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花咲める佳日
「・・・・・・・ん?」
今日は休暇の青年は、足元で寝ていた小犬が不意に頭を上げたのに気付く。
そして見るともなしに眺めていた新聞をテーブルに置き、小さな頭を撫でながら彼と同時に立ち上がる。
未だ幼い恋人を出迎えるために。
「あっ、レヴィアス様。」
玄関までやってくると、ちょうど制服の上にコートを羽織った少女が扉を開けたところだった。
「ただいま帰りました。」
「ああ。」
とことこと自分のところまでやってきて、微笑んで見上げる彼女に目を細め軽く頷く。
「アルフォンシアも、ただいま。」
そしてちょこんとそのまま座り込んで愛犬を撫でる姿に、彼は頬を緩める。
「散歩、行くのか?」
「あ、はい。あっ・・・・!」
犬を抱き上げ立ち上がったアンジェリークから、レヴィアスはアルフォンシアを受け取る。
「早く着替えて来い。」
「え?」
「・・・・俺も行こう。」
自分の胸ほどもない少女を促し、青年は他の誰かには絶対見せない優しげな笑顔を浮かべたのだった。
取り留めのない話をしながら、二人と一匹は色付き始めた街路樹の間を歩く。
何気ないけれど、幸せな時間。
「・・・・・で、レイチェルったら、ぷんぷん怒っちゃって。」
「そうか・・・・・アンジェリーク、学校は楽しいか?」
楽しそうに話す声をほとんど聞くばかりだった青年は不意に少女に尋ねる。
話題のほとんどが学校でのことだったから。
もっとも一緒に住んでいて、今日は彼女は学校で自分は家にいて。
話すことは限定されてしまって当然なのだが。
それでも多少の理不尽な嫉妬が狭い心に込み上げてくる。
「はい。あ、でも、もうすぐ初等科は卒業です。」
「そうか・・・来年から中等科なんだな。」
やっと・・・という言葉は飲み干して、レヴィアスは出会った頃より一回りは大きくなったアンジェリークを見る。
もちろん、それでも彼から見ればずいぶんと小さいのだが。
「はい、制服も変わりますし・・・・でもちょっと寂しいです。」
「ん?・・・・何故だ?」
笑顔のままでしかし少し眉を寄せる表情に、黒髪の青年も怪訝そうに眉を寄せる。
「男の子達とは別々になっちゃいますから。あっ、別にだからって、友達じゃなくなるわけじゃないと思うんですけれど。」
少し落ち込みながらも気を取り直したように笑う彼女のその返答に、レヴィアスの眉はさらに寄り今度は不機嫌を表す。
「・・・・おまえが寂しく思うほど、そいつらとは仲がいいのか?」
「え?で、でも一番仲がいいのはレイチェルですから。レイチェルとはずっと一緒ですし、だから平気です。」
質問の意味を微妙に取り違え心配かけまいとする姿に、彼は隠れて小さく溜め息をつく。
少女の通う学校は、中等科からは男女別の校舎になる。
大きな学校行事以外はクラスも授業も別々で、ほとんど男子校・女子校と言ったほうが正しいかもしれない。
だがそれも、学校内でのこと。
一歩校門の外に出れば、彼女の言うとおり初等科時代に机を並べていた『友達』だ。
『友達』なら、まだいい。
多少、思わないこともないではないが。
しかしその中には、『友達』の枠から出ようとする不貞な輩もいるだろう。
いや、すでにいるのかもしれない。
何事にも素直にそのまま受け止めてしまう無邪気な少女が気が付かないだけで。
少し・・・・・・策を弄する必要があるか。
けして穏やかではない表情を浮かべ、レヴィアスは並んで歩くアンジェリークの肩を引き寄せる。
「レヴィアス様・・・・?」
そしてそのまま腕を小さな体に回し、閉じ込めてしまう。
「あ、あの・・・・どうかしたんですか?」
「ああ・・・」
人の通りが少なく車道からは木々で見えないとはいえ、往来でのあまりに突然のことに赤くなった顔を、青年は頷きながら上に向かせる。
「虫除けをしておこうと思ってな・・・・」
「むし、よ・・・・け?」
「・・・・・黙ってろ。」
意味が判らずきょとんとする表情に目を細め、彼は長身を折り彼女の吐息をその心とともに一瞬盗む。
「・・・・・・・・・・え?」
少女は何が起こったのか理解できず、しかし頬はますます朱に染まっていく。
小犬のリードをぽとりと落としたのにも気付かずに、体を固まらせたまま目の前の自分の顔を凝視する蒼い瞳にレヴィアスはクッと笑う。
「おまえに悪い虫が付いては、堪らないからな。」
「え?え?」
「そのようなことになっては不愉快だ。」
やっと事態がが飲み込めて驚き口元に手をやる彼女を覗き込む。
「それとも・・・・・不要だったか?」
「え・・・・あの・・・・・」
真っ赤になってぱちぱちと瞬きを繰り返しどもる少女に、頬を緩め重ねて問う。
「嫌だったのか?」
「そっ・・・・・嫌なんかじゃ・・・・・・・ないです。」
「本当に、そうか?」
俯き小さな声で否定した彼女を抱きしめて、さらに彼は尋ねる。
否定ではなく、肯定の形で喜びを伝えて欲しかったから。
それには恥ずかしがりやの少女を自分の視線に晒さないほうがいい。
・・・・・ただ単にその細く小さな体を抱きしめたかったのもあるが。
「本当・・・です。わたし、その・・・・レヴィアス様にされて、嬉しかったです。」
「クッ・・・・・判った。」
たどたどしくも精一杯に体に響き告げられた答えに、彼は満面の笑みを湛えて目を伏せる。
「で、でも・・・・・」
「ん?」
「虫除けは・・・・いらないです。」
ぎゅっと小さな手が服を掴んだのに気が付き、レヴィアスは色を違えた瞳を薄く開く。
「わたし・・・・レヴィアス様のものです。ずっと・・・だから・・・」
まるで縋りつくように必死でけなげなアンジェリークの言葉に、一瞬目を見張り細める。
そして小さな頃から言われ続けた言葉を事実だと感受する彼女の髪を、彼は愛おしげに大きな手で撫でる。
「ああ・・・・お前は俺のものだ。未来永劫にな。」
「はい・・・・・」
身を少し剥がし、見上げ頷く少女に再び軽く口づける。
「・・・・・本当の虫除けは、そのうちにな。」
「本当の・・・・?あの、レヴィアス様、・・・・・」
ぼんやりとした表情で眉を寄せ首を傾げる姿に、青年は笑みを零す。
「安心しろ、疑っているおまえじゃない。・・・・虫のほうだ。」
少女の心は疑うまでもない。
これからもずっと傍に置いておくのだ、心移りさせる隙など与えない。
だが問題は、やはり自分以外の男どものほうだ。
成長し美しくなるであろう彼女を放っておくはずがない。
自分のものだと印を付けておく必要があるだろう。
・・・・・・・・今はまだ、幼い彼女にそれを成すことはないが。
自分自身、抑えが効かなくなる日が来ることが容易に想像がつく。
付けずには、求めずには、いられなくなるだろう。
少女に多大なる苦痛を強いることになるかもしれない。
それを止められない自分に罪悪を感じるだろう。
同時に幸せ、でもあるが。
「さて・・・・・待たせたな。散歩の続きに行くか?」
少女が落とした綱を拾い、青年は唯一の見物客に尋ねる。
尻尾を振ったのを確認して彼は立ち上がり、小犬が見ていたことに気が付き再び赤くなる少女に目を細める。
「アンジェリーク。」
「あっ・・・・ありがとうございます。」
「ああ。」
小さな手を取りロープを渡し、その礼に頷く。
そして彼女を促し歩き始めるが、犬を引いているのとは反対の手が自分の袖口を握っているのに気が付く。
「・・・・アンジェ?」
「ダメ・・・・ですか?」
恐る恐る尋ねるアンジェリークに、レヴィアスは笑いその手を剥ぐ。
「あっ・・・・・・」
「馬鹿。何故、服など握る?握るなら、手だろう?」
「あ、はい・・・・・・」
ほっとしたように見上げられ、彼は優しげに笑みを返し、そして口の端を上げる。
「本当は腕のほうが嬉しいんだがな。」
だが今の少女にそれをさせると、まるでぶら下がっているようで。
まさにそれは大人と子供の図、もしくは電柱にセミ。
他人の目などすでに気にしてない彼は嬉しくても、小さな彼女は嬉しくないだろう。
「もう少しおまえの背が伸びるまで待つとしよう。」
「レ、レヴィアス様・・・・」
「嫌か?」
どんな顔をしていいかわからないという表情の彼女に、今日2回目の同じ質問をする。
もちろん、同じ答えが返ることを期待して。
「レヴィアス様がお望みになることなら・・・・わたし、どんなことでも嬉しいです。」
染まる頬でふわっと微笑むアンジェリークに満足そうに笑い、レヴィアスは握った手をすっぽりと包み込む。
そのけなげ答えがどんな意味を持っているのか、多分判ってない。
その無意識に告げた言葉が彼にとってどんなに免罪符になるのか、想像も付かないだろう。
だが・・・・
今はまだ、それでいい。
そう、思う。
「・・・・・・楽しみにしてるぞ、アンジェリーク。」
「はい。ちゃんと背が伸びるように、わたし頑張りますね。」
その張り切る言葉に苦笑し、けれど青年は嬉しそうに目を細める。
愛しい少女の温もりが傍にあることを喜んで。