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スミレ咲く丘




麗らかな昼下がり。
ロザリアは残っていた補佐官の仕事を処理し、読み掛けの本を外で読もうと湖の辺へと出向いて来た。

さすがに土の曜日。
森には猫の子一匹いない。
ここでなら静かに読めそう。
そう思って、ロザリアが座ろうとした時。

「あら?」

蹄の音が近づいてくる。
気になって、森の奥の方を覗き込む。
「まぁ、アグネシカ!」
そこには見覚えのある馬。
彼女は少女を見つけ、喜び勇んで駆けてくるところだった。

「どうしましたの?ご主人様は?」
顔の横を撫ぜてやりながら、ロザリアは尋ねる。
まさか幼少の頃からしっかりと躾られたと聞く、この馬がひとりで森を歩いている訳がない。
ならば誰かがこの森へ乗ってきたのだろう。
もちろん、その背に乗せる人は一人しかいない。

「オスカー様は?・・・・えっ、ア、アグネシカ、ちょっと・・・・!」

主人の名を聞くと、炎の守護聖の愛馬は彼女の背を押しやり森の奥の方へと導いたのだった。


森を抜けると、一面の緑。
聖地を一望することが出来るその場所に。
彼はいた。

珍しく、熟睡して。

周囲にいつも鋭く気を張っているはずの彼が、少女が傍に寄ったのにも気が付かずに。
眠っている。

きっと、毎日のお役目で疲れているのだろう。
新たに女王試験が始まり、新宇宙にもそのサクリアを送らなければならない。
それに加え、聖地の警備もその身に担っている。
忙しさも倍以上だろう。

今日は、土の曜日。
半分休みの日。
たまにはなんの心配もなく、休まさせて上げなければ。
ロザリアはその寝顔にクスリと笑い、肩に羽織っていただけの上着をオスカーの体に掛ける。
そしてその傍らにそっと静かに座り、本を開いた。



初めに見えたのは、白いブラウス。
その次は、彼女の紫の髪と何かに気が付いたような瞳。

「あら、目が覚めましたの?」

そして掛けられた声。
そこで一気に覚醒し、飛び起きる。

「ロ、ロザリア・・・・・っ!」
「どうかしまして?」
彼女は読み掛けの本をそのまま、起き上がった彼に小首を傾げる。
何をそんなに驚いているのだろうという顔をしながら。

「いつから・・・・・・・ここに?」

土の曜日。
昼前。
聖地の朝の見回りを終え。
一休みをしようと、この丘にやってきた事までは覚えている。
そして、寝転んで。
・・・・・・・・・そこからの記憶がない。
彼女がいつ自分の横に座ったのかも。
まったく、少しも。

「ああ、その事ですの。」

ロザリアは尋ねられ、手に持った本から読み進んだ分だけの時間を算出する。
「ちょうど一時間ぐらい前かしら。よく眠ってらっしゃったから、気付きませんでしたのね。」
「・・・・・よくここが判ったな。」
オスカーは、自分の上に掛けられていたカーディガンを彼女の肩に掛ける。
「本を読もうと思って湖の辺まで来ましたら、アグネシカが迎えに来てくれましたの。」
「アグネシカが?」
「えぇ。」
赤い髪の青年は、色とりどりの花が咲く丘の途中でちょうちょを追っかけている自分の愛馬を見る。

手綱はちゃんと樹に縛っておいたはずなのだが。
何時の間にか解けてしまったらしい。
まぁ、いくら躾られた馬とはいえ、数時間も同じ場所にいたら嫌にもなるだろう。
逃げ出してしまったのかもしれない。
勝手に散歩に出掛けた末に彼女をここに連れて来てくれたのなら、それはオスカーにとって結果オーライだが。

「大分、お疲れのようですわね。」
少女は心配そうにオスカーの顔を覗き込む。
「このところ、執務も多忙ですし・・・・・・」
「いや。」
彼はロザリアの白魚と称されるその手を口に寄せる。
「大丈夫だ。・・・・それに久しぶりに、君に逢えたしな。」
「オッ、オスカー様!」
その言葉に慌てて、彼女は手を引っ込める。
顔を真っ赤に染めながら。
「この間まで、『お嬢ちゃん』なんて言ってらしたくせに。」
「それは、『この間まで』のことだろう?『今』の君は、もう『レディ』だ。違うか?」
「・・・・・・・・新しい『お嬢ちゃん』が来ましたものね。」

新宇宙の女王候補。
今、炎の守護聖に『お嬢ちゃん』と呼ばれているのは、彼女達。
それがなんだかロザリアには面白くなかったりする。
乗り換えられた様で。

「なんだ、妬いてくれていたのか。」
嬉げに呟かれた、その言葉にまた彼女は頬が熱くなる。
「そっ、そんなことっ・・・・・・・・・・」
「そんなこと?」
「そんな、そんなこと・・・・・・・・・・・・・・・・・そう、ですわね。」
「?」
「オスカー様の、・・・・・・言う通りですわ。」
珍しく自分の気持ちを認めたロザリアに、彼は少し驚く。
喜びと共に。

プライドが高い彼女は、めったにそんなこと認めない。
たとえ相手が気が付いていたとしても。
認めるくらいなら舌噛んだ方がまし、とさえ思っているかもしれない。

「私、きっと妬いているんですわ。あの子達に。」
「『お嬢ちゃん』は相手にしないと言っただろう?」
「でも・・・・・」
少女は、アイスブルーの瞳を見上げる。
「『お嬢ちゃん』が、いつ、『レディ』に変わるか判りませんでしょう?」
「ロザリア・・・・・」

「俺にとって『レディ』は、君だけだ。」

「オスカー様、・・・・・・・・本当に?」
不審げな声に、彼は苦笑する。
「よほど、俺は信用がないんだな。」
「あなたの噂を耳にしていれば、誰だってそう思いますわ。」
「他人の口じゃなく、このオスカーの言葉を信じてくれ。」
これ以上なく真剣に訴える。
嘘偽りなく、それは真実だったから。
「・・・・・・・・・・・・判りましたわ。信じます。」
辛辣な表情から、それを読み取ったのか。
彼女は、香しいまでの笑顔を返す。
「判ってくれて、嬉しいぜ。」
そう言って、彼は彼女の方に腕を回す。
「あら、久しぶりに逢えたんですもの。意地を張っても仕方ありませんわ。」

本当のところはどうであれ。
信じたいと言う気持ちがある以上、信じてみるのもたまにはいいかもしれない。
信じ難いと言う気持ちも、どこかにはあったが。

くすくすと少女は、青年の腕の中で年相応に笑う。
そんなロザリアの頤を、オスカーは肩に回したのと反対の手で少し上げる。
気付き、彼女は少し身を固くしたが。
すぐにその紫の瞳を薄く閉じる。
そして、二人の影が限りなく近づき・・・・・・・・・・・・・・・

「オスカーさまぁっ!!!どこにいらっしゃるんですかぁ!!!」

ゴンッ!!
「い、痛いですわ・・・・・・・・」
「すまん・・・・・・・・」
形のいいおでこを押さえながら不平を唱える少女に、彼は素直に謝る。
とりあえずぶつけたのは自分だからだ。
だがその原因は。
もちろん、別にあった。

「ランディですわね。なにかあったのかしら?」
「フッ、どうせ『ゼフェルのロボットが暴走した』だの『商人の商品が爆発した』だのその程度のことだろうさ。」
その程度。
充分大変なことに思えるのだが。
「君との秘密の時がバカにばれる前に、行くか。」
名残惜しいが。
呼ばれ主人の元へと戻ってきた馬の手綱に手を掛けながら、オスカーはロザリアの方を振り向く。
「明日、暇か?」
「日の曜日ですもの。・・・・・・・・私は、聖殿ですわ。」

ひょっとしたら、女王候補が尋ねてくるかもしれない。
試験の最中、補佐官は休みの日でも聖殿にほとんど詰めっぱなしだ。
今日みたいに、半日も自由になる時間などほとんどない。
何かしら細かい仕事がやってくる。
・・・・・・・・その割には、女王は勝手気ままに過ごしているように見えるのは気のせいか。

「なら、俺が君の私室へ行く。」
「あら、いいんですの?『お嬢ちゃん』たちの相手は。」
「『レディ』と過ごす方が、いいさ。」
「今日みたいなことは、きっとなくってよ?」
「そりゃ残念だな。」

そう言いながらも、少しも残念などとは思ってない。
とりあえず、彼女との約束に漕ぎ着けたのだから。

「行ってくる。」
「ええ。」
見送るロザリアの隙を突いて、まだ赤くなっている額にくちづけをする。
「オッ、オスカー様!」
「ククッ、じゃあ、明日な。」
慌てふためく彼女を尻目に、オスカーは素早くアグネシカに騎乗し走らせた。

彼が見たところ。
あの高いプライドは。
きっと見た目ほど大人ではない少女の防壁。
それが崩れ始めたということは。
心と体のバランスが取れてきたのかもしれない。
真の『レディ』になるのも、そう遠くないだろう。
オスカーにとっては、とうの昔に『レディ』ではあったが。

「楽しみだな。」


いつか。

いつの日か。

ありのままのロザリアが現れる日が来ることを願って。