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桃花水の流るる頃
十年前のとある日。
そう・・・ちょうど桃の花の咲く頃。
アリオスの家に騒々しい、もしくはいつもの来客があった。
すなわち。
近所に住む『妹』が涙目で大きなリュックを背負ってやってきたのだった。
「家出だぁ?!」
タバコを片手に紫煙を吐き出しながら、彼は片眉を上げて目の前で大荷物を広げている少女を怪訝そうに見る。
「うん!もうパパなんて、大っキライッ!!」
「・・・・・・・キライなのは、別にいいけどな。」
俺もアイツはキライだし。
そう付け加えて、テーブルに凭れながら小さく溜め息を吐く。
「なんだって、うちに来るんだよ?真っ先にバレるだろうが。」
「バレたっていいもん。アンジェ、ずっとお兄ちゃんちにいるんだから。」
「何言ってるんだよ、おまえは・・・・」
開き直って言い放つ彼女に、頭抱えたくなる。
「ったく・・・・それで、おまえが怒ってる原因はなんなんだよ?」
「あのね、パパが、ね・・・・・」
「なんなんだよ?」
珍しく言い淀んでいる少女を急かすように少年は畳み掛ける。
「・・・・お雛様、仕舞ってくれないの。」
「は?」
なんだか照れているようなその姿に眉を顰める。
「そのくらいでなんで怒ってるんだよ?」
訳判らない。
確かに雛祭りは昨日で、雛人形はもう仕舞わなければならないだろうが。
それにしたって、昨日の今日だ。
どうしてそれが家出するほどの理由になるのか。
まったく理解できない。
「そのくらいって・・・・お雛様は終わったらすぐに仕舞わなきゃ駄目なのよ?!」
「な、なんでだよ?」
真剣な目で立ち上がった小さな彼女に訴えられて、思わず彼は気圧される。
「だって、お嫁さんに行くの遅くなっちゃうじゃない?!」
「・・・・・・・・・・・何?」
「遅くなっちゃうじゃないっ?!」
顔を引き攣らせている少年に少女は重ねて強く訴えかける。
「パパッてば、『嫁になんか行かなくていい』って、仕舞ってくれないのっ!!」
本当に悔しそうにじたばたと暴れる少女の頭を片手で押さえつけながら、アリオスはアンジェリークの父親の顔を思い出す。
こいつが生まれたあの日から、親バカだ親バカだと思っていたが。
まさかそこまで親バカだったとは。
まったく呆れ果てること、この上ない。
「ま、そんなクソくだらない理由で仕舞わないおまえの『パパ』も『パパ』だがな。」
タバコの火を灰皿に押し付けて、押し退けていた少女を放す。
「でしょう?!」
「でもな、おまえだって行く当てもないくせに焦ってるおまえもおまえだ。」
「行く当てって?」
「『嫁』に行く当て、だ。」
首を傾げる額を弾いて、彼は後ろに凭れ掛かっていた体を起こす。
「貰ってくれる相手もいないくせに、お嫁さんもクソもねえだろうが。」
「あ、それだったら、大丈夫よ。」
「なんだよ、おまえ、ガキのくせに一人前にいるのかよ?」
「だって、アンジェ、お兄ちゃんのお嫁さんになるんだもん。」
「・・・・・・・・・はぁ?!」
少女のその言葉に思わず少年は目が点になる。
「それなら、いいでしょう?」
彼女はにっこり笑って自分の案に満足そうにする。
だが『相手』にされてしまった彼は、顔を心底嫌そうに顔を顰める。
「おまえな・・・・なんでこの俺が、好き好んでおまえみたいなガキを嫁に貰わなけりゃならないんだよ?わざわざおまえなんか貰わなくても、女なんか吐いて捨てるほどいるんだぜ?」
数年後、この時のことを思い出して酷く後悔することになるのだが、そんなことは思いもよらず平然とアリオスは振りゼリフを口にする。
「んな、馬鹿なこと言ってる暇があったら、家に帰って自分で人形仕舞え。本当に早く嫁に行きたいんならな。」
「だってお人形は箱に仕舞えるけど、入れた箱が重いんだもん。アンジェ一人じゃ屋根裏部屋に仕舞えないの。」
心なしかしょんぼりと言う少女に、彼は溜め息を吐いて髪を掻き揚げる。
「ったく・・・・わかったよ。運んでやるから、さっさと荷物まとめろ。」
「いいのっ?!」
「ああ。俺は喜んで嫁に出してやるよ。それにこれ以上家出少女に居座られるのは勘弁だからな。」
「わ〜い♪お兄ちゃん大好き!」
またしても甘やかしてしまったことに気が付いて深く脱力ながら、アリオスは嬉しそうに荷物を担いだアンジェリークの家へと連れ立って向かったのだった。
そして ―――――――――――――
「お兄ちゃん、いるぅ?!」
今年も少女が呼びにやって来る。
「うるせえな・・・・・」
毎年、裏節句に人形を片付ける羽目になってしまった。
疲れていようが、忙しかろうが、関係なく。
どんなに前言撤回したくても出来ないのが彼の性格。
まったくもって、何もかも全て『自業自得』、『口は災いの元』なのであった。
第一。
片付けなくてもよくなる一番手っ取り早い方法から、思いっきり目を逸らしているのは彼自身なのだから。