戻る

Gemma




屋敷の奥。
少年が一人、立派すぎる木の根元に座り込んで凭れ掛かっていた。

彼の名はレヴィアス。

世界有数の一族の血を引き、そして昨日からこの別邸の主となった者。
そのどちらも、彼の意に叶ったものではなかったが。
今更、逆らうのも面倒だった。
逆らったところで、自分の置かれた立場が変わるとは思えなかったから。


「あ・・・・・・」
小さく聞こえた声に、少年は閉じていた目を開けその気配の方へ色を違えた二つの視線を向ける。
「こ、こんにちは・・・・」
犬を抱えそこにいた茶色い髪の少女は、慌ててお辞儀する。
その姿に、彼は昨日聞かされた記憶を辿る。

この屋敷で働く者の縁者、だったと思う。
名前は確か・・・・

「・・・・・・アンジェリーク?」
「は、はい。」
急に名前を呼ばれ、彼女はきょとんとした顔で返事を返す。
その表情に、レヴィアスは思わずクッと笑みを漏らす。
少女は知らなかったが、実に久しぶりの笑顔だった。
「何をしているんだ?」
「え?えっと、お散歩です。」
「散歩?」
「はい、アルフォンシアのお散歩です。」
そう言い愛おしそうに腕の中の犬を見る彼女に、彼は眉を顰める。
「散歩なら、犬を歩かせるべきじゃないのか?」
「・・・アルフォンシアは、もうおじいちゃんなんです。だから、あんまり歩けないんです。」
アンジェリークは少し哀しそうな笑みを浮かべる。
「でも外の空気に触れた方がいいって、お医者様が・・・・だから、わたしがお散歩してるんです。」
「そうか・・・・・・」
「はい。」
幼いながらに現実から目を逸らさない姿に、レヴィアスは目を細める。

余りにも違い過ぎる。
何もかも諦めてしまった自分とは。

ふぅっと一つ息を吐き、立ち尽くす少女を見上げる。
「座れ。」
「え?」
突然の言葉に首を傾げる彼女に、地を指差し自分の横に座るように促す。
「たとえ小さな犬でもずっと抱いて歩いていたら、重いだろう?」
その理由に驚いたのか蒼い瞳を少し見開いて、けれど嬉しそうに笑って素直に頷き座る。
「ありがとうございます、レヴィアス様。」
「別に、礼を言うことじゃないだろう。」
「え、でも・・・・お礼はちゃんと言いなさいって、お姉さんに言われてるし・・・・」
「お姉さん?」
俯く姿に片眉を上げて、彼は尋ねる。
「あっ、わたしを引き取ってくれた叔母です。パパの妹なんですけど、叔母さんって言う歳じゃないし・・・・」
「ちょっと待て。」

「おまえを引き取った?」

ますます戸惑う。
そんな複雑そうな話、何一つ聞いてない。
主として認めていない、という訳でもないだろうが。
知らされていないというのは、かなり不本意で不満を憶える。
・・・・・いや。
それはこの屋敷の主だからというよりも彼自身、彼女のことを知りたくなったから。
少女の過去を知りたくなったから。

「ママはわたしが小さな頃に死んじゃったんです。」
尋ねられてポツリポツリと話し出したアンジェリークを、レヴィアスはじぃっと見下ろす。
「パパも外国にお仕事に行くことになっちゃって・・・・それでお姉さんが住み込みの仕事見付けたからって、お屋敷の人に頼んで引き取ってくれたんです。」
その視線に気が付いたのか、少女は少し赤くなって微笑み返す。
「アルフォンシアは、わたしが生まれる前からママが飼ってた犬なんです。だから・・・・大切なんです。」
「大切、か・・・・・」
「はい、とっても。」
膝の上で眠ったように目を閉じている小犬の頭を優しく撫でなから、彼女は頷く。
その姿に彼は一度瞳を伏せ、そしてその茶色い頭に手を伸ばして引き寄せる。
「あ、あの・・・・」
「羨ましいな、おまえは。」
訳が判らず大人しくなされるままにされている少女に、少年は小さく笑う。
「そうだな・・・・・」

「・・・・・・ここにいろ、アンジェリーク。」


「まぁ、坊ちゃま!」
レヴィアスが眠ってしまったアンジェリークと小犬を抱え厨房の勝手口から入ると、食事を作っていたらしい使用人が声を上げる。
「すいません。・・・アンジェ、起きなさい。」
「いい。起こすな。」
揺り起こそうとするのを止め、犬を彼女に渡し少女を抱え直す。
「おまえがアンジェリークの『お姉さん』とやらか?」
「え?・・・・・この子、そんな事を話したんですか?」
少々罰が悪そうな顔を尻目に、腕の中の寝顔を眺める。
「・・・・・いいか?」
「はい?」
「俺がアンジェリークを貰ってもいいか?」
「・・・・・・坊ちゃま?」

歩き出した彼に、後ろからの不審そうな声は聞こえなかった。
その問いの答えなど誰にも求めてはいなかったから。
もう心は決まっていたから。


彼女が母の忘れ形見を大切に思うように。
自分も何か大切なものが欲しかった。

自分と正反対の少女。

ともすれば、壊れそうで儚いその幼い体。
けれど、多分自分よりずっと強い。
それが少しだけ妬ましく、羨ましく。
そして、そのけなげな姿に愛おしささえ感じた。
生まれて初めて心が動いた。


「・・・・・・・・俺のものだ。」


小さな出逢い。
けれど、これが少年の全てを決定付けた。

そうとは知らずに眠り続けるアンジェリークの柔らかな頬に、レヴィアスは小さく笑いそっと宣言を口付けたのだった。