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Path of Blue Sky
「んん・・・・・・・」
急に左の肩が重くなったのに気が付いて、彼は薄く瞳を開けた。
目の前には残り少ない酒瓶と氷が溶けたグラスが載ったテーブル。
と言うことは、座っているここは居間のソファーだということになる。
その情報から、銀の髪を右手で掻き揚げながら最後の記憶をめぐらす。
確か昨夜、カティスの野郎が酒を持ってやってきて。
その土産に、渋々家に入れてしまって。
奴の妙に明るい酒に付き合わされて。
げんなりしながら、けれど上手い酒を堪能して。
しかし、いつのまにか寝入ってしまったらしい。
あいつは・・・・帰った、のか?
カーテンが引かれたままの窓からは微かに日の光が漏れている。
その強さからいくと、とっくに朝は来ているはずだ。
ぼんやりとした思考を振り払い、とりあえず顔を洗おうと体を起こし掛けるが。
「ん・・・・んぅ〜・・・・・」
不意に隣であがる自分のものではありえない、柔らかな声。
そのことにぎょっとする。
左肩が重かった訳。
それは ――――――――――――
「こいつ・・・・・」
自分の肩に小さな頭を乗せ、身じろぎながら擦り寄ってくる少女。
いつもは無邪気に見上げている蒼い瞳も、今は閉じられていて。
絹糸のような茶色の髪が見下ろす彼の顔に当たって鼻を擽る。
「何でここに・・・・・?」
ぎゅっとシャツの袖を握り寝入るその姿を見て、眉を潜める。
記憶の最後には確かにいなかった。
真夜中の深夜だったのだから。
この『妹』がそんな時間に起きていられるはずがない。
なら、朝になってから来たのだろう。
ふぅっと一つ溜め息を吐き。
揺り起こそうと束縛されてない右腕を伸ばすが。
その手は無意識のうちに白い頬に触れる。
マシュマロのような感触のそれ。
そのラインの先の桜色の唇はもっと柔らかいんだろう。
ふと、そこまで考えて。
やはり無意識に、指は眠る少女の顔を滑り。
頤に手を掛ける。
「アンジェ・・・・・・」
彼女が生まれた日から見てきたあどけない寝顔。
その薄く開いた口に顔を近づけるが。
「ほう・・・明るいうちからお盛んだな。」
「?!」
唐突に掛けられた声に、思わず小さな顎に添えていた手を離す。
「カ、カティス・・・・」
振り向くとキッチンのほうに金色の髪と瞳が見える。
それを確認して、彼は顔を顰める。
「なんだ、帰ったんじゃなかったのか?」
「ハハッ、お邪魔だったか?」
「バカ言え。」
面白そうに笑う悪友から目を逸らし、今の事で目覚めたらしい少女を見る。
「・・・・・起きたか?」
「お兄ちゃん・・・・・?」
少々残念そうな様子に少しも気付かずに、目を擦って彼女はぼうっと見上げてくる。
「いつの間に来たんだよ?」
「ん〜ぅっと、カーテン閉まったままだったから。」
「は?」
「いつもならお兄ちゃん、わたしよりも早いのに・・・・おかしいなって、思ったんだけど・・・・」
まだまだ眠そうに答える声に、彼は首を傾げる。
「帰ってきても、閉まったままだったから・・・・そしたら、カティスさんがいて・・・・」
「ちょっと待て。・・・・どこから帰ってきたって?」
「え・・・・・?学校に決まってるでしょう。」
きょとんとしたその姿は、紛れもなく制服で。
起きたばかりの頭は一気に覚醒する。
「今・・・・何時だ?」
「ん〜、もうすぐ5時半だな。日が長くなったものだなぁ。」
遠い目をしてうんうんと頷く農園の息子の言葉に、彼は血の気が引く。
「そういえば、何度も電話が鳴っていたぞ。」
思い出したように付け加えられて、慌てて携帯の着信履歴を見、そして赤ランプが点滅する家の電話に目をやる。
「お兄ちゃん、お仕事じゃなかったの?」
「・・・・・・・・・・仕事だったんだよ。」
追い討ちを掛ける少女に、彼はがっくりうなだれる。
別にサボったことは気にしてない。
問題はその原因の失態。
たかが酒を飲んだぐらいで、夕方まで眠りこけるとは・・・・
それほど強い酒を飲んだ覚えはないのだが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・弱くなったか?
心の隅でそう囁く声を彼は必死に否定する。
もっとも強くはなかったがいい酒ではあったらしく、悪酔いはしてなかったが。
「お兄ちゃん・・・・・」
気遣わしげに覗き込んでくる『妹』の頭を溜め息交じりにぽんぽんと叩く。
「大丈夫だ。気にするな。」
「うん・・・・・」
にっこり笑う顔を見て少し気分も落ち着く。
「それじゃ、おまえもお嬢さんも起きたことだし、俺は帰るな。」
空いた瓶を片手に玄関に向かう客に、碧の瞳を細めて向ける。
「・・・・・・・・さっさと帰れ。」
「おや、つれないな。・・・さっきのこと、話すぞ。」
「?!」
「ハハハ、じゃあ、またな。」
絶句したのに満足したのか、笑いながら金の髪の青年は帰っていった。
「ねぇ、さっきのことって、なぁに?」
「・・・・・おまえには関係ねぇことだよ。」
一番の当事者を無関係だと言い切り、今度こそ顔を洗うために立ち上がる。
「あっ、お兄ちゃん!」
しかし呼び止められて、振り返る。
「・・・・・なんだよ?」
「あのね、お願いがあるんだけど・・・・・」
「お願い?」
少女のおねだりに彼は片眉を上げる。
「お庭の隅っこでいいから、これ、埋めさせて欲しいの。」
そういって差し出されたのは、黒と黄の縞の種。
「ひまわり・・・・・か?」
「カティスさんに貰ったの。・・・・・ダメ?」
じぃっと、しかし躊躇いがちに見上げてくる蒼い瞳に、銀髪を掻き揚げる。
「・・・・・・好きにしろ。」
「あ、ありがとう!」
「但し、自分で世話しろよ?これ以上、余計なもの押し付けられるのは勘弁ならねぇからな。」
嬉しそうに種を握り締める少女に、彼はきちんと釘を指す。
これからの季節、広い庭に水をかけるだけでも彼にとっては面倒なことなのだから。
「うんっ!」
それの言いつけに少女が素直に頷いたのを見て、思わず頬を緩める。
「お兄ちゃん、大好きっ!」
「っ?!」
だがその油断した隙にいきなり首に抱きつかれ、同時に発せられた台詞に面食らう。
彼女が小さな頃からことあるごとに告げる言葉。
言われ慣れているはず、なのではあるのだが・・・・・
「・・・・ばーか。当たり前だろ?」
そう言って少女の後頭部を小突く彼の顔が、心なしか赤かったのは言うまでもない。