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Many happy returns of the day!
大好きな人の大切な日。
年に一度の誕生日。
秋の終わりにあるその日に、少女はハミングしながらキッチンに立つ。
そしてその大好きな人に戯れ付かれてちょっと困りながらも、腕によりをかけてご馳走を作る。
それを居間のテーブルに並べ、満足そうに微笑む。
「これで全てか?」
その笑顔に今日の主賓は目を細め、ようやく調理から開放されたらしい少女に問う。
「うん。あ・・・・でもアルフォンシアにもエサ上げなくっちゃ。」
「・・・・いないぞ。」
しかし思い出したように踵を返した背に僅かに眉間にシワを寄せ、彼女の行動を止める。
「・・・・え?」
「アルフォンシアはいない。」
戸惑った表情で振り返った顔に、レヴィアスは今度は主語を付けてもう一度繰り返す。
その旦那様の言葉に奥様は部屋を見回し、戸惑ったまま小首を傾げる。
「確か・・・・レヴィアスが朝散歩に連れて行ってくれた、のよね?」
まだベッドでうとうととしていた自分の代わりに、彼が連れて行ってくれたような気がする。
そんなおぼろげなその記憶を必死に手繰り寄せ、アンジェリークは黒髪の青年に訊ねる。
「ああ。連れては、行ったな。」
その何か含んだような言い方に少女はハッと気付いて、組んだ長い脚に頬杖をついて自分を見上げる人に近づき重ねて訊ねる。
「・・・・連れて、帰って来てない?」
「ああ。」
そして予想通り先ほどと同じように頷いた彼に、彼女は脱力してその隣に座り込む。
「どうかしたか?」
反対に自分に尋ねる人の心配交じりの怪訝そうな声に小さく溜め息を吐き、少女は顔を上げる。
「・・・・どこに連れて行ったの?」
「決まってるだろう?カインのところだ。」
またしても予想通りの返事に、彼女は彼の秘書にもう何度目になるのか判らない謝罪を心の中でする。
「気に入らなかったか?」
しかしその少女の落胆する様子を素で勘違いする旦那様は、内心慌てながら問い掛ける。
そして茶色の髪を指に絡めながら、見上げる蒼い瞳を真っ直ぐに覗き込む。
「どこぞのペットホテルに預けた方がよかったか?」
彼女の小犬に対する感情をあまりいい気はしないものの認めている彼は、愛しい妻の意に添わなかったかと訊ねる。
そんな恐らく自分にしか判らないだろう青年の狼狽えぶりに少し苦笑し、アンジェリークは小さく首を振る。
「ううん・・・そうじゃなくて。」
自分の髪を弄んでいた大きな手に自分の手を重ねながら、少女は金と碧の瞳を見返す。
「どうしてカインさんのところに連れて行ったのかなって・・・・」
その純粋な疑問に、彼女の旦那様は再び怪訝そうで不機嫌な表情を浮かべる。
「今日は二人っきりで過ごしたいと言っただろう。」
「え?」
「おまえに訊ねられた時、そう言った。」
大人げなく不貞腐れ気味に断言する彼を目の前にして、アンジェリークは今月始めに交わした会話を思い出す。
「誕生日、何が欲しい?」
毎年繰り返されるその言葉を、少女は今年も口にした。
そんな彼女を腕の中に抱きながら、彼はまた今年も同じ返事をした。
すなわち「おまえがここにいれば、それでいい」と。
たった一つのこと以外には無欲な旦那様の半ば予想していたとおりの回答に、アンジェリークは嬉しく思いながらも少し困る。
「でもわたしはここにいるわ。レヴィアスの誕生日以外の日も。」
彼がくれる暖かな温もりに安らいで広い胸に擦り寄りながらも、彼女は自分がここにいるのは当たり前なのだと伝える。
例え何があっても、自分は彼の傍を離れたりはしないのだと。
「では・・・・おまえと二人っきりで過ごしたい。」
「え?二人っきり?」
「これもダメか?」
すると前髪越しの額にくちづけながら、青年は要求を言い直す。
その願い事に僅かに頭をずらして見上げて、少女はきょとんと首を傾げる。
「さっきのと・・・・どう違うの?」
「全然違うだろう。」
しかし彼女には同じに思える二つの望みは、それを望んだ彼にきっぱり全然別物だと言われてしまう。
その余りにもにも自信に満ちた口調に、ぼうっと温もりと眠気に呆けた思考はそうなのかとあっさり認めてしまう。
「でも、でもね・・・なにか他に思いついたら、言ってね。わたしにあげることが出来るなら、贈りたいから・・・・」
けれど最後にもう一度無欲な人に食い下がり、アンジェリークは答えはないかもしれない質問を重ねて問いかける。
「ああ、判った・・・」
その言葉に口の端を上げて頷いた旦那様に安心して、大きな手に頭を撫でられながらそのまま眠りの世界に沈み込んでしまった。
「それでカインさんのところに連れて行ったのね・・・・」
確かに青年がそう言ったことを思い出して、この人にはあの小さな犬さえ障害だったんだと少女は今改めて気付く。
思えば、今朝の彼の行動はおかしいのだ。
眠っている自分を手放してまでも子犬を散歩に連れて行くなんて、普段は絶対にない。
というより、眠っていようが料理してようが自分の傍にいたがるこの人が、自ら離れようとするわけがない。
なにか下心・・・いや、策略でもない限りは。
せっかくの休み、それも己の誕生日なら、尚更離れないだろう。
なのに彼の申し出をありがたく受け取ってしまった。
意識のどこかで階下で鳴く声を聴いてたし、しかし自分はまだ起き上がれそうもなかったから。
黒髪の青年の行動原理を理解しているはずの自分が、あっさり青年の言葉を信じてしまった。
もちろん彼の言葉にウソはひとかけらもなかったが。
再び目が覚めた時には、再び旦那様は自分の傍にいて。
いつもの休みの日の朝と同じように、笑って自分を眺めていた。
「連れて行くなら連れて行くって、言ってくれればいいのに・・・・今日はアルフォンシアのご飯も奮発したんだから。」
そしたら一緒に持っていってもらえたのにと少し頬を膨らます妻の愛らしさに、レヴィアスは僅かに機嫌を直し目を細める。
「悪かった。帰ってきたら、食べさせてやってくれ。」
そして頬に軽く宥めをくちづけ、彼は彼女の小さな顎を持ち上げる。
「だが俺を祝ってくれるのは、おまえだけでいい・・・・」
「・・・・レヴィアス。」
たったそれだけのことで顔を赤くした少女に薄く笑いながら、今度は唇を重ねる。
だがもちろん重ねるだけで彼が終わらせるはずもなく、くちづけは次第に深くなる。
「〜〜〜っ!」
そのことに気付いて慌て、心のどこかで流されそうになりながらもアンジェリークは細い腕を突っ張り押し止めさせようとする。
「ゃ・・・・ダメ・・・・・ッ」
押し倒されそうになりながらもようやくのことで僅かに唇を離し、少女は小さく首を振る。
「どうしてだ?アルフォンシアはいないぞ?」
「?!」
しかしいつだったか小犬を理由に拒絶したことをしつこく根に持っていたらしい青年は喉を鳴らして笑い、艶めいた金と碧の瞳で覗き込んでくる。
その視線に胸は知らずとドキドキと高鳴り、やはり流されそうになるが、彼女はもう一度首を振り彼を見上げる。
「だって、せっかくレヴィアスに食べてもらおうって、お料理したのに・・・・」
そしてテーブルの上に視線を走らせ、また恨めしそうに自分を腕の中に閉じ込める人を見る。
「俺より料理か?」
その彼女の表情に、彼は眉間にしわを寄せ半ば脅迫めいたことを口にする。
「違うわ。レヴィアスと一緒に暖かいうちに食べるのが大切なの。」
しかし少女はまた首を振り、少しも目線をずらさずに何が重要なのかを伝えてくる。
そして不機嫌そうな頬に唇を寄せ、真っ赤になってはにかみながら口を開く。
「それに・・・今すぐじゃなくてもいいでしょ?」
その未だ幼く恥ずかしがりやな妻なりに精一杯勇気を出したのだろうその言葉に、レヴィアスは一瞬目を見開きすぐに破顔する。
「・・・・そうだな。まだまだ今日は長い。」
恥じらいながらもやはり顔を逸らさず見上げる少女に愛しげに二色の瞳を細め、青年は柔らかな茶色の髪に長い指を絡める。
「・・・・思いついたこともあったしな。」
「え?何・・・?」
「今夜のお楽しみだ。」
そんなククッと楽しそうに笑いながらくちづける人の言葉に、彼女はきっとロクなことじゃないと確信する。
けれど少しいじわるで、でも誰よりも優しい旦那様の首に細い両腕を回し、アンジェリークは蒼い瞳を閉じ自分からもくちづける。
「・・・・お誕生日おめでとう、レヴィアス。」
そして出来る限りの笑顔を浮かべて。
大好きな人の大切な日を少女は、心から祝うのだった。