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Martyr
虚空の城。
中庭。
そこに佇んでいた黒髪の青年は、呼ばれたような気がして振り向く。
だがそこには夜風が吹くばかりで。
城の名と同じように何もそこにはなかった。
「気のせいか・・・・・・」
彼が頭を振り、主人の元へと向かおうとしたその時。
今度こそはっきりと彼の名が紡がれるのを聞いた。
「カイン様・・・・・・」
もう一度振り返りその姿を認めて、朱い瞳を見開く。
本当の姿は、生きていた頃の姿は、見たことがなかった。
にもかかわらず、見覚えがあるその容姿。
茶色い髪と、蒼い瞳。
敵である少女と良く似た面影はあるが。
違うことは、一目で判る。
彼女は ―――― 彼が仕える者が愛した人。
「エリス様・・・・?」
救世の天使より長い髪のその人は哀しみの色を湛えて。
カインを見つめそこに立っていた。
「いいえ・・・わたしはあなたに『エリス様』なんて呼ばれる資格はありません。」
「ですが、あなたは・・・・」
「ないんです。」
参謀の言葉を遮って、少女は首を振る。
「レヴィアスを修羅の道へと導いたのは、わたし。例えそのつもりがなかったとしても・・・・だから、そんなふうに呼ばれる資格はないんです。」
寂しそうに笑い、彼女は告げる。
少女が塔から身を投げ、命を絶ったのは消しようがない事実。
だが、それには理由があった。
未だ彼が心を痛めていることと重ねられる理由が。
だから、何も自分を否定することはない。
そう、思うのだが。
「・・・・・・お願いがあるんです。」
意を決したようにエリスは口を開いた。
「あの人を・・・・レヴィアスをこれ以上あの子と戦わせないで下さい。」
「エリス様?」
付ける必要はないと言われた敬称を付け、カインは眉を顰める。
「自ら傷つくところを、もう見たくないんです。」
涙を浮かべ訴える少女に、絶句する。
だか、すぐに心を取り戻して小さく笑う。
「あの子・・・・・とは、あの救世使だと祭り上げられている少女のことですか?」
「・・・・ええ。アンジェリーク・・・・レヴィアスを救えるのはあの子だけです。」
真剣に頷く彼女に、彼は戸惑う。
「もう・・・・・レヴィアス様を愛してはいられないんですか?」
目を伏せて命を亡くしてしまった者は、また首を振る。
「わたしでは・・・もう、駄目なんです。」
「そんなことはっ・・・・!」
カインは真っ向からその言葉を否定する。
多分それは、彼の主人の為ではなく彼自身の為に。
「あなたはレヴィアス様の大切な・・・・」
「大切な想い出、でしょう?」
「エリス様・・・・・・」
呟き微笑む姿に、それ以上否定できなくなる。
「なぜ・・・・今頃わたしが姿を現したのか判りますか?」
この十年間、一度も現さなかったにも関わらず。
止めるなら今でなく、反乱、いや、革命を起こした時に止めるべきだった。
あの時ならば、まだ戻れたかもしれない。
止められたかもしれない。
「ずっと、ずっとわたしの魂は閉じ込められていました。あの人の心の檻に。」
「レヴィアス様の・・・・?」
「無意識だったんでしょうね。あの頃、まだ魔道の力を持っていることは本人さえ知らなかったし、レヴィアスはわたしがいることにずっと気が付いてなかった。・・・・それでもいいと思ってました。側にいてあげられるのならそれでも。」
月を見上げて少女は言葉を紡ぐ。
「けれど、今、わたしはここにいます。・・・・その意味、判りますよね?」
突然振り返られて、思わず顔を背ける。
その意味。
それは ―――――――
「それが・・・・・レヴィアス様のご意志だと?」
頷いて、エリスはカインに近づく。
「わたしでは、もうあの人を救えない。あの人の側にずっといられないんです。」
「けれど、あなたはかつての姿でここにいるじゃないですか?たとえ肉体は持たずとも、いいえ、器さえあれば・・・・」
無駄なことだとは判っていた。
日々、主人が苦悩に満ちていく姿を見ていたから。
その意味にも、とうの昔に気付いていた。
けれど、それは彼の心の中に今も息づいている想いから認めることが出来なかった。
想いを投影させる為にはそれは必要だった。
「これは、この姿は囚われていた時の彼の魔導の残り香のようなもの。しばらくすれば、消え失せます。そして、器も・・・もう誰も望んではいないんです。」
「・・・・どうあっても、駄目なんですか?」
「ええ・・・・・」
真っ直ぐに見詰められて、諦めたように溜め息を吐く。
「判りました。・・・・けれど、あの二人が戦うのを止めるのは無理です。」
参謀の言葉に、エリスは唇を噛み締める。
「・・・・・・かもしれません。けれど・・・・・」
「無理です。」
重ねて彼は告げる。
今更曲げられるのならば、ここまでしなかっただろう。
苦悩など、するわけがなかった。
心が揺れるはずがない。
「わたしが付き従うのは、レヴィアス様ただ一人です。あの方の命ならば、喜んで受けましょう。けれど・・・・」
たとえ、それが心の真実だとしても。
逆らえない。
逆らってはいけない。
そのことにより、生きては貰えなくなるかもしれない。
彼にとって、それだけは起こってはならないことだった。
「・・・・・そうですね。あなたはあの人の部下ですもの。無理を言って、ごめんなさい。」
素直すぎるほどに少女は謝罪を口にする。
そのことに胸が突かれて。
「いえ・・・・・わたしは何も見なかったのですよ。」
「え?」
「あなたが救世の天使に何を話そうとも、気付かないほど、腑抜けた部下です。」
「カイン様・・・・・」
優しげな笑みで囁かれた悪巧みに、エリスは驚く。
「戦いは止められないでしょう。あの二人にはお互い立場があります。だが・・・・レヴィアス様のお心を救う手立てには、なるかもしれません。」
蟠りがない訳ではなかったが。
それがあの方の為になるのなら。
それも・・・・・いいかもしれない。
「二つほど、お尋ねをしても良いですか?」
「?・・・・なんですか?」
黒髪の青年に尋ねられ、茶髪の少女は首を傾げる。
「先程もお聞きしましたが、レヴィアス様のこと・・・・」
あえて答えなかったことを重ねて質問されて、俯く。
「・・・・・好きよ。」
「変わらないわ。変えようがないわ。だってわたし死んでるんですもの。」
ぎゅっと胸元を握り締め、ずっと内に秘めていたものを吐き出す。
「妬いてない訳ないでしょう?憎いわよ、わたしを追い出したレヴィアスも、わたしからレヴィアスを奪ったあの子も。けど、・・・・どうしようもないもの。わたしが悪いんだから・・・・」
ぽろぽろと涙を流して自分を責める彼女に彼は罪悪感を感じる。
言わせなくともいいことを言わせてしまったから。
「すいません・・・・」
「いいえ・・・・ごめんなさい、泣いたりして。」
目元を拭いなから、少女は反対に謝罪を口にする。
「・・・・もう一つは、なんですか?」
「どうして、私の元に?」
「一番・・・・・わたしに近いと思ったから。」
「近い?」
その言葉に彼は戸惑う。
「だって、あなたがレヴィアスの側にいる理由は『幸せになって欲しい』、それだけでしょう?」
「・・・・・はい。」
「もう・・・・わたしにはそれしか願うことが許されないから。」
亡霊の少女は、寂しげに、けれど想いを果たしたかのように微笑みを返したのだった。
「わたし・・・・もう行きますね。」
ふわっとその体が宙に浮く。
「エリス様・・・・」
「『様』はいらないです、カイン様。」
「なら、わたしにも不要です。」
二度と邂逅することはないだろう共犯者達は、目を合わせて笑いあう。
「お元気で・・・・というのも可笑しいですが。」
「ふふっ・・・・そうですね。」
そして星空の下、青年の見守る前で少女は空へと消えていったのだった。