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東 風



太陽が頂点に達した頃。


深い眠りに身を任せていた青年は、沈みこませていた意識を取り戻す。

まず感じたのは、片腕に掛かる柔らかな重み。
そして、甘い匂いと自分のものではない小さな寝息。

全てが心地よいそれがなんなのか判りながらも、いや判っているからこそ億劫そうに金と碧の瞳を薄く開く。
「・・・・・」
想像に違わず、茶色く艶やかな髪がぼんやりとした視界に入る。
そして彼は自分が誰かと共寝をし、しかもその誰かの頭に顔を埋めていると改めて自覚する。

ったく、こいつは・・・・

何度か瞬きをして眠気を取り去り、アリオスは今の事態を把握する。
この宇宙の女王である少女が腕の中にすっぽりと収まり、胸元に張り付いている。
力は込めていなかったがひょっとして自分が抱きしめているからかと思い、そっと彼女の背に回していた腕を上げてみる。
しかしそれでも小さな体は自分にくっついていて、少女が自分から寄り添っていることが判る。
しかも小さな手は自分のジャケットを真っ白になるぐらいしっかり握り締めていて、離れないようにしている。

「逃げねぇって言ったのにな・・・・」

呆れが入っているその言葉とは裏腹に、アリオスは目を細め嬉しさを素直に顔に出す。
そんなすやすやと眠る恋人にはけして見せない笑顔を浮かべながら、握り締められた手に自分の手を沿え放させようとする。
しかし促されて力を抜いた指は促した彼のそれに絡められ、結局は繋ぎとめられてしまう。

「・・・・・・ホント、こいつに信用ねぇよな、俺は。」

その少女の行動に一瞬呆気に取られその手を凝視してしまうが、しかし青年はすぐに破顔する。
そしてその笑顔を苦笑に変えつつも、安らかな彼女の寝顔を見つめる。


寝顔どころか、もう二度と邂逅することはないだろうと思った。
自ら命を絶ったあの時に。
いや、自分が誰なのか告げたあの夜から。
ずっと、そう思っていた。

もはや『アンジェリーク』としてではなく、自分を討つ為に遣わされた『敵』として見なければならなかったから。
それが出来ていたかどうかは・・・・今となっては判らないが。

ともかく。

一つのベッドの上で寄り添い、眠る少女を見守ることが出来るとは思っていなかった。
再び巡り合う日が来るとは、思っていなかった。
ましてやこうして彼女の傍にいることが、触れることが出来る日が来るなど。
知らずうちに望んではいても、それはけして叶うはずがないと思っていた。

そんなあの頃の自分には甘美な夢のように信じがたく、受け入れがたいだろう未来がここにある。
そして今の自分がどの宇宙のどこよりも安らげる場所もここにある。

もう二度と自分から手を放すことなどないであろう『幸せ』が。



そんな取り止めのないことを考えながら、しばらくは腕枕をしている方の指先でクセのない髪を弄び、楽しそうにそうして眺めていたのだが。
しかしいつまで待っても蒼い瞳は開きそうもなく、青年は暇を持て余し出す。
今更もう一度寝直すことなど出来ず、彼は一つ溜め息をつき小さな肩に手を掛ける。

「おい・・・・起きろ。」
「ん、んぅ・・・」

途端に形のよい眉は不快そうにしわを作り、擦り寄るように胸に縋りついてくる。
そんな少女の無意識の誘いとも言える行動に内心そそられつつも押し込め、青年は眉を顰めながら揺する力を強くする。
「ったく・・・・起きろって言ってんだろ、コラ。」
「っ・・・・・?!」
そして耳元で囁きというには大きすぎる声で呼びかけると、細い体はビクンッと震え縮こまる。
一瞬何が起こったのか判らなかったらしく、寝ぼけ眼で腕の上の頭をきょろきょろと動かし周りを見る。
そして最後に首を上げて自分を抱く人を至近距離に見つけ、表情も体も固まる。
「よぉ・・・・・・起きたか?」
そんな相変わらずな彼女の寝起きぶりに、アリオスはニヤリと普段通りの笑みをイジワルげに浮かべる。

寝起きが悪いのは自分だけじゃない。
少女とて同じだ。
――――― いや。
起きてすぐに現状把握が出来る分、自分の方がいくらかマシだと思う。

機嫌がいい、悪いはともかく。

「なんで、お前まで寝てるんだよ?」
「な、なんでって・・・そ、そうよ、アリオスがベッドに引きずりこんだんじゃないっ!」
真っ赤になって反論する姿にククッと喉を鳴らしながら、彼は熱を持った額に自分のそれを重ねる。
「だからって、寝ることはないだろう?おまえの可愛い可愛い民の寝顔を温かく見守ることは出来ないのか、女王陛下?」
「なっ・・・・?!」
「それに、な・・・・・」
絶句する彼女を尻目に、彼は握り締められてる手を蒼い瞳に映る位置に持っていく。

「これは、どういうことだろうな?」

「あ・・・・?!」
目の前に突きつけられて、明らかに自分から大きな手を握っていることに自覚したらしい。
ますます頭に血を昇らせた少女は、慌ててしっかりと折り曲げていた指を伸ばそうとする。
だが二つの掌が離れそうになる寸前、反対にアリオスは小さな手を包み込み逃さない。
「ア、アリオス?」
すると目の前の表情が恥じらい交じりの戸惑いに変わり、揺れる瞳を向けてくる。
「散々俺を逃さないようにとっ捕まえておいて、今更逃げるこたぁねぇだろう?」
「そんな・・・別に、逃げてなんて・・・・」
「嘘つけ。逃げてるだろうが。」
その吸い込まれそうなその蒼い色に目を細め、依然頭を預けられたままのもう一方の腕を回り込ませ顎を捕らえる。
「え、ア、アリオス・・・あの、えっと、その、ね・・・」
「なんだよ?」
それでも僅かに後ずさりし何か他の話題を探そうとする少女を面白そうに見つめたまま、青年は離れた分だけ近づき訊ねる。

「あ、あの・・・起きたなら、お昼ご飯食べて、お散歩・・・・行かない、かなって・・・」

引きつった笑みを浮かべ小さな声で提案する彼女に、彼は『結局、逃げられたな』と心の中で苦笑する。
「クッ・・・ああ、そうだな。」
「っ?!」
しかしその代償だとばかりにぐいっと茶色い頭を引き寄せ、軽く唇を奪う。
そして未だこの程度のコトにも見事なぐらい朱に染まる少女を腕に収めたまま、彼は口の端を上げ起き上がる。
「そういや、聖地の昼寝場所に案内してくれるとか言ってたな。ご親切なことだな、アンジェ。」
「昼寝場所っ?!言ってないわよ、そんなことっ!もうっ、まだ寝るつもりなのっ?!」
「そう言うおまえも、今日は食っちゃ寝じゃねえか。人のコト言えるのか?」
「うっ・・・」
ベッドの脇に脚を降ろして立ち、またしても言葉を失った少女に手を伸ばす。
「でもアリオスみたいに毎日じゃないわ。」
「ったく・・・まるで見てるようなことを言うな、おまえは。」
柳眉を上げながらも素直に手を取る彼女に満足そうに笑い、アリオスは立ち上がらせる。

「もう・・・・確かにわたしは見てないけど、そうだったらいいなと思ってるだけよ。」
「?・・・何がだよ?」
「アリオスがちゃんと眠れる生活してればいいなって・・・・ね?」
握った手にもう一方の手を添えて真摯な表情で呟く少女に、青年は二色の瞳を僅かに見開く。
けれどその優しい願いに心を奪われながらも、彼は人が悪い表情を浮かべ空いた手でわざと茶色の髪を掻き混ぜる。
「え、やだっ・・・ちょっと、何するのよ、アリオス?!」
「整えてやってるんだよ、ぐちゃぐちゃだからな。」
あまりにも突然のその行動に彼女は慌てそれをやめさせようと、大きな手を解放して頭に手をやる。
「自分でやるからいいわよっ!」
「クッ・・・・そうかよ。」
いとも簡単に繋がりが解けたことに寂しさを感じつつも、彼は皮肉げな笑みを湛えて身を翻す。


どうして、こいつは人のコトばかり気にかけているのだろう?

こんないつ会いに来るのか判らない奴を。
普段どこでどうしているのか判らない奴を。

自分はその手を放すつもりはないが、いつ今みたいに放されるかと不安になるのに。
なのに少女は自分の安寧と願って、思いを馳せているという。
その相変わらずなお人よしぶりに呆れ、そして安心する。

できることなら、その相手は自分だけであって欲しい。
同時にそんなワガママな独占欲が頭を擡げるが。


「そのうち、イヤでも四六時中見張らせてやる・・・心配するな。」

「・・・え?今、なんて・・・・」
背後で上がった小さく声に一瞬柔らかく笑い、しかしすぐに元の笑みに表情を戻して頭だけ振り返る。
「さぁ、なんだろうな?」
「アリオス・・・・」
泣き出しそうな微笑みを湛えて自分を見つめる蒼い瞳に目を細め、彼はポケットに手をつっこみさっさと歩き出す。
「ぐずぐずするな・・・・行くぞ。」
「あ・・・・うんっ!」
慌てて腕にしがみついてきた少女に苦笑し、アリオスは細い体に身を預けられたまま連れ立って歩く。


まぁ・・・そのうち、な。


先ほどの言葉をもう一度心の中で反芻し、青年は近い未来を思い浮かべふっと目を細める。
そして柄じゃないと自嘲しながらも、隣を歩く少女と、少女と過ごす今この一時を何よりも楽しく愛おしく思うだった。