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Raven-Black
「アリ・・・・オス、よね・・・?」
日の曜日。
いつものようにレイチェルに見送られて約束の地にやってきたアンジェリークは、そこで待っていた人の姿に戸惑ってしまう。
自分がここに逢いに来た人には違いない、それは間違いなく。
けれど、いつもと違うのだ。
その・・・・・・髪の色が漆黒で。
まるで、かつての彼・・・・・というのも変なのだが。
とにかく、紫がかった銀という今の髪の色ではなく。
そして、いつも羽織っているジャケットも着ていない。
「俺が俺以外の誰に見えるっていうんだ?」
かなり不機嫌そうな口調で、遠巻きに呆然としている少女を睨みつける。
「あ、あの、どうしちゃったの、その髪?」
見覚えはあるけれど見慣れない彼の姿に、彼女は恐る恐る近づく。
逢えなかった二日間に何があったと言うのだろう?
「・・・・・・ガキに染料被らされたんだよ。」
「・・・・・・え?」
「頭から一気にな。」
アリオスは苦々しい顔で事実を口にする。
「ったく、どこぞの派手な守護聖様が、最近エレミアの布地にご執心らしくてな。染め物屋や織物屋はガキまで巻き込んでてんてこ舞だぜ。」
「それで・・・・・手伝ってあげたのね。」
どうやら、なぜか子供好きする人柄となんだかんだいいながらの面倒見の良さは健在らしい。
なんだかほっとして安心してしまい、くすくすと笑みが洩れてしまう。
「何が可笑しい?」
「え・・・・ううん、なんでもないわ。」
せっかく逢えたのに、更に不機嫌になられては堪らない。
慌てて少女は取り繕う。
そんな彼女にいまいち納得いかなかったが、青年は気を取り直して口を開く。
「それでこの髪はまぁ、別に今更だしそのうち伸びるからな、いいとして、ジャケットの方は派手に変色してしまってな。染め物屋の親父が染み抜きしてくれるそうだ。」
「そう・・・・」
もう一つの疑問を口にする前に答えられ、アンジェリークはぼんやりとアリオスを見上げる。
よくよく見てみると、あれほどの艶やかな黒ではない。
少しだけくすんだ色だ。
それでも、彼の雰囲気を変えるのには充分で。
なぜか、少しの居心地の悪さとテレを感じてしまう。
「なんだよ、俺はそんなにいい男か?」
じぃっと見つめられて、彼はからかいを口にする。
「さっきから顔ばかり見てやがんな。」
「ええっ?!」
「だろ?」
自分の言葉に思いっきり取り乱して赤くなる姿に、不機嫌だった口元を揺るます。
「た、確かにアリオスはカッコイイと思うけど・・・」
「思うけど、なんだよ?」
素直に自分の言葉を認められて少々驚きながらも、アリオスは言葉の先を促す。
「それよりも、黒髪のあなたをこんなに側でゆっくり日の光の下で見たことないから・・・・」
いつも『彼』が自分の前に現れたのは、夜か薄暗い建物の中。
それもいつも命の危険を感じるような切迫した空気の中で。
こんなに呑気にその姿を眺めたことは一度もない。
彼女のトボけた感想を聞き、青年は片眉を上げる。
「なんだ、そりゃ。新手のイヤミか?」
「そんな・・・わたし、イヤミなんて言ってないわ。」
慌てて否定する少女に、彼は心の中で苦笑する。
純粋な天使の言葉をイヤミだと取ってしまう自分の後ろ暗さに改めて気が付いて。
「そうだな、おまえにそんな高度な皮肉が言える訳ねぇか。」
「どういう意味よっ?!」
「どういうもこういうもねぇだろ?『単純』だって言ってるんだよ。」
食って掛かってくる彼女の質問をアリオスはあっさり切り捨てる。
「たっ、単純って・・・・・」
その言い草に、アンジェリークは一瞬二の句が継げない。
「そんなことないわ、ちゃんとわたしだって考えて・・・・」
「単純だろ、髪の色一つで惑わされやがって。」
「?!」
痛いところを突かれて少女は押し黙る。
彼の言う通りなのだ。
髪が黒かろうと白かろうと彼であることには、なんら代わりない。
『彼』の魂が再び命となり、今ここにあることに意味があるのだから。
今のところ、彼を唯一の民とする『女王』としても。
彼がそばにあることを願う『少女』としても。
けれど・・・・・・
「だって・・・わたしの目の前で消えてしまうのは、いつもその姿なんだもん。」
涙をにじませながら、目の前の人のシャツを握り締める。
「あなたの正体が判ったあの夜だって、聖地でだって・・・・あの、あなたのお城でだって・・・・」
「アンジェ・・・・・・」
「いつだって、あなたはわたし一人を置いてっちゃう・・・・っ!」
彼女の事実の告白に、彼は空に向かって小さく溜め息を吐き。
泣きじゃくる少女を少し乱暴にも思える荒さで抱き寄せる。
「ア、アリオス・・・・?」
その力強さにアンジェリークは我に返り戸惑う。
「泣くな。俺は今ここにいる。・・・・それじゃ不満か?」
「そうじゃないの・・・・違うの、そうじゃなくて・・・・」
尋ねる言葉にアンジェリークは懸命に首を振る。
「嬉しいの。嬉しいんだけど・・・・怖いの。・・・・ごめんなさい、うまく言えない。」
自分の心を言葉に表わせなくて困惑する彼女からは見えないところで、アリオスは小さく笑う。
怖いのは、自分も同じだ。
幸せがまるで手で掬った水のように零れ落ちて行くかもしれない恐怖は、確かにこの魂に刻まれている。
ましてや今の彼の幸せは、かつて手に入れることをよしとしなかった天使にあるのだ。
別の恐怖も、ある。
誰かに咎められるのはいい、そんなものは知らない。
だが、自分といることで少女が不幸になるかもしれないということを思うと心が少し痛かった。
もちろん、彼女は笑って否定するだろうが。
「安心しろ。」
ポンッと茶色の頭を軽く叩いて、顔を上げるように促す。
「少なくとも、あんなふうに突然消えるようなことは二度としねぇよ。」
「本当・・・・?」
「嘘は付いても、約束を破った覚えはないぜ?」
「・・・・・・・うん、そうだね。」
口の端を上げながらの言葉に、アンジェリークは涙を浮かべたまま微笑み、頷く。
それは本当だと判るから。
彼と彼女の約束は、結局どれもこれも破られてはいない。
必ず、果たされている。
どんなに時が経とうとも、その姿が変わってしまっても。
交わされた約束は、全て守られている。
「それにしても・・・・・・そんなに珍しいか?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!もう、いいじゃない・・・・・」
黒髪の奥で覗く金と碧の瞳に至近距離で見透かされて、少女は話を無理に終わらせようとする。
「よくねぇよ。俺にしてみれば、28年間苦楽を共にした姿を否定されているも同然だからな。」
「そ、そんなこと言われても・・・・・」
かなり困ってしまう。
そもそも『アリオス』の姿で近づいてきたのは彼なんだから、結局悪いのは彼なんじゃないだろうか。
自業自得なんじゃないかと思う。
「今更・・・・しょうがないでしょう?」
「でも、俺はすごく気分を害したんだよなぁ。」
「・・・・・・・・・・な、なに?」
言葉とは裏腹にアリオスの口調と表情は非常に楽しそうで。
無意識の内に後ずさりしたくなる。
腕を回されたままだったので、それは叶わなかったが。
「女王陛下には、ぜひお見知りおき頂きたいんだが?」
「ア、アリオス?」
なんかすごく嫌な予感がする。
いや、この笑顔からすると彼の中ではきっともう予定。
「あっ、わたし、もう帰らないとレイチェルが心配するから・・・・・」
もっともらしい理由を付けて、逃げ出そうとする。
「ば〜か。」
しかし既に今日の予定を勝手に決定してしまっている人が離してくれる訳がなく。
かえってその胸に押え込められてしまう。
「見慣れるまで、帰すわけにはいかないな。」
クククと企みに充ちて笑うアリオスに、アンジェリークは絶望的な気分で力なく笑い返すしかなかったのだった。