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Pradiction




さまよえる鏡の惑星から戻った次の日の夜。

「あ〜っ!ちょっと待ったっ!!」

いつものように宿を抜け出そうとした白銀の髪の青年は、不意に呼び止められ顔を上げる。
そこには研究院より帰ってきたのだろう元精神の教官と、そして王立研究院の副主任。
その姿を認めて、彼は小さく白い溜め息を吐く。
「こんな夜に大声上げりゃ、近所迷惑だろうが。」
「それじゃ、こんな夜にどこにお出かけなのかな、旅の美剣士殿は。」
皮肉下に返されて、アリオスは眉を顰める。

まさかとは思うが。
封印した記憶が戻っているのか。
こいつの態度にはどうもそう思わせる節がある。
単に人を食ったような性格なだけかもしれないが。
どちらにしろ・・・・後少しのことだ。
それまでは『アリオス』は存在しなければならない。
救世の旅の一行に、な。

そう心の中で呟き、彼は口の端を上げる
「こう寒いんじゃ、酒の一杯でも引っ掛けなきゃ眠れねえだろ?」
「それももっともだがな。その前に研究院に寄ってくれないか?」
「研究院?」
ヴィクトールの言葉に、思わず首を傾げる。
「なんだよ、忘れもんでもしたのか?」
「いや・・・・実はな、赤毛のおチビさんがお前に逢いたがってな。」
「メルが、俺に?」
「帰ってきた途端、倒れただろう?酒場に行くがてら、少しでいいから見舞いに行ってやってくれると助かるんだがな。」
ロキシーの苦笑混じりの頼みに、彼はメルに対して一つ疑問があったことを思い出す。

本当はどうでもいいことだが。
せっかくの機会だ。
おそらく・・・・
これを逃せば、一生その答えは判らないだろう。
・・・・いや。
そもそも、まともな答えを得られるかも判らないが。
この際、尋ねてみるのもいいか。

「ったく・・・・しょうがねぇな。」

渋々を装い。
アリオスはその長い前髪を掻き揚げたのだった。


「よう、ちょっとは良くなったか?」
ノックの返事も待たずに、青年は扉を開けて倒れた少年が寝かされている部屋に入る。
「あっ!アリオス、来てくれたのぉ?!」
入ってきた顔を見た途端、寝ていた体をぴょこっと起き上がらせてパッと笑みを顔中に広げる。
「おまえが呼んだんだろうが。」
「あっ、そっか。」
自分の言葉に納得する顔を尻目に彼はそこにあった木の椅子に座る。
「わ〜い、嬉しいな。あっ、リンゴ食べる?ヴィクトールさんが持って来てくれたんだよ。」
枕元のサイドテーブルの上に置かれた籠から、彼の髪に負けず劣らず真っ赤な果物を一つ取って少年はお客様に差し出す。
「クッ・・・・サンキュ。」
それを受け取り、青年は服で擦って皮のままひとかじりする。
本当の彼なら、絶対にしないことだったが。
油断させる為か、それとも目の前の子供はそんな事をしないと知っているからなのか。
らしくなく、その欠片を飲み込んでみせた。
「・・・・・・なぁ、メル?」
「なぁに?」
ニコニコと自分に笑い掛ける少年に、手にりんごを持ったまま口を開く。
「俺が・・・・怖くないのか?」
彼は気取られない程度に視線を鋭くし尋ねた。

あれほど、あの鏡の塔を怖がっていたのに。
なぜ、俺のことを怖がらない?
あれは確かに俺の力を無断に吸い取り、成長したものなのに。
いくら正体を隠しているとはいえ、あの塔と俺の力の質は同じ。
俺が使うのは、あくまでも『魔法』ではなく『魔導』だ。
もっとも、最終的にはそんなことお構いなくに吸い込んでいたようだが。
だが、元々の根底は『魔導』。
あの森を歪ませたのは、俺の存在。
なのに、なぜ?

「どうして?メル、アリオスのこと、怖くないよ。」
何故そんなことを尋ねられたのか、まったく判ってない様子で彼は答える。
「アリオスは、とっても優しいもん。」
「・・・・・・優しいだと?」
「うんっ!!」
思いっきり頷く少年を片眉を上げて見る。
「最初はね、ちょっと怖かったけど・・・・でも、メル達の面倒見てくれるし、アンジェのことだって、何度も助けてくたでしょ。だから、優しいよ。」
「・・・・馬鹿言うな。俺が優しい訳ねぇだろ?」
「アリオス?」

優しい訳がない。
もしそう見えていたとしたら、騙されているだけだ。
それは『俺』自身の姿じゃない。
俺が優しい訳、じゃない。
絶対に。

「あんまり都合のいい夢見てるんじゃねぇ。」
碧の瞳で憎々しげに吐き出す。
「どこの世界になんの思惑もなく、他人の面倒を見る奴がいる?そんな甘いことを思ってると、いつか傷つくぞ。」
「・・・・・やっぱり、アリオス優しいと思うの。」
「なに言ってる?俺は・・・・・!」
尚も優しいと言い続ける少年に、アリオスは苛立つ。
けれどそんなことは少しも気にせずに、メルは嬉しそうににっこり笑う。
「だって、本当に優しくなかったら、そんな事忠告してくれないと思うの。それにね、メル、占い師だから少し判るんだ。」
「・・・・・何がだ?」
「気持ちが、心の動きが、判るの。」
目を閉じて何か目に見えない空気を感じるように彼は語る。
「だからあの塔が、すごく怖かったんだと思う。」
「ハッ、腹が減って減ってどうしようもないのが判ったとでも言うのかよ?」
「うん、そうだよ・・・・閉じ込められて、食べられちゃうんだと思った。」
恐怖が蘇ったのか、急に元気をなくす。
けれどすぐに気を取り直したように、青年に笑顔を向ける。
「でもね、だからアリオスは怖くないよ。ううん、初めてあった時よりもずっと優しくなってるよ。」
その純粋な透き通る朱い瞳に、思わず顔を反らす。
「ったく、どいつもこいつも・・・・・」

お綺麗な奴等ばかりだ。
俺が・・・・この俺がそんな心を持っているはずがない。
そんなものは十年前に捨てた。
人の心など、もう持ってない。
持っているはずがない。

「それでもな、ちょっとは人を疑うことも憶えろよ。」
その胸の内とは裏腹に、アリオスは口の端を上げる。
「いくら勘がいいって言ってもな、直感だけであんまり行動するんじゃねぇぞ。」
額の朱い宝珠をピンッと一つ叩いて、彼は立ち上がる。
メルが叩かれた瞬間、目を見開いたのに少しも気付かずに。
「それじゃあ、俺はもう行くぜ。うかうかしてると、酒場が閉まっちまうからな。」
いつものもっともらしい『理由』を口にして、見舞い客はドアノブに手を掛ける。

「・・・・・!」
「・・・・び、びっくりした。アリオス、来てたの?」
けれど扉を開けた彼の前には、氷水が入った洗面器を抱えた少女が立っていた。
どうやら開けようとしていたドアが勝手に開いて驚いているその様子を、彼は碧の瞳でしばし見つめる。
その視線に少し赤くなりながら、アンジェリークは小首を傾げる。
「な、なに?」
「なんでもねぇよ。・・・ったく、人のことばっか構ってねぇで、おまえもさっさと休めよ。病み上がりだろ?」
「あ・・・うん、わかった。ありがとう・・・・」
気遣う言葉に素直に微笑む彼女に、クッと笑う。
「また倒れられて、おまえの重い体を受け止めさせられるのは災難だからな。」
「そ、そんなに重くありませんっ!」
「そうだったか?」
「そうよっ!」
「ま、そういう事にしておいてやるよ。じゃあな。せいぜい、ゆっくり療養しろよ。」
ムキになって怒る少女に食べ掛けのりんごを渡し。
その横を通り過ぎて、彼は後ろ手で二人に別れを告げて外に出た。

そう・・・・・
ゆっくり療養してから、俺のところへ来い。
『皇帝』への憎しみを糧にして。
『アリオス』のことなどきれいに忘れて。
万全の態勢で、全力で戦え。
優しさなど微塵にも感じられないぐらいに、返り討ちにしてやる。
せめてこの手で、命を絶ってやる。

それが・・・・『俺』自身の優しさだ。

舞い落ちる雪の中。
レヴィアスは闇に身を溶かし。
部下達が待つ仮初めの城へと帰ったのだった。



「アンジェ・・・・・」
「メルさん?」
名をポツリと呟かれて彼女が振り返ると、朱い大きな瞳からぽろぽろと涙が零れていた。
「どうしたんです?」
「今、見えたの・・・・・」
「何が・・・・です?」
様子がおかしいのに気が付き、少女はベッドの縁にしゃがみこんで覗き込む。
「アリオスが・・・・アリオスがいなくなっちゃうよっ!!もう、帰って来ないよっ・・・・!!」
訴えられたことに一瞬目を見張り、その華奢な体を強張らせる。
けれど動揺を隠して努めて笑顔を作り、アンジェリークは枕元のタオルでその涙を拭う。
「大丈夫ですよ、メルさん。アリオスは帰ってきます。いままでだって、どこかに行っちゃってもちゃんと約束の時間までには帰って来てたじゃないですか。」
それは泣きじゃくる少年を慰める為というよりも、自らの内にある不安を打ち消す為だったかもしれない。
少女もその予感はどこかで感じていたから。
同時に、彼との別れが嫌だと言う気持ちも。
「これからだって、きっと・・・・・」


だが。

祈り願う天使のその言葉も空しく。
数日後、占い師の予言は実現してしまうのだった。