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Angelic Arietta
世の中、ほんといろいろな人がいる。
お金のある人、ない人。
背が高い人、低い人。
頭がいい人。要領がいい人。
そして、ちょっと常識外れな人も。
例えば、そう。
今、わたしの目の前でナイフの刃を握り締めて、目の前の男の子を睨みつけてる白いスーツのピアニスト、とか。
「アリオス!」
憤慨した声が、青年の名をなぞる。
「もうっ!ピアノ弾きが指大切にしなくてどうするのよっ!」
彼には少々不釣り合いなキャラクター物のばんそうこうを四本の長い指に貼りながら、アンジェリークは思いっきり文句を言う。
「はん、かすり傷に大袈裟な。」
「かすり傷じゃないわよ。どうして避けないのよ!・・・・・・・・駅のホームは禁煙!」
少女は残りのばんそうこうをカバンにしまい、不機嫌そうな口元からタバコを引き抜く。
「ったく、うるせーよ。おまえをナンパする野郎が悪いんだろうが。」
事の起こりはこうだ。
待ち合わせ場所である駅前にある大画面のTVの前でアンジェリークは、アリオスを待っていた。
そこへ彼女と同じぐらいの二人組の男の子が声を掛けてきた。
よくは覚えてないけれど、常套文句の「いま暇?」とか「遊びにいかない?」とかその辺だっただろう。
もちろん、少女は即答で丁重にお断りをした。
しかし、この年代のこの手の男は案外しつこいものだ。
学校帰りで制服だったのも原因かもしれない。
なにしろ、彼女のそれはいわゆる良家のお子様方が通うことで有名な学校のものだったので。
実際にはそんな人間なんてほんの一握りだし、その彼らだって誰も彼も坊っちゃん嬢ちゃんしているわけじゃないのだけれど。
イメージというのは恐いものだ。
彼女は世間知らずに見られたのだろう。
なおも誘いを掛ける少年達に、アンジェリークは少し困った。
困っていたら。
彼らの片方が吹っ飛んだ。
「ア、アリオス・・・・・・・・」
あまりのことに、少女は彼を蹴りつけた青年の名前を呼ぶのが精一杯だった。
「ふん、クソガキが。人の女ナンパしようなんざ、いい度胸だな。」
「や・・・・やりすぎよぉ。」
「はぁ?おまえだって困ってただろうが。」
「そりゃ・・・・そうだけど。」
それでも10メートル近く吹っ飛ばすなんて、ひどいと思う。
一方少年達は。
やっぱり一瞬、何が起こったか理解できなかった。
が、我に返り。
蹴っ飛ばされなかったほうの彼は、ポケットの中から銀に輝く刃を取り出す。
そして、相方の仇に襲い掛かった。
「あっ、アリオス!危ないっ!」
実力に裏付けられた自信家の彼が、ぺっぴり腰の高校生の攻撃を避けられないはずがない。
あっさりかわすのかとアンジェリークは思ったのだが。
彼は少年に背をを向いたまま、ナイフを握り締めていた。
その場から一歩も退かずに。
「ア、アリオス、なにやってんのよ・・・・」
「本当にいい度胸してるな、おまえら・・・・・・・」
自分の手を見て真っ青になっている彼女の言葉など、耳に入らず。
アリオスは、どすの効いた声で彼らに振り向く。
いい加減、腹が立った。
銀の髪の青年は目をすーっと細める。
「恨むんなら、この俺にケンカ売った自分達の運の無さを恨むんだな。」
やばい。
顔がいつもにも増して、悪人になってる。
ほっとくと何をするかわからない。
慌てて、少女が青年の腕を引っ張った時。
「コラッ!そこ、なにをしてるっ!」
黒い制服を着た警官の姿が遠くに見えた。
「まずい、行くぞ。」
「うん!・・・・・・・きゃっ!」
返事を聞くが早いか、彼は彼女を小脇に抱える。
怪我をしたのはアリオスで。
たぶん蹴っ飛ばしたことは、暴行には当たらないだろうけれど。
警察のお世話になるのは、二人ともなるべくなら避けたかったので。
全速力で逃げた。
「こんなことして・・・・・・・・ピアノ弾けなくなっちゃったらどうするの?」
ホームに入ってきた電車に乗り込み。
少女は、彼の怪我をした手を握り締めたまま呟く。
「別に弾けなくなったって、今更かまやあしねぇよ。とうの昔に諦めた道だしな。」
そう言って、反対の手を眺める。
そこには、今さっきの怪我とは比べ物にならないほどの傷痕。
「でも、わたし、あなたのピアノ好きよ。だから、そんな風に言わないで。」
「・・・・・・・ピアノだけか?」
「え?」
意味が分からずアンジェリークが顔を上げると、頭ひとつ分上にあるはずのアリオスの顔が目の前にあった。
「ア、アリオス?」
「おまえが好きなのは、俺のピアノだけか?」
からかいを含んだその言葉に、少女は一気に血が昇る。
「・・・・・・・・意地悪。」
そんなこと知ってるくせに。
公衆の面前で言わせようだなんて、本当に意地悪。
「そうか?」
「そうよ。」
「じゃあ、質問を変えるか。」
「なぁに?」
頬を染めてキョトンとして見つめ返す蒼い瞳に、アリオスはニヤリと笑う。
「俺の指は、ピアノでしかおまえを悦ばすことが出来ないのか?」
「?」
「なぁ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バッ、」
からかいが増したその瞳の光に、収まり掛けた血が再び逆流する。
「バカァッ!」
「バカ?」
「ままままま、真っ昼間から、なっ、何言ってんのよっ!!」
電車の中だと言うことも忘れ、思わず叫び上げる。
「真っ昼間じゃなけりゃ、いいのか?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!そんなことより!」
何故か満足そうに笑う彼にアンジェリークはまだ顔から血が引かないまま、まだ答えてもらってない質問を繰り返す。
「どうして避けなかったのよ?」
「・・・・・・俺が避けたら、おまえに当たるだろう?」
心なしか照れくさそうに彼は言う。
確かにあの時、彼女は彼の影にいた。
アリオスが盾になってくれなかったら、きっと怪我をしていたのはアンジェリークの方だっただろう。
「かばって・・・・・くれたの?」
「・・・・・・あぁ。」
「・・・・・・・・・ありがとう。」
少女は嬉しそうに、礼を言う。
が、しかし。
「でも、もっと別の方法があったでしょう?何も、ナイフ握んなくたって良かったのよ。」
「・・・・・・・ほんと、ころころ変わるな、おまえ。」
「話しそらさないでよ。」
「おまえもそらしただろ?・・・・・・ほら、着いたぞ。」
「えっ、あ、待ってよ〜。」
「こんにちは〜。」
アンジェリークはアリオスと連れ立って、駅から程無い所にある落ち着いた感じのレストランに入る。
週に一度、土曜日、彼女はここでバイトをしている。
母から許してもらったギリギリのラインの仕事だ。
銀の髪の青年はそんな言い付けを律義に守っている少女に、「よっぽどの箱入りか、クソ真面目かだな。」と鼻で笑う。
周りの友人に比べたら、すずめの涙ほどしかバイト代は貰えないけれど。
それでも自分で稼いだお金があるというのは、嬉しい。
年上の恋人に頼ってばかりじゃ、甘えてばかりじゃ嫌だったから。
自分自身の力で、いつか彼になにか出来たら良いと思う。
「よぉ、お嬢ちゃん、良く来たな。」
にこやかにこの店のオーナーは、挨拶をする。
ほとんど予約制なのと昼の混雑が終わったばかりなのとで、今の時間、店の客は1,2組しかいない。
その客も顔なじみの常連ばかりだったりするので、奥の方に居座っている。
他の従業員はというと、オーナーがいるなら大丈夫だろうと、もう休憩に入ってしまったらしい。
「俺には挨拶はないのか。客だぞ。」
アリオスは不満気に赤い髪の悪友を睨む。
「毎週毎週、コーヒー一杯で閉店まで粘る奴は客じゃない。ロリコンな上に過保護が。」
「店のオーナーがおまえじゃなかったら、こんなことやってない。」
「・・・・・どういう意味だ?」
「そういう意味だよ。」
「わからんな。」
「第一、ロリコンはおまえの方だろ?幼女囲ってるって、もっぱらの噂だぜ。」
「・・・・・・・いったい、どこでそんな噂が流れてるんだ?」
端正なその顔が渋い顔をした時。
「あら?」
ウェイトレスの制服に着替えてきた少女が何かに気付き、声を上げる。
「どうした?」
「このピアノ・・・・・・」
「あぁ、それか。」
そこには、古いピアノ。
先週までは、ここに置いてなかった。
「こ汚ねぇピアノだな。」
「骨董屋がな、うちの店に似合うだろうって。ま、そんなに高いものでもなかったしな。」
「価値もわからねぇくせに、買うなよ。この成り金。」
まったくもって、呆れる。
「あれ?あれ?あれ〜っ?」
そんな会話を尻目に鍵盤を一つ一つ押していたアンジェリークは、首を傾げる。
「・・・・・・・・あの、オーナー?」
「なんだ、どうかしたか?」
「この子、調律してないんですか?」
「あぁ?なんだと?」
彼女の言葉に、アリオスはそのピアノに近づく。
「ほら。」
少女は一つ鍵盤を押してみる。
ポ〜ンと、本来の音から半音ほど下がった音が響く。
「おい・・・・・・・」
今度こそ呆れてものが言えない。
「あ〜っと、仕事が残ってたんだったな。・・・・・・じゃ、じゃな。あと、頼む。」
アリオスに睨まれそそくさと逃げ出すオーナーに、アンジェリークは苦笑いをする。
「ったく・・・・・・」
「しょうがないじゃない。そこまで気が回らなかったのよ。」
「気が、な。」
彼は右手で鍵盤を払う。
本来、綺麗に上がっていくはずの音が微妙に上下する。
「ボロボロじゃねぇか。」
そう言いながら、ピアノの前の椅子に座る。
「何がいい?」
「え?」
「リクエスト。」
「・・・・ひょっとして、弾いてくれるの?でも、だって、怪我してるし、それに調律・・・・・」
「俺の気が変わらないうちに言え。」
「じゃあ、『亜麻色の髪の乙女』。・・・・・弾ける?」
「・・・・・・・・わかった。」
すうーっと、周りの空気が変わり。
始まる、やさしい音色。
「すごい・・・・・・・」
そばで指の運びを見ていると、なんだか違和感を感じる。
出るべき音が出ていないから。
少しでも絶対音感がある者にとっては、実に気持ち悪い光景だ。
それに加えもっと驚くのは、たった一度で、彼がこのピアノの音の配列を覚えてしまっていること。
迷いなく指は鍵盤の上を走り、素晴らしい旋律を編んでいく。
けれど、なにより彼女の心を動かしたのは。
彼のピアノを聴けたことだった。
「やっぱり、わたし、あなたのピアノ好きよ。」
曲が終わりパチパチと拍手をしながら、アンジェリークは微笑む。
「そうか?」
今度はアリオスも茶化そうとせず、笑い返す。
「だから、ずっとそばにいてね。」
自分の首に腕を回し抱きしめる少女の香りと願う声に、しばし酔い。
青年は機嫌をよくして、次のリクエストを促したのだった。