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Desire




その日。
帰宅した青年は、屋敷に広がる甘い匂いに気が付く。
そして少女との会話を思い出し、頬を緩めるのだった。



それは数日前のこと。

「あの、レヴィアス様?」

遅い夕食の後、自らの部屋で少女の勉強を見ていたレヴィアスは、不意に響いた訊ねる声にノートに落としていた目線を上げる。
「ん?何か判らない所があったか?」
「あ、いえ、解き方は良く判ります。レヴィアス様、教え方お上手ですから。」
首を振りにっこりと笑う隣の彼女に、彼も金と碧の瞳を細め笑みを浮かべる。
「それじゃあ、なんだ?」
そしてペンを置いて僅かに体をずらし、見上げる蒼い瞳を覗き込む。
「あの、今、何か欲しいものとかありますか?」
「・・・・欲しいもの?」
「はい・・・あ、わたしが出来る範囲で、ですけど・・・・」
僅かに首を傾げ訊ねる姿を愛らしく思いながらも、青年も笑って首を振る。
「特にこれと言ってないな。俺はおまえがいればそれでいい。」
「そう、ですか・・・・」
いつもながらのストレートな言葉に頬を染めつつも、少女は肩を落として俯いてしまう。

そんな想像どおりの反応に溜息をつきながら苦笑し、レヴィアスは茶色の髪を撫でる。
「そうがっかりするな。別に趣向を凝らさなくとも、良いだろう。」
「え?」
「チョコレートとおまえだけで十分だ。」
驚いたように顔を上げた少女にくちづけ、青年は口の端を上げる。
「・・・・気付いて、らしたんですか?」
「今の季節、おまえぐらいの歳の娘が好きそうなイベントと言えば、バレンタインぐらいだろう?」
真っ赤な顔で見つめる潤んだ瞳に吸い込まれそうな錯覚を起こしながらも、それを堪えて彼は机上のカレンダーに目をやる。
そして他の誰かにはけして見せない柔らかな表情を浮かべ、再び彼女に視線を向ける。
「学校で友達とそういう話をしていて、その・・・本命の方には、チョコと一緒に何か他の物も贈るって・・・」
「・・・それで?」
「だから・・・・わたし、レヴィアス様に何を差上げたらいいんだろうって、一生懸命考えたんですけど、思い付かなくて。変だとは思ったんですけれど、やっぱりレヴィアス様にお訊きした方がいいかなって・・・・すいません。」
「クッ、まったく・・・・」
当日でもないのに告白めいたことを恥じらいがちに言う少女に嬉笑し、レヴィアスは小さな体を引き寄せ抱き締める。

「俺はおまえがここにいれば、それでいい。」
「レヴィアス様・・・・」
胸に身を寄せる恋人の声が困ったように名を紡ぎ、それは体に直接響く。
そんな彼女の嬉しさを秘めた困惑を宥めるように癖のない髪を弄びながら、彼はふと思いついて口を開く。
「だが・・・そうだな。要求ではなく要望なら、少しある。」
「なんですか?」

「俺以外のヤツにはやるな。」

「え?」
きょとんと顔を上げた少女に唇を寄せ、その柔らかさを堪能しながら口移しにもう一度繰り返す。
「俺以外のヤツにはやるな。別に果たす義理などないだろう?」
「え?でもカインさんにはお世話になってますし、ルノーちゃんやショナ君たちにもよくしてもらって、それに・・・」
「駄目だ。」
『義理』の相手を次々と口にする彼女に、彼は一瞬にして表情をなくす。
「誤解する輩がいないとは、限らんからな・・・・」
「あ、レヴィ・・・んっ・・・」
そしてすぅっと左右で色を違えた瞳を細め、動く唇を今度は深く塞ぐ。

「・・・・仮に義理を果たすとしても、それはバレンタインでなくとも良いだろう?」
瞳を潤ませて肩を上下させる体を椅子から抱き上げて自分の膝に乗せ、真っ赤に染まった耳元で低く囁く。
「俺の言うことがきけないか?」
「い、いえ、そんなことは・・・・・」
驚いたように少女は慌ててふるふると頭を左右に振り、凭れ掛かったまま目線を上げる。
その瞳をまっすぐに見下ろし、彼は無言でその先を促す。
「・・・判りました。レヴィアス様がそうおっしゃるのなら・・・わたし、レヴィアス様にしか差し上げません。」
そして鈴の音のような声で紡がれた誓いに、青年はようやく穏やかな表情を見せ抱き締める。
「いい子だ。」
従順にもそっと腕を背中に回し抱きしめ返してきたことに目を細め、レヴィアスは甘い匂いを放つ髪に顔を埋める。

「楽しみにしてるからな。」



そして、今日がその約束の日。
バレンタインデー。

「アンジェリーク。」

厨房を覗いた青年は、ちょうど箱にリボンを掛けている少女に声をかける。
「あ・・・・レヴィアス様。」
呼びかけた声に顔を上げた彼女は嬉しそうに微笑み、包みを胸に抱いてキッチンの入り口に立つ彼の元に駆け寄る。
「おかえりなさいませ。」
「ああ。」
「あの・・・それと、これ・・・・」
出迎えの言葉を口にしながら持っていたものを差し出す小さな両手に、彼は堪え切れない笑みが零れる。
「受け取ってくださいますか?」
「・・・当たり前だろう。」
すぅっと柔らかな頬に手を沿え見上げる唇に軽くくちづけて、レヴィアスは途端に朱に染まった顔を覗き込む。
「俺が欲しいのはおまえからの菓子と、おまえ自身だからな。」
「え?・・・・きゃあっ!」
小首を愛らしくかしげた少女を、青年はなんの予兆もなくいきなり抱き上げる。
そして余りに突然のことで訳がわからなくなっている恋人を抱えたまま、すたすたと歩き出す。

「あ、あの、レヴィアス様・・・何を・・・・?」
恐る恐る見上げてくる蒼い瞳に喉を鳴らして笑い、彼は髪が乱れ剥き出しになった額に唇を寄せる。
「ちゃんと聴いていたか?・・・・俺は、おまえも欲しいんだがな。」
「レ、レヴィアス様・・・・・」
「・・・・ダメなのか?」
言葉の意味が判ったのか全身真っ赤になる少女に、青年は今にも触れそうな距離で訊ねる。
「あ・・・いいえ、その・・・・・・・・・嬉しいです。」
「そうか?」
小さな声で了承する姿に情欲交じりの愛しさが一層込み上げ、レヴィアスは口の端を上げ艶めいた瞳を細める。

「では・・・・ありがたくいただくとしよう。」


意味ありげに食事の挨拶を口にし、彼は自分だけの甘い菓子を自らの部屋に連れ帰ったのだった。