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Warm
「ねぇ・・・・・レヴィアス、機嫌直して?ね?」
ソファーの肘掛けで頬杖を付き不機嫌そうに眉を顰めている旦那様の顔を、横に座った奥様は小首を傾げて覗き込む。
そして一向に直る様子のないその表情に溜め息を吐き、アンジェリークはほんの半時前のことを思い返すのだった。
すっかり夕食の用意が整ったダイニング。
その隅にしゃがみこみ、少女は愛犬の前に彼の食器を置く。
「レヴィアス遅いね、アルフォンシア。」
薄茶色のふわふわとした尻尾を振って食べる姿を見ながら、アンジェリークは本当は聴かせるわけでなく呟く。
7時には帰るとキスして出て行ったのは、今朝。
しかしその時間になっても、黒髪の愛しい人は玄関には立たず。
そして、とうとう9時を回ってしまった。
さすがにお腹をすかせた小犬を自分に付き合わせて御飯をずっと我慢させるわけにもいかず、与えたのだが。
「お仕事だから、しかたないのよね・・・・・」
過去何度も自分に言い聞かせてきた言葉を零しながらも、どうしても寂しさがにじみ出てしまう。
「でも・・・・バレンタインなのにな・・・・・」
丁寧に包装した彼に贈るチョコレートの箱を手に取る。
喜んでもらえるよう、心を込めて作ったガナッシュとラムボール。
自分にはまだちょっぴり大人の味だったけれど。
大好きな人の口に合うことを願って作ったもの。
「早く帰ってきてね、レヴィアス・・・・・」
そっと掛けたリボンに祈りをくちづけた時。
それが通じたように、チャイムが鳴り響いたのだった。
「おかえりなさい、レヴィアス!」
パタパタとスリッパの音をさせながら玄関まで駆けて行くと、そこには想像通り待ち人がいた。
「ああ・・・・ただいま。」
目を細め微笑まれて思わず見惚れていると体を引き寄せられ、前髪の上から額に唇を寄せられる。
「遅くなって悪かったな。」
「ううん、お仕事だったんでしょう?ちゃんと帰ってきてくれたから、いいの。」
「クッ・・・・お前の元以外のどこに帰る場所がある?」
「ふふっ・・・・遅くまでご苦労様。」
背伸びして自分の頬にキスする彼女に彼女自身のもの以外の僅かに苦みが混じった甘い匂いを感じ、レヴィアスは小さく笑う。
そして小さな体を抱いていない手に持ってきたものを蒼い瞳の前に出す。
「アンジェリーク、受け取ってくれるか?」
「え・・・・・?」
「おまえによく似た花だ。」
差し出されたのは、小さな鉢植え。
そして、鈴に例えられる小さな花。
それが愛らしく植えられている。
「言っていただろう、寝室の出窓に飾る花が欲しいと。」
「憶えてたの・・・・?」
確かにこの間そんなことを言った憶えはあった。
しかし、小さな声で呟いた程度だったので彼の耳に届いていたとは思わなかった。
ましてや、その欲しかったものを贈られるなんてこと。
全然想像もしてなかった。
「で、でも、なんでプレゼントなんて・・・・?」
旦那様の言葉からわざわざ買ってきたということを感じ取り、アンジェリークは鉢植えを抱え小首を傾げる。
昔からことあることに贈り物をくれるが、それは何か記念日の時か、そうでなければちゃんと彼女に確認してからのことがさすがに結婚してからは多い。
もちろん、それでも突然とんでもないものを手渡されて驚くこともあるのだが。
しかし今日のプレゼントは彼にしてはささやか過ぎ、そんな思い付きとは少し違うように感じて、少女は贈り主を見上げる。
「そんなに不思議がることないだろう・・・・・」
「んっ・・・・・・」
その表情に頬を緩め、レヴィアスは小さな顎に手を掛け桜色の唇にくちづけをする。
「バレンタインは愛を贈る日だろう?」
「う、うん・・・・・」
「だったら別に、俺がおまえにプレゼントを贈ってもおかしくはない。チョコレートではないがな。」
「そう、ね・・・・・あ、ありがとう。」
真っ赤になって礼を言う愛しい妻にもう一度キスして囁く。
「それで・・・・俺はおまえから貰えないのか?」
改めて訊くまでもないことを訊ねると、彼女はくすっと笑う。
「あなたの口に合えば、いいんだけれど?」
彼からのプレゼントを部屋続きの居間のテーブルに置いて、アンジェリークはダイニングに戻ってくる。
そして先程祈りを込めた包みを胸に抱きしめ、椅子に座りネクタイを緩める旦那様の横に立つ。
「今年も受け取ってくれる?」
「当たり前だ。おまえからのものしか受け取らないぞ、俺は。」
自分を見上げ差し出したチョコレートの箱を手にする彼にほっとして、黒髪が掛かる首に抱きつく。
「よかった・・・・」
「喜ぶのは、俺の方だろう?」
「でも、嬉しいんだもの。大好きよ、レヴィアス。・・・・・愛してるわ。」
本当の贈り物を嬉しそうに耳元で贈られて、レヴィアスは口の端を上げる。
が、しかし。
キッチンの前で依然食事をしている小犬の姿が目に入り、怪訝そうに眉を顰める。
「・・・・・・・・・・アンジェリーク。」
「何?」
「あれはなんだ?」
首に細い腕を回したままできょとんと首を傾げる妻に、彼はむすっとしながら訊ねる。
「あれって・・・・アルフォンシア?」
指差された後ろを頭だけで振り返り、アンジェリークは再び眉を寄せる顔を見る。
「あまりお預けしちゃうのは可哀想だから、御飯あげたんだけど・・・どうかしたの?」
「何故、あんなものを食べている?」
「あんな・・・・もの?」
何か変なものでも食べさせただろうかと、少女は思い巡らす。
だがしかしそんな考え込んでいる彼女を立たせて、彼は立ち上がる。
「レヴィアス?」
そしてぱちくりとして見上げる顔に、苛立った声でもう一度訊ねる。
「どうして俺よりも先に、アルフォンシアがおまえからチョコレートを貰ってるんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
その彼の不服そうな言葉を一瞬理解出来ず、そしてハッとして顔を強張らせる。
確かに小犬の皿には、チョコレートが乗っている。
もちろん犬には毒であるから本物のそれではなく、犬用のものだけれど。
けれど、彼が問題視しているのはそんなことじゃない。
それが見下ろす表情から、よ〜く判ってしまって。
珍しく、あの小さな犬に妬いている。
普段は可愛がっているのに。
・・・・・いや。
ただ単に、懐かれて自分に害がないと思ってるだけなのかもしれないが。
害があるのなら、何であっても敵視する人だから。
「あ、あの・・・・レヴィアス?」
そんな青くなって立ち尽くす彼女に構わず、彼は居間に行ってしまう。
その行動に我に帰り、少女は慌てて大きな背中を追ったのだった。
そして、何とか弁明する為に茶色い頭をフル回転させてみたのだが。
しかしその努力空しく、旦那様の機嫌は少しも直らず。
今に至る。
「ごめんなさい・・・・レヴィアスはアルフォンシアと仲がいいから、怒らないって無意識に思ってたの。」
そっぽを向いて拗ねたままの彼にそれでも縋るように、彼女は言葉を続ける。
「アルフォンシアへのは、売ってたから買ってみただけだし・・・・わたしが贈りたいと思ったのは、あなただけよ?」
「・・・・・・・・・贈る順番が、二番目以下でもか?」
「レヴィアス・・・・・・」
一番、もしくは唯一でなければ意味がないという言葉に、アンジェリークはぎゅっと胸の前で手を握りしめ俯く。
他意はなかったにしろ、結果的に彼への想いが後回しになってしまったのは事実で。
彼にしてみれば、瑞雪を踏み荒らされた気分なのだろう。
その気持ちは、彼女にも判らなくはない。
しかし、だからといって時を巻き戻せるわけもなく。
彼が不機嫌な理由を取り除くことは、それを成した少女にも出来ない。
「謝っても許してくれないのなら、どうすればいいの?」
なんだか哀しくなってきて、涙がこぼれそうになる。
「あなたが喜んでくれるかなって、美味しいって言って食べてくれるかなって、心を込めて作ったの・・・・それは、嘘じゃないわ。」
さすがに愛する妻を泣かせてまでふて腐れてるのは大人気ないと思ったのか、向き直り苦虫を潰したような顔で涙を拭おうとする。
「それに・・・・あなただけにしかあげないもの、たくさんあるのよ?」
「・・・・・・・・・知ってる。」
しかし小さな両手でその手を取り頬に寄せながら、アンジェリークは金と碧の瞳を真っ直ぐに見上げてもう一度訊ねる。
「どうすれば、許してくれるの・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・クッ・・・」
だが一瞬何かに目を見開いた人に次の瞬間鮮やかに浮かんだ笑みに、少女は戸惑い胸が高鳴る。
「レヴィ・・・・アス・・・?」
「そんなものは、決まってるだろう・・・・・」
ぼんやりと見上げる彼女から捕らえられた手を奪い返し、彼は口の端を上げながら茶色の横髪を後ろに梳き上げる。
「おまえにしか、出来ないことだ。」
そして小さな頭を片手で固定して、もう片方の手で細い腕を掴んで引き寄せて柔らかい唇を塞ぐ。
「んぅ・・・・・んんっ・・・・っ!」
突然のことに相変わらず慣れず、反射的に逃げようとする少女を腕の中に閉じ込める。
そうしてしばらく楽しみ小さな体から強張りがすっかり取れた頃、小さな口を解放してやる。
「こ・・・・これで、許して・・・くれるの・・・・?」
苦しかったのか、それとも別の感覚のせいなのか。
息を切らせ尋ねる顔に色めいた表情を見て、レヴィアスは喉を鳴らし笑う。
「おまえ、そう簡単に許してもらえるようなことだったと思うのか?」
「レ・・・・レヴィアス・・・・・」
「それに・・・・・・チョコなどよりおまえ自身の方がよっぽど美味そうだ。」
「・・・・・・・・・・っ!」
カッと朱に染まるのを見届けて、彼は再び唇を寄せ掛ける。
「ああ・・・・・おまえが作ったものも、後でちゃんと残らず戴くから安心していいぞ。」
そんななんとも無体なことを言う人にまた唇を奪われそうになり、少女は両手で口元を隠す。
「なんだ・・・・許さなくてもいいのか?」
そのことに片眉を上げる彼に、慌てて彼女は言い繕う。
「そ、そうじゃなくて、先に夕食食べましょうよ?遅くまで働いて、レヴィアス、おなか減ってるでしょう?」
「別にそんなことはない・・・・今の俺には、いや、何時であろうが、おまえさえ与えられれば、ひもじさなど感じないからな。」
何とか笑みを作って彼の行動を止めようとするが、当然のごとく、とんでもない比喩で一蹴される。
「ま・・・・逆に言えば、おまえを食べることが出来ないと飢える、ということだ。」
その上、執拗な指越しのキスをしながら更にとんでもないことを付け加える人に、アンジェリークは沸騰するかのごとく真っ赤になる。
「でも、ほら、ここじゃ、アルフォンシアがいるし・・・・ね?」
「おまえ・・・・・・・、また俺を怒らせたいのか?」
最後には困り果てて、うっかり今の状況では禁句な固有名詞をつい零してしまい、ますます墓穴を掘る。
「だ、だって、恥ずかしいじゃない・・・・・・そんなの・・・・」
「クッ、今更だと思うがな・・・・・・・・・・・・・そんなにいうのなら、判った。」
「?!・・・・・・きゃぁっ!」
急に抱擁を解かれたかと思うと、いきなり鉢植えを持たされ横抱きに抱き上げられてしまう。
「ちょっ・・・あのっ、レヴィアスッ?!」
その行動の意味と行き先をおそらく考え当てていながらも、彼女はさっさと歩き出す彼の名を叫んで理由を問い質す。
「アルフォンシアがいない場所なら、構わないんだろう?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!もうっ、ちょっと待ってってば、お願い・・・・・っ!」
案の定わざと言葉を曲解し、しかし的確に心理を読みニヤリと笑う我が侭な旦那様の腕の中で、少女は浮いた足をばたつかせ暴れる。
「判ったから、レヴィアスの・・・・その、好きにしていいから・・・・でも、」
「・・・・・・・なんだ?」
渋々ながらも歩みを止めてくれたことにちょっとほっとして、彼女はまた不機嫌そうになった彼を見上げる。
「わたし、まだあなたからプレゼントを貰ってない・・・・」
「・・・・・何?」
「このお花も嬉しかったけど・・・・これに込められたあなたの気持ちも聴きたい。」
感情表現がストレートすぎるが故に、めったに声になることがない心。
言葉少ない彼は、行動でその愛情を表すから。
その一番純粋な想いは、いつだって届いてるけれど。
『聴く』という形でもそれが欲しいアンジェリークは、レヴィアスに強請る。
「なんかね・・・・結婚してから、ずっと聴いてない気がするの。気のせい、かな・・・・」
端から聞いたら彼女に対する愛情がまるで冷めてしまったかのように聞こえるそれに、彼は苦笑し頬を染める少女を覗き込む。
「なんだ、俺の気持ちを疑うのか?」
「そんなことない・・・・でも玄関で今日は『愛を贈る日だ』って言ったの、レヴィアスよ?」
「そうだな・・・・・」
珍しく子供のように強請る唇に嬉しくなり、愛しすぎる存在に優しくくちづける。
もっとも本当に子供だった頃、少女はこんなものを欲しがりはしなかった。
少なくとも、それを表に出すような真似はしなかった。
だからこそ尚更喜びを感じ、レヴィアスは拗ねたような表情に金と碧の瞳を細める。
「いつも言ってくれなくてもいいの、ちゃんとあなたの心は伝わってくるもの。でもね、今日は聴きたい、あなたの気持ち・・・・たった、一言でいいから。」
その視線に胸が締め付けられたように苦しくなり、彼女は彼の頬に片手を伸ばす。
「ねぇ・・・・・・ダメ?」
「いや・・・・・それがおまえの願いなら、いくらでも言ってやる。もちろん、これ以上なく心を込めてな・・・・」
笑って自分を抱き直す人に、アンジェリークは同じ高さになった視線に期待を滲ませ淡く微笑む。
その蒼い瞳を真っ直ぐに見返し、レヴィアスは口を開く。
「俺が愛おしく思うのは、おまえだけだ。ずっと、誰よりも、何よりも・・・・・おまえだけを、」
「愛してる、アンジェリーク・・・・・・」