唇?!・・・って、見えてるのっ?!」
戸惑いと気恥ずかしさに少女が口ごもると、青年は自分よりも小さな手の上から己が付けた痕に触れてくる。
そして更にとんでもない事実を、楽しげに突き付けてくる。
「さぁ?どうだろうなぁ?」
「もう・・・」
しかしそれを改めて確認するも恋人はククッと喉を鳴らしながら煙に巻き、アンジェリークは諦め混じりに溜息を吐く。
「寂しいけど、でももう大丈夫だから。」
けれど気を取り直したように少女は微笑を浮かべ、ヒールを履いた踵を更にもう少し上げて笑みが浮かぶ唇に自分のそれをふわりと重ねる。
「・・・いってらっしゃい。」
「あぁ・・・」
そしてはにかみながら彼女は蒼い瞳に満足そうな彼を映し、見送りの言葉を間近にいる人だけに聞こえるぐらいの声でもう一度伝える。


平穏な聖地で、少女は誰よりも大切な人の何度目かの旅立ちを祝して、その無事をまた祈り、幸せな気持ちで帰りを待つのだった。