戻る
喟然の日々
「アンジェリークは、まだ帰ってこないのか?」
珍しく我が主が早く帰ってきたとある日。
しかし珍しくも何ともない質問を繰り返すその人に、私は何杯目かのお茶をカップに注ぎながら溜め息を吐く。
「レヴィアス様・・・・さっきお尋ねになられてから、そう何時も経ってませんよ。」
「そうか?」
「ええ。」
手に持っていた紙の束をばさっとソファーに散らばす姿に不機嫌をひしひしと読み取ってしまい、いつものことながらこめかみがズキズキする。
けして仕事を家に持ち帰ったわけではなさそうなのだが。
それでも暇を持て余して書類を広げる主人は、それでいて集中できてない。
そもそも屋敷でこんなことをなさるのなら、居間ではなく書斎でなさればいいのだ。
その方がずっと効率がいいだろう。
もっとも待ち人を待つための暇つぶしなのであろうから、あんなところで籠もっていては意味がないのだろうが。
「カイン、まだ・・・・・」
舌の根も乾かないうちに再度口を開く主人に、我慢の限界を感じながらも進言する。
「そんなにおっしゃるのなら、外でお待ちになったらいかがですか?帰ってきたら、すぐに判りますよ。」
「・・・・・・それもそうだな。」
「え゛?」
頷いて立ち上がるレヴィアス様に、私は思わず顔を引き攣らす。
いくらなんでも、まさか自分の勧めどおりに主人が動くと思ってなかった。
・・・・いや。
多少は思ったのだが。
「なんだ?」
「い、いえ・・・・・・」
睨みつけるような金と碧の瞳に私は諦めて、外に出るその人に先立って玄関へと向かい扉を開ける。
が。
そこから見えた門の更に外の風景に、顔が強張りドアノブを掴んだまま体が固まる。
友達と帰ってきたらしい茶色い髪の少女に、どこぞの少年が近づいて何事か話し。
何が書かれているのか容易に判る手紙を手渡して。
おまけにその手を握り締めて。
その彼が走り去ったと思えば、聞こえてきた彼女の友人の言葉と彼女のとんでもない返答。
「考えるだけ考えてあげなよ。」
「そう・・・・・・・ね。」
なっ、なんてことを言うんだ、アンジェリークッ!
その光景に思わず頭を抱えたくなる。
もちろんそれは、我が主と少女の関係を考えれば仕方がない会話なのではあるのだが。
なの・・・・・ではあるのだが。
一番見られてはいけない人の前でその会話はかなりマズイ。
ヒヤリとした気配をヒシヒシと感じ、私は戦々恐々と隣を見る。
「身のほど知らずの虫ケラ、か・・・・・・」
そこには想像に違わず物騒な表情の黒髪の主。
腕を組み色を違えた瞳を剣呑に細め、さっきまで心待ちにしていた少女の帰宅を不穏に出迎えようとしている。
「あ、あの、レヴィアス様・・・・・?」
「下がってろ。」
不興な表情で言い捨て歩き出したレヴィアス様を、恐れで動けぬままうかつにも見送ってしまう。
友達と別れ門をくぐった彼女が何も知らずに嬉しそうに主人に近寄るのが見え。
だがその体を攫うように抱きすくめられて、慌ててもがいているが。
力で敵う訳もなく、いいようにレヴィアス様に嬲られている。
まぁ、主の身躯に小さな彼女はすっぽりと隠れここからでは良く見えないのだが。
というか、別にそんなものは見たくはない。
まったく・・・・・
表を誰かが通ったら、どうなさるつもりなのだろう?
我が屋敷の、ひいては彼の一族の名折れとなるのではないだろうか?
しかしそれを尋ねたところで、「折れるものなら折れてしまえ」とおっしゃるに違いない。
もしくは「この程度のこと、今更」とお考えなのかもしれない。
だが我が主はともかく、少女の方は可哀想な気がする。
「どけ。」
小さく命じられて、私は思考の泉からハッと我に帰る。
僅かにドアの隙間に体を避けると、アンジェリークを抱えたレヴィアス様は玄関をくぐられる。
そして、そのまま階段をさっさと昇り始めてしまう。
「ちょっ・・・・レヴィアス様?!」
その行動にいつものことながらうろたえ、主人の名を呼び掛けるが。
少し振り返り睨みつけるように巡らされた視線に言葉が詰まり、その歩みをお止めすることは叶わない。
階上にあるのは、館の主の私室。
あれほどに怒っている人に彼女が何もされないはずがない。
八つ当たりというか、ほとんど冤罪、単なるとばっちり、ほんの少しも悪くないのにもかかわらず。
少女がそれを甘受していなければ、犯罪行為ではないだろうか?
もっとも。
哀れんでいるだけで、主人の暴挙を止められない自分も同罪なのであろうが。
深く深く溜め息を吐き、軒先に転がっているかばんを見つけ拾い。
心の中で彼女に謝りながら、私は屋敷に入ったのだった。