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Early Fall




世間の学生の夏休みも後半に入った頃。

約束を盾に連れ出された市民プールは、子供たちでいっぱいだった。
それでも家庭サービスの親子連れが少ない分、当初の予定だった遊園地のプールよりは空いているのだが。
けれどアリオスを不機嫌にしているのは、さんさんと降り注ぐ太陽の暑さでもうじゃうじゃといるガキどもでもなく。
何故かここにいる金色の髪の少女だった。

「不機嫌そうだネェ。」
「・・・・・・・・なんでお前がここにいるんだ?」
苦り切った顔で睨み付けながら、彼は問う。
「ワタシはアンジェから誘われたの!アナタにとってはジャマだろうけどね。」
ワタシだって、アナタがいるとは思わなかったよ。
そう付け足して、レイチェルはその紫翆の瞳で睨み返す。
「だいたいさぁ、あの子に入場料オゴらすなんて、いい歳して恥ずかしくないワケ?」
「俺だって好きでおごられた訳じゃない。」
苦悶に満ちた表情で思い返す。


遊園地のプールに行くはずだったのだ。
浮き輪に麦藁帽子、お弁当を持った少女が玄関先で「おごる!」などと言い出す前は。

「は?」
「だからね、この前はお兄ちゃんにアイスまで買ってもらっちゃったでしょう?今日は、私がおごってあげる。」
あの大きなプールの入場料がいくらなのか知っているのだろうか。
どう考えても、今日二人分を払って遊んでしまうと彼女のお小遣いでは月末苦しくなることは目に見えている。
それ以前に、十以上も年下の子供におごらせるというのは不愉快極まりないが。
「馬鹿言うなよ?お前におごられて、俺が納得して楽しむと思うか?」
「でも、いつもいつもお兄ちゃんにおごってもらってばかりじゃ申し訳ないもん。」
「ガキがンなこと、気にしてるんじゃねえよ。」
玄関脇にもたれながら、アリオスはアンジェリークを見下ろす。
「また子供扱いするぅ!」
「ガキをガキ扱いして何が悪い。」
そんなふうに扱って欲しくなかったら、さっさと人の気持ちが判るようになりやがれ。
心の内でそう溜め息を吐きながら、頬を膨らます少女の帽子をずり下げる。
「?!」
「市民プールならおごられてやるよ。」
「え?」
帽子のつばを両手で上げながら、目を見開いて見上げる。
「わざわざ遊園地まで行く必要ねぇよ。それとも、おまえはどうしてもあんなとこまで行きてえのかよ?」
「う、ううん、お兄ちゃんが市民プールでいいって言うのなら、わたしは別に・・・・・」
心なしかほっとしたように見えるのは、やっぱり『今月ピンチッ!』と思っていたからなのか。
だったら、最初っから言い出さなけりゃいいものを。
「弁当貸せ。あそこは食いもん持ち込み禁止だからな。」
「どうするの?」
「帰って来てから食やいいだろう?冷蔵庫に突っ込んどく。」
「うん、帰ったら一緒に食べようね♪」
その無邪気さに少々苦笑しながら、受け取った包みをキッチンへと運んだ。


今思えば、この時、少女は親友に電話を掛けたんだろう。
『デート』だとか言っときながら、この低落。
『妹』の思考に期待したのがそもそもの間違いだったと、毎度毎度彼は思う。
にもかかわらず、期待し続けてしまうのは何故か。


「なんでおまえとプールサイドにいなけりゃいけねえんだ。ったく・・・」
「それはこっちのセリフだヨ。」
二人して不機嫌なオーラを発して、周りは結構ひんやりとした空気が流れる。
もちろん、近づこうなどという勇気がある者はいなかったが。
「それで、アンジェは?」
いつまで経っても現れないデートの相手に痺れを切らして、隣の少女に尋ねる。
「まだ着替えてた。・・・・・あ、期待しても無駄だと思うヨ。」
「・・・・うるせえ。」
釘と図星を刺され、アリオスは眉を寄せる。

「お待たせ〜っ!!」

掛けてきた少女を見て、彼女の親友の言葉は真実だと知る。
薄いピンクのワンピース。
彼女のシュミからして選んで当然のそのデザインは、もちろんそんなに露出が高いワケがなく。
可愛いらしさ重視のヒラヒラだ。
それはそれで、まぁ・・・・いいんだが。

「小学生かよ・・・・・まだスクール水着の方が色気あるぜ。」
「むうっ!そんなことないもんっ!!」
かなりな具合に貶されて、アンジェリークは再び頬を膨らます。
「そうかぁ?ちったぁ、おまえの幼なじみとやらを見習ってみろよ。」
ふふんと笑って、彼は腕を組んで斜に構える。
「わたしがレイチェルの水着着ても、似合わないもんっ!」
「誰もこいつのコレを着ろって言ってねぇだろうが。」
「チョット!指差さないでくれるっ!!」
彼の手を少女はべチンと叩く。

「・・・・・・・・・全く、何で素直にホメられないんだろ?」

「ん?なに、レイチェル?」
「なんか言ったか?」
「べっつにぃ〜。」


「お兄ちゃん、泳ごうよ?」
「おまえらだけで勝手に行ってこい。俺はここにいるから。」
誘いを掛ける少女を追い払うように、手を振る。
「う〜ん・・・・・判った。じゃあ、わたし達泳いでくるね♪」
「溺れんなよ。」
浮き輪を腰に水面に掛けていく少女に、パラソルの日陰で寝っ転がりながら忠告する。
「・・・・・・浮き輪してんのに、溺れる訳ないじゃん。」
「なんでいるんだよ?」
思いっきり不機嫌に問い返す。
「報われない恋してんだって?」
「っ!」
問いを無視され、問われたことに彼は絶句する。
その表情にゆっくりと芝居掛かって首を振り、レイチェルは同情したように口元に手を当てる。
「いいの、いいの。別に言い訳しなくたって。」
「おいっ!誰に俺が報われないって?!」
「誰でも同じでしょ?あの子がそう思っている限り、報われないもんねぇ。」
呆気に取られるアリオスを尻目に、クスッと笑って少女は親友の元へと飛び込んでしまった。


誰でも同じ。

それはそうだ。
少女が思い込んでいる相手が彼女以外でも彼女本人でも。
今のままじゃ、報われないに違いない。

他の誰かを好きだと思い込んでいるのなら、まだ望みはある。
けれど問題は、彼の心に気が付いていた場合。
本人が言うからには、本当に報われないんだろう。
その可能性は・・・・かなり低いのだろうが。

現状がまずい状況ということは判っているが。
いまいち、きっかけがない。
というより、あの天然の性格で逸らかされている気がする。
それが無意識だというんだから、頭が痛い。

懐かれて。
笑い掛けられて。
まさに生殺し状態。

けれど心のどこかで、満足してしまっている自分がいる。

嫌われるよりは、離れて行かれるよりは。
よっぽどマシ。
そう思う気持ちは確かにある。

『妹』が『妹』のまま、側にいてくれる保証はどこにもないにも関わらず。
むしろ、そろそろ危ない頃だろう。
いつまでも、子供っぽさを残しているはずがない。
どこかの誰かが彼女の『女』としての魅力に気付くかもしれない。
それを一番最初に見付け当てた彼を差し置いて、手に入れようとするかもしれない。

・・・・・そんなこと、許しはしない。
あれは、あいつは、俺の・・・・・・・・


「お兄ちゃん、起きてってばっ!!」
頬に触れる濡れた手と聞き慣れた声に、アリオスはパッと瞳を見開く。
そこには髪と体から水を滴らせた少女の姿。
いつもとは違う太陽で光り輝くその雰囲気に思わず手が伸びるが。
「大丈夫?」
何故か心配そうな蒼い瞳には、けしてプールの水ではないものが浮かんでるのに気が付き。
彼は思いっきり焦る。
「どうか・・・・・したのか?」
眉を顰めて尋ねようとするが、うまく呂律が回らないのに気が付く。
その上、なんか頭がボーッとする。
なんか・・・・・すごく暑い。

「アンジェ、ちょっと避けてっ!」

その言葉と同時に水が引っ掛けられて。
一気に思考がクリアになる。
体がだるいのは治らないが。
「な・・・んだ?」
「なんだじゃないヨ!・・・・眠りコケた挙げ句、熱射病だなんて。ご近所の評判、下がりまくりだね。」
「熱射病・・・・・?」
いつもなら怒鳴っているところではあるが。
その体力がない。
「お兄ちゃ〜ん、死なないで〜っ!!!」
胸に頭を伏せられて、泣き付かれ。
改めて事態を把握する。
「馬鹿・・・・・こんなことで俺が死ぬかよ。」
その小さな体を残念ではあるが押し退けて、アリオスは起き上がる。
「バカは、アナタッ!アンジェが真っ赤な顔のアナタ見付けなきゃ、死んでたヨッ!」
腕を組んで金髪の少女は睨みつける。
その言葉に、未だ泣き止まないアンジェリークを見て。
フッと笑って、その頭を撫でる。
「サンキュ・・・・心配かけたな。」
「ううん、お兄ちゃんが無事ならいいの。」
一生懸命涙を拭って、少女は笑う。
「チョット!ワタシには、礼はないワケ?」
「・・・・・・・・・・サンキュ。」
かなり嫌そうに渋々と彼は呟いた。


その後、辛いながらもアンジェリークと一緒に家に帰った訳だが。
何故か少女と共に邪魔者も付いて来て。
どうしてだか、彼女の作ったお弁当を一緒に食べる羽目になってしまった。

わざとやっているのが手に取るように判って。
腹が立つこと、この上なかったのだった。