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畢生の約束


華やかな舞踏会。
楽しげに踊る人々。

それを背にして涼やかな夜の風景に身を置いた青年は微かなヒールの音に不意に気付き、小さく舌打ちをする。
「・・・見つかっちまったな。」
そして眉間に皺を寄せた顔で振り返り、いつもより少しだけ華やかなドレスを身に纏った少女が想像通りの表情でそこにいたことに心の中で溜息を吐く。
「女王が抜け出してきて大丈夫なのか、アンジェリーク?」


どうしてこういう時に限って、こいつは鋭いのだろうか?
いつもは鈍いにも程があるだろうと言いたくなるぐらいなのに。
誰にも気付かれずこっそり帰ろうと思っていたのに、あっさり見つかってしまった。

もっとも。

昔に比べればぬるま湯としか言いようのない今の生活に慣れ、自分の感覚の方が鈍ってしまっている可能性も十分あり得るが。


そんな自嘲する彼の心中など露知らず、パーティの人波の中から消えた人を追いかけてきた少女は蒼い瞳を僅かに不安げに揺らし、薄い紅に彩られた唇を一瞬躊躇いながらも開く。
「えっと、あの・・・帰っちゃうの・・・?」
「そうだよ。帰るんだよ。」
か細い声で控えめに投げかけられたその予想通りの質問に、アリオスは長い前髪を掻き上げながら向き直る。
そして主に対するものとは思えないほど不遜な態度で、自分の行動を言葉にして彼女に突きつける。
「俺には舞踏会なんて、性に合わないからな。昔の・・・嫌なことを思い出して、不愉快になるしな。」
「アリオス・・・」
更に理由を付け加えてやれば、自分の過去を知る少女の表情は不安から悲しげなものに変わる。
「・・・悪かった。お前が気にすることじゃねぇよ。」
その無関係にも拘らず胸を痛める姿に己の余計な口を恨み、彼は謝罪を口にしながら彼女に近づき、茶色の髪に隠れた額を軽く小突く。
「じゃあな、行くぜ。」
「うん・・・気を付けて帰ってね。」
そして別れを口にすると、少女は慌てるように笑みを浮かべ見送りを口にする。

「おい・・・そんな顔するなよ。」
「え?」
その寂しさを隠すためと相手の意思を尊重するために無意識にそして無理矢理に作られた笑顔に、アリオスは動き掛けた足を止める。
しかし笑顔の理由を見抜かれた彼女は何故目の前の彼が眉を寄せているのか判らず、小首を傾げて見下ろす顔を真っ直ぐに見上げてくる。
「ったく、しかたねぇな・・・」
自分の憤りなどまるで理解してないその表情に青年はかえって笑いがこみ上げ、口の端を上げながら少し考える。
「じゃあ、今度、どこか別の場所に二人で行こうぜ。」
「え?どこかって・・・」
「どこへでも連れて行ってやる。」
いきなりの提案にアンジェリークがますます首を傾げると、彼は尊大な口調で言い切る。
「俺がよく行く店や場所を案内してやるよ。俺しか知らない秘密の場所も教えてやる。まぁ、お前が動ける範囲でだが・・・それでいいか?」
「本当?いいの?」
「ああ、女王様やら守護聖様やらが企画した舞踏会を抜け出すんだからな。それぐらいしなきゃ罪滅ぼしにならねぇだろ?」
自分に深入りされることを嫌うはずの青年にしては余りにも度量の広い提案に驚き、少女は信じられないと言う表情で確認する。
すると彼にとっては真実ではないが彼女にとっては納得できる理由を告げられ、彼女は驚きを嬉しさに変える。
「約束よ?」
「ああ・・・約束だ。」
そして小指を差し出して、確約の指切りをねだる。
そんな幼ささえ漂う仕草にアリオスは苦笑しながらも、自分の小指を絡めてやる。

「ったく、そんなに嬉しいか?」
「うん、嬉しい。」
さっきまで萎んだ花のようだったのに、今はそれが嘘のよう作り物ではない笑みを零してる。
そんな少女を内心微笑ましく思いながらも、青年は呆れたような口調で訊ねる。
すると彼女は躊躇いも何もなくあっさりそれを肯定し、花が咲いたような笑顔で見上げてくる。
「ねぇ?アリオスがよく行く場所や秘密の場所って、聖獣の宇宙にもある?」
そして自分が育てている場所にも気に入ってる所はあるかと、目をキラキラとさせながら愚問としか言いようのないことを訊いて来る。
「あのな・・・俺の行動範囲が一番広いのは、お前の宇宙だぞ?」
「ある・・・の?」
「ないわけがないだろ?」
逆説的に『ある』と教えれば、少女は更に笑みを深め幸せそうに蒼の瞳を細める。
「どうしよう・・・本当に嬉しい。アリオスを追いかけて来てよかった。・・・ありがとう。」
そして心からの感謝を口にし、細い指を青年の指に絡ませてぎゅっと握り締めてくる。
「本当に判ってないな、お前は。」
「え?・・・きゃあっ!」
そんな純粋な気持ちを伝えられた青年はそれを素直に受け止め、しかし自分の一番気に入っている場所がどこなのか気づかない鈍さに苦笑し同時にほくそ笑む。
そして捕まえられてない方の腕を彼女の腰に回して、細い体を抱え上げる。

「アリオス?」
「予定変更だ。今から一ヶ所連れて行ってやる。」
「え?で、でも、もうわたし戻らないと・・・」
突然のことに驚いて抱きついてきた少女は、戸惑いの表情で頬を染めて間近で見つめてくる。
その顔に連れ出すと告げれば、彼女は僅かに背後に目をやり困ったように眉根を下げる。
「いいから少し付き合え。」
しかし有無を言わせず、青年は腕の中を『一番気に入っている場所』にして、『不愉快な場所』から抜け出したのだった。




「わぁ・・・きれい。」

次の瞬間、少女の目に入ったのは満天の星空。
思わず感嘆の声を上げ、連れてきてくれた青年の顔に視線を降ろす。
「ここ・・・聖獣の聖地?」
「ああ、もう障壁はすぐそこだが・・・それでも宇宙のどこよりも空気は澄んでいる聖地だからな、その中でも灯りがない分、俺が知る限りここの星が一番きれいだ。」
感覚を研ぎ澄ませなくとも自然と自分の存在が馴染んでいるのが判りし、半身の存在も鮮明に感じられる。
確認のために自分を抱える人に訊ねれば肯定の言葉が返ってきて、彼の気に入ってる場所が聖地にもあると知った彼女は自然と顔を綻ばす。

「あ、そういえば・・・」
しかし不意に思い出したように声を上げ、少女はくすくすと笑い出す。
「どうかしたのか?」
「あのね、昔、アリオスにさっきみたいに連れ出された丘の上で一緒にこうして星を見たなって、思い出したの。」
「あぁ・・・そういえば、そんなこともあったか。」
その笑いに怪訝そうに見遣れば、少女は懐かしそうな表情でもう遠い過去のような気がすることを口にする。
そんな想い出語りに、アリオスは日が暮れていく中で一番星を見つけたとはしゃぐ彼女を記憶の中に見つけ、思わず苦笑する。
「よく憶えてるな、お前。」
「憶えてるわ、楽しかったもの。」
楽しかったのはあの時のことだけか、それともあの旅か。
後悔はないものの多少後ろ暗い気もする少女が旅をすることになった原因である青年は、楽しそうに空を見上げる横顔に目を細める。
「あの時探したのは、あの旅で巡った星々だったけど・・・きっともうあの時探した星の数とは比べ物にならないぐらい、アリオスはこの空にある星に行ったのよね。」
しかし表情とは裏腹にその彼女の言葉には少し感傷と自分への羨望が込められていることに気付き、彼は二色の瞳をそっと伏せる。

「・・・連れてってやるよ、お前が自由の身になったら。」
「え?」
「俺が行った星を一つ一つ案内してやる。」
そしてとうの昔に心に決めていたことを、彼なりの言葉で彼なりに伝える。
すると天に向けられていた碧い瞳は一瞬にして自分に向けられ、困惑した表情でその頭は傾げられる。
その顔に青年はクッと喉を鳴らして笑い、はっきりと説明を付け加える。
「お前がここを出られるようになる頃には膨大な数になってるだろうからな、一生かかっちまうだろうが。ま、『どこへでも連れて行ってやる』って、さっき約束しちまったしな。」
不遜な態度で告げられたいきなりすぎる彼の言葉に思考が止まってしまい、アンジェリークはとっさに反応が出来ず彼の顔を固まったまま見つめてしまう。
「・・・間抜け面。」
「?!」
「なんだ?嫌なのか?」
「うっ、ううんっ!そんなことないわっ!」
すると自分を片手で抱き上げたままの青年に額を小突かれ、少女はハッと我に返る。
そして断るつもりかと訊ねられ、彼女は慌ててその首を横に振り上ずった声で否定する。

「あの、本当に、一生・・・?」
「ああ、連れて行ってやる。」
「ずっと、アリオスと一緒・・・?」
「指きりまでさせられたしな。破ったら怖いだろ?」
そしてじわじわとその意味を理解した少女は自分にとって重要な部分を噛み締めるかのように反芻しながら訊ねれば、改めて青年は了解を口にする。
重ねてもう一度自分の言葉で訊ねてみても、素直ではない返答ではあるものの首を竦めつつ頷いてくれる。
「アリオスッ・・・!」
言われたことが聞き間違いでも勘違いでもないことをようやく認めることが出来た彼女は、自分を抱く人の首にぎゅっと抱きつく。
「まぁどんなに長く見積もったって、せいぜい百年だろ。嫌でも我慢して付き合え。」
「うん・・・付き合う。連れてって。」
そんな涙を滲ませて自分の首元に顔を寄せた少女の耳に、青年は軽口めいて拒否は却下だと告げる。
すると彼女は瞳を潤ませたまま口元に笑みを浮かべて快諾を口にし、一生を共にするだろう人の近づく唇にうっとりと瞼を伏せる。


「だからずっと傍にいてね。」