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黄鐘の記憶




新宇宙。
ここを育て慈しむ女王に愛される青年は、一人歩いていた。
彼はかの少女の為、かの少女が住む地を発った。
必ず帰ると約束して。

――――――――――これはその旅の途中のこと。


「やばいな。」
レヴィーは風上の方向を見て、小さく呟く。
そこには黒い雲がものすごい速さで、こっちに向ってくるのが見える。
しかも、もう少しで黄昏の時間。
「さっさと屋根がある所に行かないとな。」
荷物を背負い直し、歩みを速める。
人がいる所とは言わない。
まだこの宇宙には、人は圧倒的に少ない。
現に彼が夜、村や町に泊まれることは月に1度あればいい方だ。
だが。

「あれは・・・・?」
前方には、明らかに人の手で作られた住居と火の在処を表わす煙があったのだった。


木で囲われた少々心もとない防壁の小さな村。
「久々、だな。」
人と接するのは。
閉鎖的な空間で育ったが、それでも宮殿にいた頃は誰かには会っていた。
少なくとも、女王と補佐官の二人は。
だが、怪我の功名か否か。
この旅に出てからは、人恋しいという気持ちが理解出来るようになった。
誰かがそばにいてくれるというのが幸せだということも。

辺りを見回すと、小さな子供たちがこちらを珍しそうに見てる。
警戒されない様、気を付けて呼びかける。
「よう、坊主達。ここは、何て村だ?」
その声に誘われたのか。
子供たちは嬉しそうにわらわらとレヴィーに、走り近づいてくる。
「お兄ちゃん、どこから来たの?」
「お名前は?」
「わぁ、兄ちゃん、剣持ってる!」
「強いのぉ?!」
「あ〜!わかったわかった、一人ずつ話してくれよ。」
子供のエネルギーに圧倒されてしまう。

「泊まるとこ、どっかあるか?」
一通り質問に答えて、ぐったりしながら一番大切なことを尋ねる。
せっかく人がいる所に来たのに、野宿じゃ様にならない。
「う〜んと、あそこに大きな煙突があるでしょう?」
「あぁ。」
そばかすの少年が指差した先には、確かに周りよりもひときわ大きな煙突の建物が見える。
「イライスっていうおじちゃんが娘さんと酒場をやってるんだけど、時々来るお兄ちゃんみたいな旅の人を泊めてくれるよ。」
「そうか、ありがとう。」
少年の頭を撫ぜ、礼を言う。
「どういたしまして♪」
「もうすぐ雨振ってくるから、さっさと家に帰れよ。」
もう夕方だしな。
一応彼らに忠告をし、その酒場に向った。


「いらっしゃい。・・・・おや、見ない顔だね。」
レヴィーがその店の扉を開けると、歓迎の言葉と珍しげな声が掛かる。
「そこでガキどもに聞いたんだが、ここで泊めてくれるって本当か?」
「あぁ、旅の人かい?」
とっくにわかっていただろうが、改めて納得したように初老の店主はにっこりと笑う。
「いいとも。酒の一杯でも飲んで旅の話を聞かせてくれればね。」
小さな村だ。
毎日毎日、そんなに珍しいことが起こるはずもない。
たまに訪れる旅人の話は、これ以上無い娯楽なんだろう。

「今、部屋を用意させるよ。お〜い!」
そう言って、彼は厨房の方を振り返る。
「なぁに、父さん。・・・・・お客さん?」
「あぁ。だから2階の部屋に案内してやってくれ。」
「うん、わかったわ。・・・・こっちよ。」
導かれるまま、彼は店主の娘らしい女性の後について行ったのだった。

「ごめんなさいね。父さん、また旅の話、ねだったでしょう?」
案内された部屋のカーテンを閉めながら、彼女はわびる。
「いや・・・・泊めてもらえるし。別に人に話して困ることも無いしな。」
本当は多少はあるが。
しかし誰もまさか彼がこの宇宙最初の人間だとは、思わないだろう。
黙ってれば、いや、本当の事を話したところで、信じては貰えるわけがない。
「・・・・・じゃあ、わたしも聞かせてもらおうかな。」
「構わないが?」
「こう見えても、わたし、お酒強いのよ。」
自慢げに紅い唇の端を上げた顔は、誰に似ていたのか?
笑顔の後ろでは、カーテンの隙間から着々と嵐が近づくのが見えた。


「あらら、みんな寝ちゃったわね。」
グラスを振り氷を転がしながら、彼女は店の中を見回す。
嵐が来ているのも関わらず旅人が来たと聞いてやってきた客はおろか、店主までテーブルやカウンターで眠りこけてる。
ほんとに強い。
レヴィーの目の前で、酒場の娘は強い酒を水のように飲み干していった。
「あんた、ぜんぜん酔わないんだな。」
呆れるように呟く。
「あら、生まれた時から店に出てるのよ。」

酒の香りがミルク代わり。
酔っ払いの喧騒が子守り歌。
そんな環境で、酒に弱い人間が出来上がる訳ない。

「酔い潰して口説こうと思っても無駄よ?」
「ブッ!し、しねえよっ!」
「あらそう?ちょっと残念かな。」
年下の男の子をからかいながら、彼女はグラスに酒を注ぐ。
「あなた、恋人いるんでしょう?」
寂しがらせたら、駄目よ?
クスクスと笑う。

面白がられて不快に思うことよりも先に、彼の心の中をあの地を離れる時にした決意が蘇った。
「そんなことしたら、また泣かせちまう・・・・」
小さく口の中で呟く。
あいつを泣かせるようなことはしない。
それが今は傍にいられない彼女の為に出来る最大で唯一のことだから。

「そういえば、あんたの名前、聞いてなかったな。」
ふとそのことに気がつき、尋ねる。
「名前、ね・・・・・」
そう言ったまま、店の女主人は考えるように頬に手を当てる。
何を言いよどんでいるんだろう。
そう思った時。

「『エリス』」

「え?」
「・・・・・って、言ったら怒るかしら?」
にっこりと笑う。
が、名乗られた方はそんな笑顔はまったく目に入らず。
唯々混乱するばかりで。
「どういう意味だ?」
やっと出た声も少し震えている。

そこまでは、話していない。
それは『今』の話ではなく、『前』の話だから。
必要ない、話だ。
『今』の自分があるのは、新宇宙に生まれたのは、『彼女』がいたからだということはわかるが。
それは、目の前で起こっていることには関係ないことだ。
そう、だと思う。
思いたい。

「久しぶりね。・・・・・・レヴィアス殿下。」

艶やかな酒場女の微笑み。
それは、否定したかった彼の心を打ち砕いた。

「もう。そんなに脅えなくてもいいのに。」
『エリス』の名を語ったものは、苦笑する。
なにも取って食やしないわよ。
「まさか、自分だけが再び生を受けたなんて思ってたんじゃないでしょうね。」
「そんなことは・・・・・・」
かつての恋人にちょっと睨まれ、レヴィーは顔を背ける。
それは、思っていない。
『彼女』に、自分よりも『彼女』にこそ生が与えられているほうが正しい。
だから目の前に『エリス』の魂を持つ者がいても、拒絶しない。
ただ・・・・・

「どうして、記憶が・・・・」

自分でさえ最近まではっきりした記憶は、蘇ってなかったのに。
なんの魔力も持たない『彼女』がなぜ『エリス』の記憶を持つのだろう?
夢だとも、幻だとも、思わないで。

「あなたに、再び、巡り会ってしまったから。」
「な・・・・に・・?」
自分のせいだという言葉に、金と碧の瞳を見開く。
またも、俺は彼女の人生を狂わしてしまったのかと。
だが、後悔が浮かんだ顔を見た『エリス』は、笑ってそれを否定する。
「ずっと、もう一度あなたに会ってみたかった。それだけよ。だって、あの時、厨房から出て来るまで、わたしは単なる酒場の主人の娘だった。」
そんな強烈な印象なら、夢だと思う暇もないでしょう?
グラスに口を付けながら、呟くように言う。
「それに、あなたは『レヴィアス』の次のあなただけれど、わたしは何度も生まれ変わってるもの。」
「!」
そう。
レヴィーは女王や補佐官に程近い時の上に立っているが、彼女は・・・・・

「恨んでなんかいないわ。もう想い出ですらない遠い昔のことよ。」
だから気にしないで、わたしのことは。
自分が未だに引きずっていることを、さらりと忘れたと言う。
その言い草に『今』の『彼女』の図太さを見て、彼は苦笑いをする。
「だったら、なんで、思い出すんだ?」
当たり前の疑問を口にする。
必要だから思い出したんだろうに。

「まだひっかかってるんでしょう、わたしのことが。」
だから彼は今一歩幸せに安心できない。
けれど。
そんな理由で『今度』も不幸の穴に落ちて欲しくはない。
「わたしは、あれからずっと幸せだったわ。」
だから、あなたもどうか心のままに生きて。
生きたまま、死ぬようなことはしないで。
それはきっと『わたし』に再び不幸の影をもたらすから。

「俺がいなくても、幸せ、か・・・・・」
「わたしがいなくても、『今』のあなたは幸せでしょう?」
「・・・・・・あぁ。」
目を閉じれば、あの頃を鮮やかに思い出せるのに。
『過去』でしかないのだ、もう。

「あなたが一番好きだったわ、レヴィアス。」
過去形で語られる好意。
それは、二人の別離を表わしていた。
「クッ、そうだな。」
そっと目を閉じる。

「俺もお前だけを愛していた、エリス・・・・」

だから。
どうか幸せに ―――――――――


翌日。
「お気を付けて。これ、お昼にお食べ下さい。」
「おう、悪いな。」
酒場の主人に包みを渡され、ありがたくそれを袋の中に入れる。
「あっ、水筒忘れてるわっ!」
慌てて厨房から、娘が駆け出してくる。
「はい、どうぞ。」
「・・・・・サンキュー。」
夕べの事はみじんも感じさせない。
それどころか、『記憶』のことさえ忘れているように見える。
酒場女の演技力というか、浅ましさというか。
自分が知っていた『彼女』からのあまりの変化に感心してしまう。

とはいえ、それは今しばらくだけのこと。
彼女は必ず忘れるだろう。
もう憶えている必要が無いこと。
彼も彼女も、『エリス』にこだわる必要はなくなったから。

「じゃあなっ!」

晴れ晴れしく言われた親子への別れ。
だがそれは、それだけを意味したものではなく。

またひとつ昇華した『過去』への餞の言葉でもあった。 満面の笑みを持って。