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Portrait Painter




「・・・・・・・・・・楽しいか、おまえ?」

広い花畑の中の大きな木。
その根元で寝っ転がる人に呆れたような声を掛けられて、アンジェリークは顔を上げる。
けれどすぐに目線を戻して、何か考え込むようにしながら答える。
「楽しいわよ、だからアリオスは有意義にお昼寝してて。昼寝しているあなたごとスケッチするから。」
「イヤミか・・・・・」
膝の上にスケッチブックを置き絵筆を動かす少女を眺めながら、アリオスは少し呆れる。
「ったく・・・そんなもん、色あせちまうって言っただろうが。」
そして先週ここで言ったことを、繰り返し口にする。
「いーのっ!アリオスがいる風景を描くことが今のわたしには有意義なのっ!」
「そうかよ・・・」
強固の断言する彼女から目を逸らし、彼は仰向けになって目を閉じる。
「『今』を紙の上に切り取っておいたって、どうしようもねぇと思うんだがな。」
「どうして?変わっちゃうから、残しておくって考え方もあるじゃない。」
「残しておこうという気もなくなるかもしれねぇじゃねぇか。」
「っ・・・・そりゃ、そうかもしれないけど・・・・」
へ理屈をこねる彼に言葉が継げず、アンジェリークは困ったように彼を見る。

「アリオスだって、子供の頃、お絵描きの一度や二度したことがあるでしょう?」
「ねぇな。」
したこともないとあっさり断言され、ますます困り果てる。
「描いたことがねぇが・・・・・描かれたことだったら、あったな。」
その困ってる気配に気付いたのか、彼は視線だけこちらへ向け口を開く。
「・・・・・え?何を?」
「肖像画。」
そして更に簡潔に告げられた言葉に自分とはだいぶ違う彼の過去を思い出し、少女の思考は一瞬止まる。
「え、あっ・・・・そっか。そういうの、描いて貰ったことがあるのね、アリオス・・・・」
「皇族の務めだとかなんとか言って、ガキの頃に、な。・・・・ま、もう残ってねぇだろうがな、反逆者の肖像画なんて。」
フッと心なしか寂しそうな笑顔を浮かべる彼に、彼女は僅かに心が痛む。

懐かしくもないとは言っていたけれど。
それでもやっぱり前世の記憶がある以上、思い出してしまうのだろう。
不遇な扱いを受けていた頃のことを。
それはもう彼にとって、心の傷ではないかもしれないけれど・・・・・

「それじゃあ、わたしがアリオスの肖像画描いてあげる。」
「・・・・・・・・は?」
いきなりにっこりと笑って宣言されたことに、アリオスは一瞬呆気に取られる。
そんな彼を知ってか知らずか、少女はスケッチブックを一枚捲って寝ている姿をじっと見つめてくる。
「お、おい・・・・・」
「少しの間、動かないでいてね。」
「・・・・・・・・・・・おまえが描くのは、俺がいる風景じゃなかったのか?」
起き上がろうとしたのを止められて、なぜか言いなりにそのままの姿勢で怪訝そうに彼女に尋ねる。
「アリオスが描きたくなったの。・・・・・・・大丈夫、捨てたりなんかしないわ。」
「アンジェ?」
「わたしはあなたを捨てたりなんかしないわ。ずっと大切に、大事にするわ、『今』のあなたも、『未来』のあなたも。」

本当は『過去』も欲しいけれど。
『過去』の彼の願いを砕いたのは、自分だから。
『今』を一緒に過ごせるだけで、幸せだから。
『未来』も傍にいられたら、嬉しいから。

「ったく・・・・・・」
真っ直ぐに自分を見て微笑まれ、アリオスは苦笑しながら中途半端な体勢の体を起こす。
「愛の告白の次は、熱烈なプロポーズか?」
「え?そっ・・・・違っ・・・・・!」
真っ赤な顔で慌てて否定する少女にククッと喉を鳴らし、青年は長い前髪を掻き上げる。
「好きにしろ。ただし、」

「いい男に描けよ、アンジェリーク。」



「・・・・・・・・ま、おまえならこんなもんだろ。」

しばらくして。
ようやく出来上がった自分の『肖像画』を見て、モデルの青年は可愛げのない憎まれ口を叩く。
「いいの。別に・・・・アリオスにあげる為に描いたんじゃないんだから。」
その言い草に、少女は彼の手からスケッチブックをひったくる。
「・・・・・・・・・おい。」
「何?」
だが怪訝そうに片眉を上げられて、僅かに頬を膨らましていた彼女はそのまま小首を傾げる。
「おまえ、俺を描いたラクガキを持ち帰るつもりなのか?」
「え?」
「俺のことは、秘密にしろって言っただろ?誰かにそれを見られたら、どうするつもりだ?」
口の端を上げる彼に指摘され、アンジェリークはハッと気が付く。

彼がここに存在することも、彼とここで逢っていることも、秘密。
その秘めごとを一目で暴露するこれは、とっても危険なもの。
もしバレたら、彼はここから去ってしまうかもしれない。
それだけは避けたい。
ようやく逢えるようになったのだから。

「でも、せっかく描いたのにな・・・・あっ・・・」
そんな小さな声で呟いてがっかりしている彼女に隠れて苦笑し、アリオスはその手からスケッチブックを取り上げて自分が描かれた一枚を取る。
「これは俺が貰っといてやるよ。」
「え、でも・・・・」
「なんだよ、文句あるか?」
眉を寄せて見上げる顔に少し考え、彼は企み満ちて口の端を上げる。
「クッ・・・・安心しろ、報酬はちゃんと払ってやる。」
「え?」
きょとんとした少女の顎に手を掛け、青年は桜色の唇に自分のそれを与える。

「これでいいだろ?」
「ア、アリ・・・・・な・・・・いきな・・・・なに・・・・・」
「まだ不満か?」
ニヤリと口の端を上げる彼を、いきなりのことにうまく言葉にならないアンジェリークは真っ赤になって睨む。
「そ、そうじゃなくて・・・・・!」
「あいにくと食い物も金も持ち合わせがないんでな、払うなら体で払うしかねぇだろ?」
「なっ・・・・・」
ますます沸騰せんばかりに赤くなる顔に、アリオスは堪えきれない笑みに金と碧の瞳を細める。

「ああ、おまえ女王だったな。女王陛下作の絵画なら、やっぱこれじゃ足りねぇか。」
「いいわよっ、結構ですっ!」
なおも繰り返されるからかいに、少女は拗ねてふいっと顔を逸らす。
その仕種に女王らしからぬ愛らしさを感じてつつ、少しイジメ過ぎたかと息を吐く。
「んなふくれっつらしてると、元に戻んなくなるぞ。」
「アリオスが怒らせてるんじゃないっ!」
「そんなに怒るほど、嫌だったのか?」
「うっ・・・・・・・・・・そ、そんなことは、ないけど・・・・」
銀色の前髪をかき上げながら呆れたように訊ねられ、アンジェリークは口篭もる。

された行為自体は嬉しい。
それは間違いない。
でも・・・・

「だって、いつもわたしのこと、子供扱いしてからかうんだもん。キスだって、遊びとか冗談とか、アリオスにとってはその程度なんじゃないかなって・・・・」
「ったく・・・・・・・・・バーカ。」
しどろもどろにブチブチ言う茶色い頭を、アリオスは丸めた画用紙でポカッと軽く叩く。
「なにするのよっ!」
「黙って聴いてりゃ好き勝手言いやがって・・・・いいか、こんな下手なラクガキ、貰ってやるの俺ぐらいなもんだぜ?」
「なっ・・・・んっ?!」
ボロクソなその言い草に思わずまた大きな声を出しかけた唇を体ごと腕の中に閉じ込め、今度は少し深く塞ぎ黙らせる。
「・・・・・・・それにだ。例え遊びや冗談でだって、どうでもいいと思うような奴にくれてやるものはねぇよ。今の俺には、な。」
「え・・・・・?」
至近距離で真摯な表情を浮かべる青年を、アンジェリークは見開いた蒼い瞳に映す。
「アリオス・・・・・」
「絵姿だろうが、唇だろうがな。」
「・・・・・・・・・ありがとう。」
はにかんで微笑む少女に目を細め、彼は細い体を解放する。

「ま、そういうことだ。気が向いたら、また描かせてやる。」
「ほんと・・・・・?」
「ああ。」
スケッチブックを抱き締めて見上げる頭を撫で、アリオスは口元を緩める。
「俺のお抱え画家にしてやるよ。・・・・他の奴なんか、描くんじゃねぇぞ?」
「うん、判ったわ。」
そのわがままな命令にくすくす笑いながら、アンジェリークは頷く。


そして日の曜日の秘密の逢瀬は、続くのであった。