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Floret
「え・・・・?レヴィアス様、お出かけになられたんですか?」
大きな荷物を持ったまま、少女はその事実に愕然として目の前の青年に尋ねる。
「ええ、今朝方、会社から呼び出しがあったんですよ。まったく、迷惑なのもいい加減にして頂きたいものですね。」
少々憤慨しながらも答える彼に、アンジェリークは躊躇いながら小さく重ねて尋ねる。
「あの・・・・それじゃあ、今日からの旅行は・・・・・?」
「多分、中止でしょうね。」
あっさりと想像通りの事を言われ、彼女は俯く。
お忙しいのはいつもの事だから。
我慢・・・・しなくっちゃ。
でも、楽しみにしてたのにな・・・・
込み上げそうになる何かをぐっと堪えて足元を見ると、尻尾を振っている自分の小犬に気が付く。
「あ、あの、わたし、アルフォンシアの散歩に行ってきます。」
「ああ、そうですね。帰ってきたら、皆と一緒に朝食をおあがりなさい。」
「はい、カインさん・・・・」
小さく笑って、少女は愛犬と共に玄関を出た。
ことの始まりは、雑誌に載っていた海が見える景色だった。
高台の丘からの青い風景と、その画面の端の小さな何か。
その写真に惹かれて、何度も何度も眺めてしまった。
「・・・・・そこに行きたいのか?」
不意に後ろから尋ねられて振り向くと、高い背を折って座っている自分を覗き込んでくる金と碧の瞳。
いたことさえ気付かずに急に顔を近づけられて、みるみる顔が火照るのが判る。
「レ、レヴィアス様・・・・・」
「行きたいのなら、連れて行ってやるぞ。」
「え?」
先程は声にのみ驚いて聞き逃していた言葉に、アンジェリークは戸惑う。
「やっとまとまった休みが取れそうだ。といっても、三日がせいぜいだろうがな。ちょうど、おまえの休みと重なる。」
黒髪を掻き揚げ隣の座ったその人を思わずぽかんと見上げてしまう。
「行きたくないのか?」
そんな自分の顔が面白かったのか口の端を上げる彼に、慌てて首を振る。
「いっ、行きたいです!・・・・でも、またカインさんに怒られちゃいませんか?」
「怒らせておけばいい。俺の休みを俺がどう使おうが勝手だ。」
カインにしてみれば、その休みにアンジェリークを巻き込むことが問題なのだが。
当然、そんなことは無視されるのが世の常である。
「それじゃあ、決まりだな。ちゃんと準備しておけよ?」
「・・・・はい。」
体を引き寄せられ耳元で言い付けられて、少女はその横顔を見上げてふわっと笑って頷く。
それが十日ほど前に交わされた2人の約束だった。
「あれ?・・・・ね、姉さまっ!」
門のところまで来て、突然呼びかけられて辺りをきょろきょろと見回し。
こちらに駆けてくるその愛らしい声の持ち主を見付ける。
アルヴィース家にゆかりある水色の髪の少年。
「ルノーちゃん・・・・」
自分をそんなふうに呼ぶのは彼しかいない。
「おはよう、遊びに来たの?早いのね。」
「おは、おはよう、姉さま。ア、アルフォンシアもおはよう。」
「きゃんっ!」
「ショナ君も久しぶりね。」
後ろから歩いてきた彼の友の金の髪の少年にも挨拶する。
「うん・・・・久しぶりだね。」
表情を変えずに、でもちゃんと返事をしてくれる彼ににっこりと笑う。
「姉さま、ど、何処か行くの?」
「え?」
先程までの浮かれていた気分を見抜かれたのかと思い、少女はドキッとする。
「荷物。」
「あ・・・・・」
もう一人の少年に無表情に指を差され、初めて気が付く。
犬の散歩に旅行カバンを持ったままだったことに。
「そ、それにお召かししてるし・・・・あ、に、兄様とお出かけだったの?それだったら、僕達・・・・・」
「ううん、違うの。レヴィアス様、お仕事に行かれたから・・・・・」
「行かなかったら、ど、どこかに遊びに行くんだったの?」
小さな背の少年の下から覗き込まれて、また込み上げそうになる。
「いいの・・・レヴィアス様がお忙しいのは仕方がないことだもの。」
それを隠そうと、けれどやっぱり寂しそうに薄く微笑む。
「そ、そこは、遠いの?」
「え?そうね・・・電車で行くと三時間ぐらいかしら?でも、どうして?」
突然の質問に戸惑いながらも、適切な返事を返す。
「ぼ、僕達が一緒に行ってあげる。」
「ルノー・・・・ちゃん?」
突然の提案に、小首を傾げ眉を顰める。
「に、兄さまの代わりにはならない、か、かもしれないけれど、せっかく用意したんだもの。ぼ、僕達、一緒に行ってあげるよ。」
「・・・・ありがとう。」
一緒に行ってくれることよりも、その心遣いが嬉しくて。
小さく頷いてしまった。
後々のことを、少女にしては珍しく考えないで。
「じゃ、い、行こう?」
小犬を抱えた少年に手を引かれて、アンジェリークは駅への道を歩き出した。
「・・・・・僕も行くんだね。」
そして残された少年は、やはり無表情のまま二人の後を追ったのだった。
「お早いお帰りで。」
皮肉なのかなんなのか。
帰った早々、呆れた目を向けてくる自分の執事をレヴィアスは軽く睨む。
「アンジェリークは、もう起きたのだろう?」
「当たり前です。何時だと思っているんですか?」
食堂で遅すぎる朝食を給仕され、とりあえずは大人しく主人は椅子に座る。
「旅行の準備をして出てこなかったか?」
「ああ、来ましたけど・・・・ひょっとして、お行きになられるのですか?」
「当たり前だ。」
先程のカインの言葉を丸々そっくりそのまま返す。
が、彼のヤバイという表情に気が付き、彼は目を細める。
「何か言ったのか?」
「・・・・・・申し訳ありません、旅行は中止だと。」
その瞳に耐え切れなくなったのか、諦め気味に忠実な下僕は白状する。
「ほう・・・・で、どこにいる?」
「はい?」
「旅行に行けなくなったからといって、他に遊びに行く様なアンジェリークじゃないだろう?」
「あれ、そういえば・・・・・」
何か思い当たったのか首を傾げるカインに、レヴィアスは片眉を上げる。
「アルフォンシアの散歩に行ったまま、帰って来てません。荷物も部屋に持って帰った様子はなかったですが・・・・見当たりませんね。」
「な・・・・に?」
彼が狼狽しフォークを落しそうになった時、リビングに置かれた電話が鳴り響いたのだった。
「き、綺麗なところだねっ、姉さまっ、ショナッ!」
雑誌の写真よりも少しだけ緑が深くなった丘の上。
小犬と共に一番に走り上がった少年に振り返られて、後から来た少女と少年は少しだけ疲れた笑顔を返す。
けれどその疲れも見渡した景色に癒される。
「本当・・・・綺麗ね。」
その風景を眺め、嬉しそうに自分を見上げるルノーに小さく微笑む。
そして傍らの小さな石の前に座り込んで、持っていた小さな花束を手向ける。
「姉さま、そ、それ・・・・?」
「墓標・・・・・だよね?」
「えっ?」
なんだか判らない少年とその答えを知っている少年を、アンジェリークは座ったまま振り返る。
「うん・・・これは昔の哀しいお姫様のお墓。」
怖がることないと、彼女は小さな『弟』の頭を撫でる。
「か、哀しい・・・・?」
「そう、哀しいお話。」
戸惑う少年に、寂しそうに頷く。
そして、あの写真の脇に書かれていたその伝説を語り始める。
「昔ね、大事に大事に育てられたお姫様がいたの。そのお姫様が大きくなって・・・・家来の一人に恋したの。」
少女は立ち上がり、海を見ながら話し続ける。
「でもね、その恋は許されずに、二人は駆け落ちしたの。」
「か、駆け落ち?」
「そう、二人で逃げたの。」
横に立ったルノーを静かに見下ろす。
「けれどその途中、家来は病気になっちゃって・・・・お姫様は、人から万病に聞くという泉の話を聞いて、その水を汲む為に恋人を置いて一人で旅に出たの。」
「そ、それで、お、お水は手に入ったの?」
尋ねられて、哀しそうに小さく首を振る。
「旅になれないお姫様がやっとたどり着いて、近くの人に泉はどこかと尋ねたの。けれど、その人は戯れに「まだ遠い」って・・・・」
墓標を見つめ、そして目を伏せる。
「その言葉に嘆き、その遠路を悲しみ、疲れ果てたお姫様は、ここで亡くなったの。でもね、実は泉はここから歩いて5分も掛からないところにあったのよ。――――――――――
それが望みかなわずに果てた哀しいお姫様のお話。」
「そ、その家来の人は、ど、どうなったの?」
「さぁ・・・・でもきっと、お姫様の死を知らずに・・・・・」
最後は口を濁して、少女は眉を寄せ微笑んだ。
「に、兄さまと姉さまは、い、いなくなったりしないよね?」
けれど不意に心の核心に近いことを尋ねられて、どこかで自分の境遇と重ねていたアンジェリークはうろたえる。
「し、死んじゃったりしないよね?」
「ルノーちゃん・・・・」
自分の想像に涙さえ浮かべる小さな彼を、彼女は抱きしめる。
「そんなことしないわ。」
「ほ、本当?」
「うん。だって、わたしには・・・・そんなわがまま言えないもの。」
「姉・・・さま?」
丸く開いた水色の瞳に、小さく笑いその身を放す。
「でも、相手はわがまま言わせたいみたいだけど?」
「え?」
無機質な声に振り向き指差された方を見ると、最初に一緒に来るはずだった人が丘の上に登ってくる。
「レヴィアス様?!」
自分の姿を認めるや否や彼は一気に駆け上がって来て、一瞬のうちに抱きしめられる。
「レヴィアス様、お仕事は・・・・・・」
「俺の前から勝手にいなくなるなっ!」
言葉を遮られ荒げた声で言われた台詞に、全身が硬直する。
「何があっても、いなくなるんじゃない。俺がいいと言うまで側にいろ。いいな?」
例え病に倒れようとも、命をなくそうとも。
他人から見れば横暴とも言えるそれは、けれど哀しみが僅かに帯びていて、少女は小さく頷く。
どんな理由であれ、離れ離れになって生死さえ判らなくなるより、つらくても二人でいられる方が今は幸せだったから。
「・・・・・はい。」
色違いの瞳を見上げ、精一杯微笑む。
よくよく見れば、目の前には緩んだネクタイ。
スーツのままのこの人は、慌ててここに来たに違いない。
怒鳴ることはあっても取り乱すことはない彼が、そんな姿を人にさらすことはほとんどない。
その事実が申し訳なく、そして嬉しかった。
「判れば、それでいい。」
「黙って出て来て、ごめんなさい・・・・」
素直に謝罪を口にして、アンジェリークはレヴィアスを抱きしめ返す。
「まったくです。」
その時突然放たれた冷たい声に、少女は青年の影から恐る恐る覗く。
そうすると、声よりも冷たい瞳で自分を見る青年が立っていた。
「ルノー、心配しましたよ。たとえレヴィアス様の家でも、私に一言言ってからになさい。」
「ユージィン、ご、ごめん・・・」
自分が守り役を務める子供に謝られ、彼は小さく溜め息を吐く。
「まったく、自分の身を弁えずにいる娘を放っておくから、こうなるのですよ、カイン。」
発せられた言葉に、アンジェリークはびくりと体を震わす。
そして、別邸の執事もその場にいる事にも気付く。
「ね、姉さまは悪くないよっ!」
その言葉に、少年は彼に駆け寄って必死に首を振った。
「ぼ、僕が行こうって言ったんだ、ね、姉さまは悪くないよっ!」
「ルノー、あのような娘、庇わなくともよいのですよ。所詮、身分が・・・・」
「そ、そんな哀しいこと言っちゃ、だ、駄目だよっ!」
先程の話を思い出したのか、再びその目に涙を溜めている姿に、少女は胸を痛める。
「ユージィン。」
その時、カインの冷静な声が場を割って響く。
「少なくとも私は、アンジェリークをどこに出しても恥ずかしくないようにしつけてます。事実、恥ずかしくなどありません。」
「カイン、あなた・・・・」
「あなたにあの子を蔑まれる覚えはありませんが?」
自信を持って言われた言葉に、ユージィンどころかアンジェリークも驚く。
そんなふうに考えられているとは思わなかったから。
嫌われているとは思ってなかったけれど、そんなふうに誇られているとは全然思っていなかった。
まさか、この場で庇われるとは思わなかった。
「それに・・・アンジェリークが悪いのなら、二人を止めなかった僕も同罪だしね。」
「ショナ、あなたまで・・・・」
一人悪者扱いになってしまった青年は困惑し、金髪の少年を見て少女に視線を向ける。
「まぁ、今日のところは許しましょう。けれど、大旦那様がどう思うかまでは私は知りませんから、あしからず。」
「・・・・ジジイは知っているのか、ルノーが行方不明になったことを。」
「いえ、まだ何も、ご存知ないと思いますが。」
別邸の主人に問われ、薄く笑って薄紫の髪の青年は答える。
「それはそうでしょう、あんな取り乱してうちに電話掛けて来たんですから。」
「カイン・・・・」
暗に余計な事は言わない方がいいと言われて、彼は軽く睨みつける。
「レヴィアス様、もうそろそろ日も暮れます。どうなさいますか?」
けれどその視線を無視して、執事は少女を抱えたままの主人に尋ねる。
「俺はアンジェリークと旅行に行くと言ったはずだぞ。」
「レヴィアス様・・・・・」
目を丸くして黒髪の青年を少女は見上げる。
その彼女に目を細めて頷き、彼はその額にキスする。
「俺達は泊りだ。おまえ達は勝手に好きにしろ。行くぞ、アンジェリーク。」
「え?あ、はい。そ、それでは、皆さん、失礼します。」
なんとかぺこりとお辞儀して、アンジェリークはレヴィアスに引っ張られるままに歩き出し小犬がその後を付いて行く。
その光景に、ある者は呆れて。
ある者は冷たく睨み。
ある者は嬉しそうに笑ったのだった。
「レヴィアス様、お腹減りませんか?」
「あ?そうだな・・・・そういえば、朝も昼もろくに食ってなかったな。」
二人で歩きながらアンジェリークに尋ねられて、レヴィアスは我に返り空腹感に気が付く。
「なに食べましょう?」
笑顔で見上げる彼女に何か思いつき、彼は口の端を上げる。
「そうだな、とりあえず、」
「はい?」
少女が小首を傾げていると、急に肩を引き寄せられ顔を近づけられた。
「おまえの唇って言うのはどうだ?」
その言葉にえっ?と思うと同時に青年に口付られ、一瞬のうちにその顔が朱に染まる。
「俺はもういいから、夕食はおまえの好きな物でいいぞ。」
クッと笑い自分をそのまま抱き抱える青年に、少女は朱くなったまま微笑み返す。
「はい、レヴィアス様。」
そんなこんなで。
ささやかな休日をやっと二人で過ごすことが出来たのだった。