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doze off




真っ暗な我が家。


門の前で車を降りた黒髪の青年はそれを見上げ、眉を顰める。
「あれ〜、今日は留守っすか?」
「どこかへ行かれたのですか、アンジェリーク様は?」
自分と同様不審そうな且つ神経を逆撫でる声に、彼は不機嫌さを増して振り返る。
「・・・・うるさい。帰れ。」
そして秘書と運転手に苛立ち気味に一言言い捨て、レヴィアスは灯りが灯っていない家に足を踏み入れたのだった。



「アンジェ、いないのか・・・・・?」

夜目が利く自分を幸いに思いながら、青年は玄関の鍵を開け中に入る。
廊下の奥にあるキッチンにも玄関脇にある階段の上を覗いても電気は付いておらず、彼はますます不安を募らせる。
しかし軽く首を振り、妻の名前を口にしながら靴を脱ぎ奥へと進む。


台所は見回すまでもなく、普段、帰宅するとちゃんとしていてくれてる食事の準備など何もされてない。
もちろんいつもは嬉しそうに玄関で出迎えてくれる少女の姿も。

まさか、奴らの誰かが・・・・?

その目の前に突きつけられた事実に、僅かに顔を顰め彼は彼女の身を案じる。
晴れて結婚したとはいえ、名門といわれる一族の中には未だいい顔をしない者は少なくない。
その中の誰かに攫われたのかと、一瞬心配しかけるが。

「ん、んぅ・・・」

しかしその時小さく聴こえた声にハッとして、その方向に顔を向ける。

部屋続きの居間に置いてあるソファー。
近づいてみると、そこには背もたれと肘掛けに体を預けて眠る少女。

「アンジェリーク・・・・・」
ほっとすると共に全身に入っていた力が抜け、強張っていた表情に笑みが浮かぶ。
「まったく・・・心配させるな。」
無邪気な顔で眠る妻の頭を撫で、レヴィアスはその言葉とは裏腹な優しい瞳を向ける。
そしてようやく帰ってきたのだと、その寝顔に安らぎを得る。


ふとテーブルの上に目をやれば、昼下がりのお茶でもするつもりだったのだろう。
ティーセットとケーキが載っている。
お茶が注がれたカップの縁とティースプーンが汚れていないところから察するに、どうやら一口も飲まずに眠ってしまったらしい。

「そんなに疲れているのか・・・・?」
昼寝にしては長過ぎる時間を眠っている様子の幼い妻に、青年は答えが返らない問いを耳元で小さく囁く。
そして寝室に連れて行こうと起こさないよう気遣いながら、華奢な体を抱き上げかける。
「・・・・」
だが彼女がこうして寝ているということは、ひょっとしたらベッドメイキングはなされていないかもしれない。
そんなことに気が付いて、彼は動きを止め自分の役に立たなさに苦笑する。
「俺は何から何までお前に頼りっぱなしだな。」
少女から離れて上着を脱いでそっと掛け、しかしせめて毛布ぐらいは持って来ようと身を翻す。
けれど目の端で蒼い瞳が薄く開いた気がして、レヴィアスは向き直り覗き込む。
「アンジェ?」
そして呼び掛けてみると小さく瞬きをし、ぼんやりと見上げてくる。

「あ、れ・・・?・・・・・レヴィアス?」
「悪い、起こしてしまったようだな。」
「・・・今日は、早いのね・・・もう、帰ってきたの?」

愛らしく小首を傾げ訊ねる少女を愛しく思いながらその前に片足を付き、少し冷たい頬に手を伸ばす。
そして寝ぼけているらしい唇に、青年は吸い寄せられるように目覚めをくちづける。
「何を言っている・・・すっかり日は暮れたぞ?」
「え?」
一瞬触れただけのキスにも頬を染めた少女は、頬の大きな手に自分のそれを添えながらきょとんとする。
未だ事態を把握しないその姿に金と碧の瞳を細め、小さな体を起こしてその隣に座る。
「暗いだろう?」
言われて再び瞬きをし、腕の中で彼女は暖かな上着を羽織ったまま瞳を部屋の中に巡らす。
「あ・・・・」
そして真っ暗な風景にようやく事態を把握したのか、急に泣き出しそうになり眉尻を下げる。
「アンジェ、どうした?」
そんな表情に慌て、レヴィアスは動揺を隠せずに僅かに表情に出しながら訊ねる。
「だっ、て・・・・」
「『だって』・・・なんだ?」
「お夕飯の用意も何もしてない・・・・」
真っ直ぐに見上げながらも青ざめて呟かれた言葉に、何を言い出すのかと構えていた彼はあまりにも他愛無いことに肩の力を抜く。
「なんだ、そんなことか。別に構わん。」
「そっ、『そんなこと』じゃないわっ!お洗濯物だってしまってないし、お布団も干したままだし、アルフォンシアのお散歩だって・・・お茶だって無駄にしちゃったし・・・」
しかし少女には大変なことらしい。
半ばパニックに陥ったように、自分の不手際を並べ立てる。
そんな自らを責める妻に小さく溜め息を吐き、彼はまずは落ち着かせようと細い体をしっかりと抱き寄せる。

「『そんなこと』、だ。」

そしてクセのない髪を撫で宥めながら、小さな耳元で言い聞かせるように囁く。
「食事の用意をしてないのなら、どこかへ食べに行けばいいだけの話だ。この時間ならまだどこも開いてる。」
「でも・・・・」
「洗濯物と布団は取り込めばいい。夜露に濡れたというのなら、明日改めて日に当てればいい。アルフォンシアだって散歩に行きたければ、しつこく起こすだろう?・・・寝てるぞ、おまえと同じように。」
部屋の隅に置かれた籠の中で眠る小犬を見ながら、レヴィアスは理論づけて慰める。
「お茶がもったいないというのなら、人肌でよければ暖めて飲ませてやろう・・・口移しでな。」
「っ?!」
ニヤッと嗜虐めいて笑って見せると、沸騰したように赤くなる。
そんな彼女に笑みを深めて、彼は小さな顎を持ち上げる。
「だからそんなに苦にすることはない。」
そして心からの慰めを口にしながら、瞳を潤ませている顔にもう一度くちづける。

「ありがとう・・・でも、違うの。そうじゃないの。」
けれど少女は少し困ったように微笑みながら小さく首を振って、青年を見上げる。
「レヴィアスの奥さんとして、ちゃんと役目を果たせなかったことがイヤだったの。あなたがお仕事をしてる間、ちゃんと家事をしようって、あなたが安心してこの家に帰って来られるように、結婚した時に心に決めたから・・・」
「アンジェ・・・・」
「なのに、逆に八つ当たりしちゃった。ごめんなさい・・・・」
しょんぼりと謝る姿に彼も困ったように苦笑し、柔らかな髪を梳く。
「俺はおまえが俺の傍にいてれれば、それでいい。」
そしてもう何度言ったか判らない自分の心を改めて聴かせる。
「レヴィアス・・・・・」
「まだそれをおまえは判ってくれてはいないのか?」
頬を染め切なそうに見上げる少女に青年は目を細め、真っ直ぐに見つめる。

「ううん。それは・・・判ってる。」
肯定の為に首を振った彼女は彼の頬に手を伸ばし微笑む。
「わたしもレヴィアスの傍にいられて、嬉しいから・・・ありがとう。」
触れた細い指と心からの感謝を感じ、レヴィアスはほっとしたように頬を緩める。
「でもね、本当に自己満足だけど、あなたをこの家で待ってる間、出来る限りのことはしたいの。」
「だが疲れるほど、一生懸命やらなくていい。少しは手を抜くことも考えろ。・・・疲れ果てて眠ってしまっては、元もこうもないだろう?」
しかしそれでも頑として譲らない妻に、彼は溜め息をつき諭そうとする。
「え?疲れるって、わたしが・・・?」
だがその忠告にきょとんと首を傾げられ、青年は形のよい眉を怪訝そうに顰める。
「疲れていたから、眠り込んだんじゃないのか?」
「え、あ・・・『疲れた』といえば、確かにそうなんだけど・・・・あの、でも家事でじゃなくて、それにどちらかというと『疲れ』というより、その・・・・」
「ん?なんだ?」
何故か訊ねた途端真っ赤になりしどろもどろに答える彼女に、彼はその顔を覗き込みながら重ねて訊ねる。
「あの・・・ね、寝不足の方が・・・・」
小さな声で純粋に睡眠が足りなくて眠ってしまったと更に赤くなって告げる妻に、レヴィアスは昨夜のことを思い出す。

「・・・・なるほどな。」

自分の言葉に恥ずかしくなったのか、ぎゅっと抱き付いてきた華奢な体を受け止めながら、彼は苦みを滲ませた口元を僅かに上げる。
「おまえが余りに可愛い反応を返すものだから、つい昨日は押さえ切れず少々夢中になりすぎたな。」
「レ、レヴィアス・・・・」
胸に顔を伏せたまま明らかに少女の体温が上がったのを感じ、青年は上気して甘く匂い立つ肌に頬を緩め胸いっぱいにそれを吸い込む。
「だが、これで判っただろう?」
そして安らいだ気持ちで、彼は小さな耳元に僅かに低く囁く。
「おまえは俺の妻としての務めを立派に果たしてる。」
「え?」
「食事の用意や洗濯はおまえでなくとも他の誰にだって出来る。しかし俺を愛してくれるのは、おまえだけだ。」
頭をずらして揺れる瞳で自分を見上げる彼女に微笑み返し、レヴィアスは何よりも大切な存在を抱きしめる。

「でも・・・でもね、」
「ん?」
「わたしがあなたを好きなのは、当たり前のことなのよ。・・・・だから、やっぱりそれだけで満足しちゃいけないと思うわ。」
抱きしめ返しながら切々と語る少女に、呆れ半分感心半分の溜め息を零す。
「まったく・・・頑固だな、おまえは。」
「そうかな・・・レヴィアスの方が頑固だと思うけど?」
くすっと笑って慰めを頬にくちづけられ、青年は僅かながらに機嫌を直す。

「おかえりなさい、レヴィアス。」

そして今更ながらに出迎えを口にする少女に、顔をほころばせ金と碧の瞳を細める。
「俺などの帰りを待ちわびてくれるのも、おまえだけだな。」
「あなたが帰ってくるのを、あなたが出掛けた瞬間から待ってるの。あなたの為に何が出来るか、考えながら。」
「クッ・・・ああ、そうだな。」
自分のことだけをずっと考えているという言葉にますます嬉笑を浮かべ、彼は癖のない髪に長い指を絡ませる。

「ただいま、アンジェリーク・・・・」



そして青年は帰宅を告げ、桜色に染まる唇に自分のそれを重ねたのだった。