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秘密特訓
夜更けも近い夜の宮殿。
「何やってるんだ、アイツは・・・」
女王の住まいであり、彼女に忠誠を誓った者達がその役目に従事する場所。
その二階のとある一室に、明かりが煌々と灯っている。
主より賜った愛剣を手にし中庭を通り抜けようとしてそれを見咎めた銀髪の青年は、眉間に皺を寄せて灯火を見上げる。
何故ならそこは、既に自室で休んでるだろうはずのそのご主人様の執務室だったから。
「ったく・・・」
そして一つ小さく溜め息とも舌打ちとも言えない声を零し長い前髪を掻き上げ、彼は軽く地を蹴ったのだった。
「えっと・・・」
一方、部屋の中の少女はと言えば。
窓の下で自分の影が難しい顔をしたとは知らず、ソファーに座っていた。
左手に書類の束を持ち右手で目の前の机に置いた端末をぎこちなく操作し、真摯な蒼い瞳で画面と紙を見比べる。
「あ、なるほど・・・ここなのね。」
そして何事か合点が言ったのか、ぱぁと笑みを浮かべうんうんと何度も小さく頷く。
しかしその時コンコンとガラスが叩かれる音が静かな部屋にいきなり響く。
「?!」
その音に驚いた彼女はビクッと体を震わせ、手に持っていた書類をばさばさと絨毯に落とす。
「え、何・・・・」
動揺に僅かに青ざめながら聞こえた方に目をやると、怪訝そうな表情の恋人がテラスに立っている。
「アリオス・・・」
それを認めほっと胸を撫で下ろし、アンジェリークは一呼吸を吐いて動悸を整え微笑む。
そして立ち上がりパタパタと窓に近づいてその鍵を開け、普通では考えられない場所から彼を部屋の中に招き入れる。
「お仕事終わったの?」
「ああ。またコキ使われたがな。」
「お疲れ様。いつもありがとう。」
外の世界での使命を終え研究院にいる補佐官に報告に行っていた人に、女王は開けっ放しだったカーテンを閉めながらそれが終わったのかと訊ねる。
すると不機嫌そうな声色でそれを肯定する言葉が返り、彼女は苦笑を浮かべつつ彼を労う。
「で?おまえは?こんな時間までこんなところで、何をやってたんだ?」
しかしそんな少女に、アリオスは明かりを見つけた時の疑問を苛立ち交じりの口調で低く訊ね返す。
見れば、目の前の彼女は女王のドレスではなく私服のワンピースを身につけている。
ということは、一度は私室に戻り再び執務室に来たということだろう。
つまりは執務が残っていて、それをこなす為にここにいるわけではない。
執務があるわけでもないのに、こんな夜遅くに執務室で何をしているのか?
そんな疑問と、そして無理をしがちな彼女の体調を危惧し彼は眉を顰める。
もちろん後半の心配ごとは、微塵にも表情に出さなかったが。
「あ、えっと・・・宇宙のことを調べてたの。」
「調べる?」
しかしどもりながら返ってきた答えに、彼は更に眉間の皺を深める。
「書類にね、書いてあった星がどの位置にあるのか、わたし、把握してないっていうか、ちゃんと憶えてないっていうか・・・だから、調べてたの。」
すると一層どもりながらばつが悪そうな顔になり、彼女は俯き加減で補足する。
「ったく・・・バカだな、おまえは。」
「うっ・・・」
そんなしょんぼりと肩を落とし「自分の宇宙のことを知らない」と告白した女王に、その影は茶色の髪が掛かる額を軽く小突く。
するとますます落ち込んだように俯いた少女は、か細い手をぎゅっと握り締める。
「勘違いするな。誰も憶えてねぇことを貶してるわけじゃねぇよ。」
「え?」
そのしょげた様子に内心焦り、そして言葉が足りない自分を少し忌々しく思いながらも、アリオスはそれを隠すために口の端を上げながら彼女の思い違いを訂正する。
「把握してねぇワケも憶えてねぇワケもねぇのに、勝手に落ち込んでるのがバカだって言ってるんだよ。」
「??」
しかし訂正されもまだ少女は理解できず、真っ直ぐな長い髪を揺らし小首を傾げる。
「知識として知らずとも、聖獣と心を交わし宇宙の端々まで意識を馳せることが出来るのが女王なんじゃないのか?この地から一歩も動かずとも、な。」
そして不可解そうに見上げると、彼は諭すように『女王』の役目とその力を口にする。
「アリオス・・・」
「どこにあるか・・・なんて、おまえが一番判ってるんじゃねぇか?研究員の連中よりも、誰よりもな。」
そんな当たり前のことを言われ、しかし当たり前であるが故に忘れていたことを思い出し、アンジェリークはそれを思い出させてくれた人を見つめる。
その視線に青年は浮かべていた笑みを更に深め、長身を折って少女の顔を覗き込む。
「だろ?」
「・・・・うん。」
そして同意を求めると、近づいたことに頬を赤らめはにかみながらも彼女は小さく頷く。
「ま、向上心があるのはいいことだが、やるにしても秘密特訓は今日はこの辺でやめておけ。」
「ひ、秘密特訓?!」
「違わねぇだろ?」
そんな恥じらう姿に少々気をよくし同時に更に近づきたくなるが、ひねくれた、いや、自制心が強い彼はその感情に従わず身を起こす。
その動作の途中でついでのようにもう一度彼女の額を突き、もう休めと忠告する。
「だいたいな、上が休んでくれねぇと、下々の者は安心して休めねぇんだよ。」
「下々って・・・でもレイチェルはまだ研究院にいるんじゃ・・・」
けれどその言い草に少女は戸惑い、そして親友が未だに仕事をしていることを小さな声で指摘する。
「あれは半ば趣味だろ?ヤツなら、星の名前と情報を把握してるかも知れねぇが・・・どのみち、常人の俺やおまえが付き合うことはねぇよ。」
少女にしてみれば目の前のこの人が常人とはとても思えないのだが、当の青年は首を竦めつつきっぱりと断言をする。
この宇宙で唯一無二だろう力を持つくせに。
剣技だって、一二を争う技量だろうに。
誰も経験したことがないことも想像もつかないことも、いくつも経験しているのに。
それでも普通の人間だと言う彼に、彼女はなんだか呆気にとられてしまう。
もっとも常々恋人に対して自分は普通の女の子だと言っている少女自身も、青年に同じように思われてるのかもしれないが。
「なんだよ?いきなり見惚れて、どうかしたのか?」
「え?・・・違っ、見惚れてなんて・・・」
思わずじっと彼の顔を見つめているとからかい交じりの怪訝そうな声を掛けられ、アンジェリークは我に返る。
そして己のはしたなさと恋人の結果的には間違ってはいないだろう指摘に恥ずかしくなり、頬を染め反射的に目を逸らす。
「ほら、行くぞ。」
「っ!きゃあ!」
だがその隙に肩に担ぎ上げられてしまい、少女はいきなりのことに驚きの声を上げる。
「やっ、ちょっと、歩けるから、下ろして!」
そして空に浮いた足をバタバタと振って暴れ、自分を担ぐ人の片方の眉を不快そうに上げさせることとなる。
「歩いてくより、転移した方が早いだろ?俺は眠いんだよ。」
「・・・で、でも・・・」
しかし暗に疲れていると言われ、彼女はピタリと一瞬おとなしくなる。
けれどそれでもこの状況は腑に落ちず、彼女は上半身を捩りこちらに向けられた金と碧の視線を見つめ返す。
「・・・でも?」
そんな縋るような蒼い瞳を与えられ、結局この少女に逆らえないらしいとアリオスは改めて思い知る。
自分の甘さと弱さと執着に心の内で溜め息を吐きながら、その言葉の先を促す。
「でもどうしていつも肩に担ぐの?わたし、アリオスの荷物みたい・・・」
言葉そのままな意味なのか。
それとも、比喩での意味なのか。
またしても落ち込みがちな声音で自分の状況を口にする彼女に、彼は一瞬困惑したように目を細める。
「担がれるのは、イヤか?」
「・・・イヤ。」
気に入らないかと訊ねると、一回りも年下の恋人ははっきりと拒絶を口にする。
その断言ぶりにそこまでイヤだったのかと苦笑し、青年は傍らに置いてある執務机にその持ち主を座らせる。
「別に他意はないんだがな。・・・持ってろ。」
「あ・・・」
そしてか細い体を支えていなかった方に持っていた剣を両手にしっかりと抱えさせる。
すると何か気付いたようにそれを見つめて彼女は動揺し、けれどそれに気づかぬ振りをして今度は横抱きに抱え上げる。
「あ、あの、アリオ・・・んぅ・・・」
そして顔を上げて何かを言おうとする彼女の言葉を遮るように唇を塞ぐ。
「・・・女王陛下のお気に召すままにしたんだから、ちゃんとご褒美は貰えるんだよな?」
くちづけをされるがままに受けた少女は腕の中で震え、広い胸に体を預けてくる。
いつまで経っても慣れないらしい幼げな恋人の姿に満足そうに目を細め、アリオスはぼんやりと見上げてくる顔にニヤリと笑って見せる。
「・・・え?」
そんな思惑が満載な笑顔を真正面に見せ付けられ、抱き上げられていては逃げられる訳がないのに少女は後ずさりをするように身じろぐ。
「そういや、昼間の労いも結局はあの女に起こされて途中だったしな。」
「ア、アリオス?」
更には昼間に彼が言ったことを思い出さされ、アンジェリークはあの時同様沸騰したように赤くなり瞳を潤ませる。
「ま、おまえ次第だがな。」
そしてやはり昼間と同じように楽しげに笑い、銀の髪の青年は自分の腕の中にいる佳人の部屋へと転移を試みたのだった。
無人の女王の執務室に散らばった書類を補佐官が発見するのは、それから12時間後のこと。
何が起こったのかはっきりと判らないながらも顔を引き攣らせた彼女は、優秀な魔天使の明日からのスケジュールをみっちりと詰める決意するのだった。