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Adagio
〜 Angelique 〜
決戦前夜。
旧き城跡の惑星の、かつて守護聖が囚われていた村。
眠れずにいたアンジェリークはベットをそっと抜け出し、月明かりに見守られながら歩いていた。
そして遠くに虚空の城を見つけると、小さく唇を噛む。
「嘘つき・・・・・・」
聞かせたい相手に聞こえるはずもない声。
それでも言わずにはいられなかった。
周りに誰もいなかったから。
『女王』である必要はなかったから。
「一緒にいてくれるって、そう言ったじゃない・・・・・っ!」
憎むべき皇帝。
明日になれば戦う相手。
なのに、彼女は未だ、彼を憎みきれない。
「アリオスのバカァッ!」
思いっきり言ってしまった後でハッと気が付き、口を押さえる。
大丈夫、よね?
誰も起きたりしないよね?
ビクビクしながら、きょろきょろと辺りを見回す。
その時。
視線を感じた。
村一番の建物。
今は誰もいないはずの、領主の館から。
その二階の窓から。
ここにいるはずのないその人の、碧の光が見えた。
次の瞬間。
彼女は館の玄関へ駆け出した。
二階の奥の部屋の前。
息を切らせながら、おそるおそるノブに手を掛ける。
そして、呼吸を整え。
彼女は、ドアを開けた。
「どうした?」
最初に見えたのは月の光に反射する銀の髪。
白銀の環の惑星で別れた時、そのままの色。
自分を冷たく見下ろした彼とは違う、自分と旅をした彼のもの。
「俺に逢いに来るのは、明日じゃないのか?」
笑いを含んだ声と瞳。
別れを告げられたのはついこの間のことなのに、その姿を見たのは既に遠い昔の様な気がして。
懐かしささえ、感じられる。
「・・・・・・・・・・・・・それとも。」
だが。
驚いている彼女を突き放つように、冷たく変わった声と黒い雲が月を遮る。
そして、一瞬の闇の後。
「我に穢されに来たか、アンジェリーク。」
そこにいたのは、黒衣の皇帝。
銀色の剣士の本当の姿。
その彼が残酷に笑う。
「あなたは・・・・・・・・・」
乾いてかすれる声を絞り出しながら、少女は青年に近づく。
少しも恐れる事なく。
油断すれば零れ落ちそうな涙を必死に堪えながら。
「あなたは、穢れてなんていないわ・・・・・・」
この宇宙を。
彼女の生まれ故郷であるこの宇宙とその女王を。
蹂躪し、侵略しようとしたけれど。
「わたしには、少しも穢れている様には見えないわ。」
金と碧に光る瞳を真正面から見上げ、アンジェリークは彼の頬にそっと触れる。
そして目に涙を浮かべながらも、微笑む。
予想だにしなかった行動に驚く彼に、いとおしそうに。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・ね?」
刹那。
「きゃっ!」
黒い影が動き。
「んっ!」
吐息が、盗まれた。
「アリ・・・・・・・・オス・・・・?」
しばらくそのまま。
奪われていた唇がやっと離され。
戸惑いながら、少女は目の前の者の名をなぞる。
だが、それも何故か辛そうな顔をする彼に言葉が続かない。
「・・・・・・・・・・・・違う。」
「アリオス?どうか・・・」
「その名で、・・・・・・呼ぶな。」
それだけを告げると、言いかけた彼女のそれを再び塞ぐ。
どうして・・・・・・・?
アンジェリークの頭の中にはそれだけ。
嫌悪も憎悪も恐怖さえ、ない。
どうして、もはや敵である自分にキスなんてするのか?
どうして、『アリオス』と呼ばれるのが嫌のか?
どうして、今更自分の前に姿を現したのか?
わからない――――――――――――――
「・・・・・・・・どう、して?」
涙で言葉が詰まる。
それでも高い身長を折って、自分と同じ高さにいる彼に尋ねる。
「どう・・・・・して・・・・な・・・の?」
繰り返される言葉。
それを聞き少し身を放し、しばし彼女を見つめ。
そして、頬に零れ落ちる涙をそっと唇で受け止める。
「・・・・・その男は、ずっとお前を騙していた。」
「え?」
「偽って、利用して、騙した・・・・・」
それが事実。
真実ではないのかもしれないけれど。
彼がした事は、彼女を傷つけ。
哀しませた。
「だから・・・・・・・」
呼ばれたくない。
『アリオス』と。
「・・・・・・・・・・レヴィアス。」
少女は初めて目の前の青年の真実の名を口にする。
偽りの名を呼ばれるのが嫌だというのなら。
それが彼女に願う事だというのなら。
アンジェリークは、歓んで受け入れる。
けれど。
「だったら・・・・だったら、わたしもあなたに言いたい事があるわ。」
「・・・・・・なんだ?」
「わたしを・・・・・・・・・」
ひょっとしたら、言ってはいけない事なのかもしれない。
口にした途端、彼は消えてしまうかもしれない。
今、この瞬間が夢の様に覚めてしまうかもしれない。
それでも、少女には願わずにいられなかった。
「わたしを誰かと重ねないで・・・・・・・・・っ!」
いつもちらついていた影。
『アリオス』が自分を見る時、いつもそこには他の誰かがいる気がした。
・・・・・・違う。
時として、目の前にいるアンジェリークの姿さえ見えていなかったのかもしれない、彼には。
それが辛いと気が付いたのはいつだっただろう?
最初からだったのか?
別れてからだったのか?
それも今となってはどうでもいい事だけれど。
「お願い・・・・・・・」
わたしを見て。
気が付いて。
――――――――――――せめて、存在を認めて。
「・・・・・・・お前はお前だ。」
他の誰でもない。
彼にそう断言されて。
アンジェリークは、その言葉が、この瞬間が現実だと信じたくて。
自ら彼の首に腕を回し、抱き付く。
「レヴィアス・・・・・・・・・・」
たとえ、それが仲間や故郷を裏切る行為だとしても。
儚いこの一瞬に身を任せたかった。
「前にね・・・・・・・・」
話し出した少女の声に彼は顔を上げる。
少しも聞き漏らしたくないという表情で。
「『女の人は『心』で恋をするんだ。』って、聞いたの。」
まだ、こんな切ない気持ちを知らなかった頃。
相手を想うだけで、涙が出てくるなんて思いもしなかった頃。
けれど、そんなに遠い昔ではないあの頃。
「『それじゃあ、男の人は『何』で恋をするの?』って、尋ね返した・・・・・んだけど、」
ずっと女子校で、男の子と親しげに話す事なんてめったになかったから。
彼女にとって、『男』というのはある意味、未知の生物で。
本当に、何も分からなかった。
・・・・・・多分、それは今でもだけれど。
「教えてもらえなかった。・・・・・・『いつか、あなたに大切な人が出来たら、教えてもらいなさい。』って。」
くすくすと、彼女は笑う。
その『いつか』が。
あるなんて、あの時、本気で思ってなかったから。
「ねぇ、・・・・・・・・レヴィアス?」
大切な人。
今思えば、憧れしか知らなかった自分にそんな人が出来るなんて、信じてなかった気がする。
新宇宙のめまぐるしい変化を目にしているのに。
自分の変化には、少しも気が付かないなんて。
「男の人は・・・・・『何』で恋をする・・・・の?」
今は、こんなに心がドキドキと騒いでいるのに。
こんなにも求めているのに。
ただ、彼の切なげな表情をこうして見ているだけなのに。
「・・・・・・・・・だ。」
だが、発せられた声はか細すぎて聞き取れず。
小さく動いた口は、暗闇でほとんど見えなかった。
もう一度言って欲しくて、少女は青年にこれ以上なく身を摺り寄せる。
その甲斐あってか。
「『本能』、だ―――――――――」
欲しい言葉は、口移しだった。
アンジェリークが目覚めると、すでに朝。
だがそこは、眠りに就く直前の記憶の場所ではなく。
自分に割り与えられた部屋のベッドの上だった。
夢、だったの?
しばし、呆然とするが。
体の痛みが現実だと、彼女に知らせる。
それに気付き。
ひとり、微笑む。
「皆様、行きましょう。」
最後の戦い。
あの『皇帝』の元へ。