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Adagio
〜 Leviath 〜




ほんの戯れのつもりだった。
本気じゃなかった。

『我に穢されに来たか、アンジェリーク。』

恐怖と、そして自分への憎しみを抱かせる為の言葉。
もちろんそれが必要ならば、実行に移した。
しかし。

『あなたは、穢れてなんていないわ・・・・・・』

涙を浮かべながらも微笑んだ彼女に。
それが自分の本心だと、思い知らされる。
胸が、痛むほどに。



幾望の月に照らされた少女の寝顔を、レヴィアスは静かに見ていた。
うっすらと赤味を帯びた白い肌。

「・・・・・・・大切な、人か。」

彼女は確かに敵である自分のことをそう言った。
憎むべき相手に。
戦うべき皇帝に。

「おまえじゃない・・・・・・・」

俺が大切だと思うのは。
求める魂は『エリス』だけ。
必要なのは、『杖の力』と『器』だけ。
おまえ自身が、欲しいわけじゃない ――――――――――――

だが。
否定すればするほどに。
色濃くなる嘘。
それに、気付いてしまった。

何も知らずに、笑っていた少女。
甘いことに。
通りすがりの旅の剣士を無条件に信頼して。
騙されているとも知らずに。
利用されるとも知らずに。

ずっと、考えていた。

知れば、どんな顔をするだろう。
『アリオス』が誰なのか?
『皇帝』が何者なのか?
そして。

『彼ら』が自分に近づいた目的がなんなのか?

それを知ったなら。
泣くだろうか?
絶望するだろうか?
憎むだろうか?
―――――――― 笑顔をなくしてしまうだろうか?

関係ない。
彼女がどうなろうとも。
壊れてしまおうとも。
むしろ。
その方が、好都合。
邪魔者が消える。

だが。

嫌だ。
なくしたくない。
この少女の笑顔を。
無垢な。
その背に白き翼を頂いた天使を。
守りたい。

相反する気持ちが。
『彼』を苦しめる。

亡き少女の面影を重ねていただけなのに。
『器』としてしか見てなかったはずなのに。
彼女の意志など、意に介さなかったのに。

いつしか認めざる想いに変わっていた。
必死にその想いと戦っていた。

「どうすればいい・・・・・?」

指を少女の首すじに伸ばし。
一瞬、躊躇った後。
そっと触れる。

そして、指がかすかに離れた後には。
触れる前には確かにあった彼が付けた朱い痕。
それが、跡形もなく消えていた。
本当は。
消したくなかった。
自分がいたという印を、彼女の体に残して置きたかった。

しかし。
それは許されぬこと。
他の誰でもなく。
レヴィアス自身が許さぬ罪。

否。

すでにとり返しのつかない罪を犯してしまった。
それが壓略だったとしても。
同意の上のことだったとしても。
同じこと。
清廉なる天使を穢したということには、変わりない。
未来永劫に。
背負わなければならぬ罪。

そして、自分の為に命を絶ってしまった少女にも。
裏切ったも同然のこと。
この十年間、すべては彼女の為にあったのに。
それだけに生きてきたのに。
今はもう、それでは生きられない。
生きてはいられない。

誰一人として、幸せに出来ず。
傷付けることしか、なくすことしか出来ない。
手に、入らない。
手に入れることは、許されない。

出来るわけがない。
自分が誰かを幸福になど。
呪われたこの身で。
忌まわしき血が流れるこの身で。
相手を闇に堕とすだけ。

けれど、自分の隣で眠る少女は違う。
皆に祝福され、慈しまれ、愛される天使は。
幼き宇宙を、そこに生まれ出でるだろう民の全てを。
やさしき光で包むだろう。
誰もに笑顔を与えるだろう。

この自分にさえも。
なくしてしまったはずの。
心からの笑顔を、再び与えた。

だから、欲した。
許されぬことと、知りつつ。
彼女に手を伸ばした。
もはや否定できない、抗えぬ想いと共に。

「どうすれば、いいんだ・・・・・・アンジェリーク。」

切なげな声が闇に吸い込まれる。


「殺しておしまいなさい。」

突然響いた声にレヴィアスは、はっと我に返る。
「・・・・・・キーファ、覗きとはいい趣味をしているな。」
「殺しておしまいなさい、レヴィアス様。首に当てた手にほんの少し力を入れれば、すぐ済みますよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「あなたが選んだ道には、邪魔になるだけの存在でしょう?もしご自身で出来ぬとおっしゃるのなら、私が処分致しますが。」
くすくすと笑う参謀の言葉の中に、聞き捨て鳴らぬ音を聞いた。

「・・・・キーファ。」

「『処分』とはどういう意味だ?」
「そのままの意味ですが。私があなたのため、エリス様のために、器となる女を殺めるのはいつものことでしょう?」
一瞬怯みながらも光の守護聖の顔をした部下は笑みを称えたまま、青年にとって今は触れたくない過去を抉る。
「・・・・・・まぁいい。だがな、」
しかしその旨の痛みを隠し、彼は鋭い瞳でキーファを射抜く。
「我がいつ、おまえに意見を乞うた?出過ぎた真似をするな。今すぐここで消されたいか?」
「・・・・・・申し訳ございません。」
言い開きを口にするも明らかに承知してない様子の部下から、彼は視線を外す。
「・・・・・もうしばらくしたら、帰る。明日の準備をしておけ。」

明日の準備。
それは少女と戦う為のもの。
自らの言葉に、心が締めつけられる。

「では、明日、ご自分でその女の息の根を止めるのですね?」
「・・・・・・・・帰れ。」
「はい。・・・・・・・・・・失礼致します。」


殺せるわけがない。
出来るものなら、とっくにやっている。
たとえ、『器』のことがなくとも。
自分に彼女の命を絶つことは、出来ない。

天使は、天上の国にやがて帰るだろう。
『皇帝』という名の悪を討つ為に、しばし地上に降臨しているだけ。
今だけだ。
手が届くのは。
清輝なる世界に帰座してしまえば。
二度とこの胸に抱きしめることはない。

見上げれば、そこにいるのに。
天使から女神へと還った少女が、手を差し伸べてくれているだろうに。

そこには行けない。
天上の門は、自分の為には開かない。
この背の黒き翼では、近づくことさえ叶わず。
近づけば、この身は消滅してしまうだろう。

―――――――――――― 消滅。

それもいいかもしれない。
きっと、それが唯一、罪に囚われない方法。
少女を貶めたりしない、堕としたりしない、唯一の罰。
自分が彼女に出来る、たった一つのこと。

「我を憎め、アンジェリーク。」

どんなに愛していても、大切に思っている存在でも。
必ず、憎める。
それを自分は知っている。
知ってしまった。
だから。

「おまえは、我を憎め。」

静かな命令口調のその言葉とは裏腹に。
愛しげに、彼女の瞼の端に残る涙を拭う。
そして、金と碧の目を伏せ。

願う。

なにか心に決めたように少女を抱き上げ。
再び身につけたマントを翻す。

不可思議の力で、一瞬にして風景が変わる。

少女の仲間のところに。
天使が在るべき部屋に。
そのベットにそっと彼女を降ろす。

「絶対だ。・・・・・・・我のところまで来い。」

触れるだけのくちづけ。
約束の証。

名残惜しげに、かすかに微笑む。

転移の魔導を発動させ。
『皇帝』は城に帰る。
『救世の天使』を迎え撃つ為に。

「約束だ。必ず、『俺』を・・・・・・・・・」

しかし、言葉は最後まで続かず。
だが、続いたとしても、少女には届かず。



そして二人は。
決戦の朝を迎えるのだった。