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茹だるような暑さの黄昏時。
帰って来た彼が家の前で見たのは、『妹』の姿だった。
「お兄ちゃ〜ん、こんばんはぁ!・・・・・・ねえっ!お兄ちゃんってばっ!!アリオスお兄ちゃんっ!!」
せめてチャイムを鳴らせばいいものを。
ドンドコドンドコ玄関を叩いている姿に呆れ気味に溜め息を吐く。
「なにやってるんだ、おまえは。」
ぺチンとその茶色い頭を叩く。
「むぅ〜、なんでお兄ちゃん、後ろにいるの?」
そんなに強く叩いた訳じゃないのに頭を押さえ涙目で振り返るアンジェリークに、アリオスは少しばかり動揺する。
だがそれを押し殺して、少女を見下ろす。
「今帰ってきたからに決まってるだろう。なんの用だ?」
「あっ、あのね、これ、ママがお裾分けだって。」
そう言って彼女が差し出した籠の中には真っ赤なトマト。
それを見た彼は苦々しい顔になる。
なぜなら・・・・・
「おまえ、うちの庭を見たことないのか?」
そう。
彼の家の庭の端っこ。
隣家との境に近いそこに、彼女の持ってきた物に負けないぐらいの野菜が生っている。
・・・・・青年が育てた訳では、もちろんなかったが。
「これ以上あっても困るだけだ。持って帰れ。」
きっぱりと言い渡す。
本当に困るから。
「・・・・・・・・・・・っ・・・・・・・」
が、小さく聞こえたしゃくり声に慌てる。
「おっ、おいっ!!」
「そんなふうに言わなくったって・・・・・」
予想通り、本当に子供のような泣き顔で少女は俯く。
「お兄ちゃん叩くし、トマト貰ってくれないし、意地悪だし・・・・・・キラ〜イ!」
ふぇ〜んと泣き出した彼女に、アリオスは頭抱えそうになる。
こんなところを近所の連中に見られたら、何を言われるか。
とかく、奴等はこいつに甘すぎる。
それは彼自身にも言える事なのだが。
とりあえず、それは棚の上に置いておくとして。
今の現状を何とかした方がいい。
「判った!判ったから、泣くなっ!!」
少女の手から籠をふんだくり、彼は何とか宥める。
「貰ってやるから、泣くんじゃねぇ!!」
「本当?」
「あぁ。」
嫌々ながらも、思い切りよく頷く。
「でも、そしたら畑のトマトはどうするの?」
やっと泣き止んだ彼女は抜け抜けと心配する。
一体どうしたいんだ、こいつは?
げんなりと疲れきった顔でそれを見ながら、アリオスは家の鍵を開ける。
「判りきった事を聞くな。」
「作った奴が死ぬ気で食やいいんだよ。」
「牛乳でいいな。」
冷蔵庫を覗いた彼は、お使いの駄賃にとコップに白い液体を注ぐ。
「ありがとう♪」
置かれたコップの前の椅子に座って、アンジェリークはそれに口を付ける。
それを目の端に見てアリオスは自分には麦茶を注ぎ、彼女の向かいに腰掛ける。
「・・・・美味いか?」
本当においしそうに飲む少女に、それだけで幸せな気分になる。
何はともあれ、涙は引っ込んだようだから。
「うん♪・・・・お兄ちゃん家、食費少なそうよね。」
「・・・・なんでだよ?」
せっかくの幸せな気分をぶち壊しになりそうなセリフに、うんざりする。
「だって、カティスさんに色々と食べ物貰ってるでしょ。畑まで作ってもらって・・・・」
そう、頼まれもしないのに人ん家の庭の端っこに勝手に畑を作って、その上目付きと口が悪い青年を餌付けまでしているのは、金色の髪の青年。
アンジェリークが『妹』なら、奴は単なる『腐れ縁』だ。
別に友達でもなんでもない・・・・・・ハズだ。
なのに、街外れの自分の農園ほったらかしじゃないかと思うぐらい、何百分の一かの家庭菜園に手を掛けている。
トマトは言うに及ばず、キュウリ、なす、ヘチマ、向日葵等々、その上、朝顔の鉢植えまでいつのまにか置いてあったりして。
なんだか夏休みの観察絵日記が出来そうな雰囲気である。
事実、勝手にやっていくガキ共もいるが。
目の前の少女も含めて。
「お節介なおっさんだぜ、まったく。」
食費は、浮く事は浮いているが。
それはどうあっても家で食事を取らなければならないと言う強制力の賜物だ。
外食すれば、浮くどころか材料さえ無駄にする。
いや、例え腐らせても奴は肥料にしてしまうから、本当の意味では無駄になってないのだが。
「お兄ちゃん。」
「あぁ?」
真っ直ぐに自分を見る彼女に片方の眉を上げる。
こういう顔で見てくる時は、大抵ボケたことを言う時だ。
嫌な予感で次の言葉を待つ。
「カティスさんって、お兄ちゃんと同い年でしょう?『おっさん』は失礼だと思うわ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・おまえ、そんな正論ばっか言ってると、ろくな大人になれねぇぞ。」
心の底からそう思う。
「そうだ、トマト!お兄ちゃん、女の人にモテるから、女の人にあげたら?」
突然、さもいい事を思い付いたというように手を合わせて彼女は提案する。
「・・・・・・なに言ってるんだ、おまえ。」
呆れてものが言えない。
しかも、何故そんなに嬉しそうな顔で言うのか。
少女に密かな想いを持つ彼は、傷つく事この上ない。
確かに。
その辺の男よりも、女に苦労はしてない。
はっきり言って、放っておいても寄ってくる。
純真無垢な『妹』には、とても言えないことだってしている。
本気であろうはずがない、というのはもちろんのことなのだが。
いくら彼女でもそれを知れば、軽蔑の眼差しを向けるだろう。
そうなれば想いが通じる可能性は、ゼロになる。
「だって、プレゼント貰えれば嬉しいでしょ。」
「どこの世界に、トマト貰って喜ぶ女がいるんだよ?」
はぁっと溜め息を吐いて、麦茶を一気に飲み干す。
「でも、カティスさんにお野菜貰ってみんな喜んでるわよ。」
「・・・・・そりゃ、意味合いが違うだろう。」
いつまで経ってもボケ倒す少女に、一体自分はコレのどこに惚れたのだろうと嘆きたくなる。
「でも・・・・お兄ちゃん、好きな人いるんでしょう?だから、他の人にはあまりあげられないよね。変なこと言って、ごめんね。」
口元に指を当てて愛らしく笑う。
が、もちろん彼がそれに見惚れる事はなかった。
「な・・・・・に?」
言われた言葉にこれ以上ないくらいに混乱していたから。
ひょっとして、やっと気が付いたんだろうか?
その割には無邪気すぎる気がするが。
もう少し色っぽいとか、艶っぽいとか、テレるとか、赤面するとか。
普通はそういう表情をするものだろう。
例え相手に対してその気がないとしても。
第一、それなら『女の人にプレゼント』というセリフは出てこないだろう。
理解不能にも程がある。
「どういう・・・・・・意味だ?」
だから、そう言うのがやっとだった。
「どういう意味って、そう言う意味よ。・・・・ひょっとして、まだ隠してるつもりだったの?」
にもかかわらず、きょとんとした顔で返されてますます訳が判らなくなる。
判ってるのか判ってないのか、どうも判別できない。
長すぎる付き合いにもかかわらず。
いや、だからこそなのか、この場合。
パターンが読めすぎて、少しでもそれを外れると考えがまったく読めなくなる。
ましてや、今は動揺しまくっているから尚更だ。
「あっ、でも・・・・・」
彼の心中がそんなことになっているとは、露知らず。
思い付いたように少女は気使わしく口を開く。
「報われなくても、落ち込んじゃ駄目よ。」
「・・・・・・・・は?」
報われないとはどういう意味だろうか?
まさか好きな奴が出来たとか。
そんな馬鹿な。
そういう場合、一番に報告して来るに決まってる。
言われた方がどう思うかなんて少しも考えずに。
それとも、また盛大に誤解、曲解、妄想、勘違いをしているのだろうか?
考えがまったくまとまらない。
「あっ、もう帰らないと、パパに怒られちゃう。今度、宿題教えてね。」
椅子から立ち上がったアンジェリークに、アリオスはハッと我に返る。
「ア・・なっ・・ちょ、・・・待てっ・・・・・」
慌ててそれを止めようとするが、その行動はむなしく無駄に消える。
「じゃあね、お兄ちゃん。」
自分の数々の爆弾発言で、目の前の青年の顔が引き攣っているのに少しも気付かず。
悠々自適な夏休みを送る女子高生は、笑いながら家に帰っていったのであった。