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Intercept her Look
「遅くなっちゃった〜っ!」
学校帰りに小さな弟を幼稚園に迎えに行くこと。
それがわたしの毎日の日課。
けれど今日はいつもの時間より遅くなってしまった。
もちろん曜日によっては遅くなるってこともあるけれど、それはあらかじめ判っていることで。
今日みたいに予定外に遅くなることは、あまりない。
・・・・・泣いてないかな?
やっと園の門まで走り着き、その門の柱に手を付いて息を整える。
泣き虫なことに加え、不測の事態にも結構弱い弟の泣き顔なんて簡単に想像出来る。
しかしすぐに別の考えが浮かび、それはわたしの頭から一瞬のうちに消え去ってしまう。
「よう・・・・・遅かったじゃねえか。」
そう。
ひょっとしたら、姉である自分よりも彼が懐いている人がここにいるのだから。
掛けられた声に顔を上げてみれば、予想通りの姿。
加えて咥えタバコのその長身の足元には、赤毛の子供が張り付いている。
その様子に、さっきまで心配していたことが本当に杞憂だったことをひしひしと感じてしまう。
「おら、さっさと持って帰れ。」
そんな人の複雑な心情をまったく理解せず、ひょいと足をわたしの前に彼は差し出す。
そこに掴まったままのきょとんとした赤い瞳と目が合ってしまい、思わずこめかみを抑えたくなる。
「ちょっと!人の弟、物扱いしないでよっ!」
銀髪の彼をキッと睨み上げ、そして差し出された子供をその足から奪い取る。
「やぁ〜ん!」
「あんたもっ!何でこんなのに懐いてんのよっ?!」
涙目で不満そうに見上げる弟に、こっちこそ不満だと眉を寄せる。
「『こんなの』とはずいぶんな言い方だな。」
煙をふぅっと吐きながら面白そうに斜に構える姿に、毎日のことは言え本当に嫌になってしまう。
「タバコ吸いながら仕事する保父がどこにいるのよっ?!」
「悪いが、時間的に見れば俺の仕事はもう終了してるんでな。何しようが、俺の勝手だろ?」
「うっ・・・・」
確かにいつもよりもすいぶん遅い時間で、少なくとも子供を預かるという仕事は終わってるんだろうけれど。
それでも、現実としてまだここに一人残ってるのだ。
タバコ片手に幼児の相手はどうかと思う。
『こんなの』が教師の免許持ってるなんて、まったく世の中どうかしてる。
「文句は、延長利用金払ってから言うんだな。」
鼻で笑って吸い終わったタバコを靴の踵で揉み消す姿に、わたしは弟を抱いたまま深くため息をつく。
こっちに弱みがある分、今日は何を言っても無駄なんだろうと判るから。
「ま、どうしても文句言いたけりゃ、代償は別に金じゃなくても構わないぜ?」
「・・・・・は?」
「こいつの面倒見てたのは、俺個人の好意だしな。」
ただ単にこの子が一番懐いていただけじゃないかと思うのだけれど。
「お金じゃなかったら、何が欲しいのよ?」
「クッ・・・・・判らねえか?」
すぅっと瞳を細めて口の端を上げ近づく彼に、不穏すぎる何かを感じる。
すっごいヤな予感。
「『好意』の代償は、『好意』に決まってるだろ?」
突然目の前に現れた端正なその顔に、わたしは一瞬思考が止まる。
でも幸いなことに、その思考が再び起動する前に反射的にズズズッと後ずさりしていた。
「なっ・・・・何すんのよっ!」
「何もしてねえだろ、まだ。逃げんな。」
「逃げるに決まってるでしょっ!ヘンタイッ!ロリコンッ!バカッ!」
「ったく、本当にずいぶんな言われようだな。」
面白くなさそうに体を起こして銀髪を掻き上げる彼を思いっきり睨む。
「安いもんだろ、それで文句思いっきり言えるんなら。」
「安いわけないでしょうっ?!」
なんでピチピチの女子高生の唇が安いなんて、断言できるんだろう?
この人の考えることは、いつもまったく判んない。
こんなのが保父やってて、しかも可愛い弟が懐いているなんて。
世の中、不条理すぎる。
「いつもいつも、そうやってわたしをからかってっ!何が楽しいのよっ?!」
「俺がからかってるように見えるか?」
「それ以外の何だって言うのよっ!」
しれっとした彼の態度になおさら腹が立つ。
からかってないとでも言うのだろうか、この男は。
「もうっ、こんな危険なところにいつまでもいられないわ。帰るわよ。」
「え〜、まだいるぅ〜。」
「帰るのっ!」
やっぱり不満そうに自分を見上げる顔にキッと断言し、抱いていた体を降ろしてその小さな手を引きながらわたしはさっさと歩き出す。
「気を付けて帰れよ。」
「あんた以上に危険なのは、ここら辺にはいないわよっ!」
後ろからの見送りの言葉に振り向いて、次のタバコを咥えている顔にべーっと舌を出しながら言い捨てる。
そして何時の間にか向き直って彼に愛らしく手を振る弟を引っ張って、再び帰路に着く。
今頃昇ってきた血を頬に感じてながら。
また明日の帰りもこんななんだろうかと少し憂いてしまう。
しかし、なぜかそれを心のどこかで楽しみにしているのは事実で。
そのことを否定できないでいる自分が一番不思議で。
やっぱり今日も帰り道で小さくため息をついてしまうのだった。