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Meet again




遠くに霞む懐かしい建物に、彼は思わず歩みを止めた。

「帰ってきたな・・・・」

珍しく感傷が入ったセリフを口にした黒髪の青年は苦笑する。
自分が懐慕を抱いてるのはあの宮殿ではなく、その主。
そのことに気がついて。

ある感情を理性で押さえつけていた少年時代。
あまりにも子供らしくなく、そしてあまりにも彼らしかった。
その気持ちを口にすることはあっても、決定的な行動には移しはしなかった。
移すことは彼自身が、いや、過去の彼が許さなかった。
それは呪縛であり、プライドだった。

その枷が外れた時、決意した。
真実、彼女の為に動こうと。
彼女の為に生きようと。
すべては、今はもう再び年下になってしまった少女の為に。

「さて、女王陛下にお目通り願わないとな。」

小さく口の端を上げ、彼は再び歩み始めたのだった。


かつて自分が出立してから十代以上の代替わりしているだろう花々の中を歩いていると、小さな声が聞えた。
いつも彼の心の中で名を呼んでいたその人の声が。
青年は眉を潜め。
聞えた方向に色違いの目をやると。
薄い赤の瞳が彼を見ていた。

「アルフォンシア?」

桃花色の聖獣。
この宇宙の意志。
小さい頃は、恐れ多くも遊び相手でもあった。
その瞳が呼ぶように、こちらを見ていた。

「いったいどうした・・・・・・」
戸惑いながら近づくと、ピンクの獣の足元には茶色い髪の少女。
その彼女が悠長にも昼寝をしていた。
先程の声はおそらく寝返りを打った時に漏れたものなのだろう。
とにかくこの宇宙の女王は、贅沢にも聖獣の尻尾を枕に眠っていた。
「アンジェリーク・・・・・」

その光景はいつかどこかで見たような気がして。
なぜか不安が心を過ぎる。

「ったく、無防備な・・・・・おい!」
露わになったおでこを彼はぺちぺちと軽く叩く。
が、もちろんそんなことで目が覚めるわけもなく。
うるさそうに彼の手を退け、向こうを向いてしまう。
「・・・・・しょうがねぇな。」
青年は未だ自分を見ていた友に目配せをする。
すると、彼はしたり顔で寝たふりを始めてしまった。
考えていたことが通じてしまい、おいおい、そんなことでいいのかよ?とは思ったが。
ここは有り難く、その好意を受けることにした。

「・・・・女王よ、目を覚ませ。」
短く命じ、彼は力を生じさせたその唇で彼女のそれに触れる。
キスだと呼ぶことさえ出来ないほど、そっと。
それは魔導であるにもかかわらず、限りなく神聖な行為だった。
「んん・・・・・」
かすかに身じろぎ少女が薄く目を開けたのを認めると、青年はその瞳を覗き込んだ。
「起きたか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・レヴィー?」
「あぁ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・夢?」
「違う。」
寝惚けている女王に、辛抱強く彼は付き合う。
ともすれば、彼女を抱きすくめてしまいそうになる衝動を必死で自制しながら。
「起きろよ、」

「アンジェリーク・・・・」

名を紡いだ瞬間。
少女は急に気が付いたように起き上がった。
「・・・・・・・なんで、いるの?」
信じられないというような呟きに、彼は苦笑する。
「帰ってきちゃいけなかったか?」
「そ、そんなこと・・・・・・・・・。ちょっと驚いただけよ。」
上目遣いで拗ねる姿を見て、やっと安心する。

帰ってきたのだと。
彼女のところへ。

そんな安心しきって呆けている彼に彼女は抱き付いた。
その体を戸惑いながらも青年は抱きしめる。
もう誰に遠慮する事もなく、自制心を解いてもよかったから。
「アンジェリーク?」
「おかえりなさい!」
自分の顔を覗き込みながら嬉しそうに言う恋人に、彼の頬も緩む。
「・・・・・・・ただいま。」
そして、そのまま唇を盗んだ。


「・・・・・・・レヴィー、逞しくなったわね。」

かすかに離れた小さな口が言葉を紡ぐ。
「そうか?」
「そうよ。昔は・・・・・・こんなに力強くなかった。」
ふふっと笑い妙なことに感心して自分の頬を撫でてくる彼女に、彼は少し眉を潜める。
「昔って・・・・」
「でもあの頃はいつも傷だらけだったのに、怪我してないみたいね。よかった。」
「・・・・・一体いつの話をしてるんだ?」
「あなたが出て行く前と、・・・・・今の話よ。」
心なしか寂しそうな瞳で見つめられ、青年は胸を突かれる。
「なんて顔してんだよ、おまえは。」
そんな表情を見たくなくて、アンジェリークの頭を自分の胸に押し付ける。
「そんなに変な顔してた、わたし?」
「ああ・・・・俺以外の奴には見せない方がいいぞ。」
「・・・・・・うん、わかった。」

「でも帰ってくるなら、一言、手紙に書いてくれればいいのに。」
不満気な呟きに彼はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「突然帰ってきちゃ、まずかったか?」
「だから、そんなこと言ってないでしょう?」
また拗ねたように彼女は先程の言葉を繰り返す。

拒絶を否定されることが判っていても、口にしてしまう。
宇宙に向けられるはずの女王の心が、たとえ今の一瞬だけでも自分に向けられていると認識したいから。
少女が自分の物であることを確認したいから。

そういう点では、アルフォンシアと自分は恋敵なのかもしれない。
もちろん、こちらが一方的にそう思っているだけだろうが。

「俺にはそう聞えたんだよ。」
そんな気持ちを隠し、彼はわざと意地悪に口の端を上げる。
「・・・・・・・わたしのこと、信じてないのね。」
「信じてるさ。おまえが俺を信じてる程度にはな。」
「嘘。信じてない。」
どうやら、本格的に怒らせてしまったらしい。
いつもは鈴の音を思わせる少女の声が少し低く響く。
そして、心なしか鼻にかかっている気がして。
覗き込む勇気が出ず抱きしめたまま、青年は焦る。
「悪い。・・・・・言い過ぎた。」

「・・・・・・・・不安だったの。」
「何が?」
小さく呟かれた言葉に耳を傾け、静かに問い返す。
「また、いなくなっちゃうんじゃないかって。ずっと帰ってこないんじゃないかって。・・・・ひどいよね、あなたを束縛する権利、わたしにはないのに。」
「そんなことねぇよ。」
彼女の茶色い髪に、はっきりと答える。
「束縛したきゃそう言えばいい。おまえは我慢し過ぎだ。たまにはわがままの一つも言え。」
「出来ないわ、そんなこと・・・・・だって、わたしは今でも充分わがままよ。」
「どこがだよ。俺が許すって言ってるんだから、もっと甘えろ。」
少女は困った顔で見上げた。
その本当に困っている姿に、彼は目を細める。
「それに、されるかどうかは俺が決めることだ。くだらねぇことで悩むな。・・・・・・・ったく、不安なのは、こっちだってのに。」
「え?」
「なんでもねぇよ。とにかく、わかったな。」
「・・・・・・・・・・うん。」
「クッ、安心しろ。頼まれたって、俺はおまえから離れるつもりはない。」
青年は心からの気持ちを口に乗せる。

けれど。
欲しい言葉を与えられてもなお、彼女から寂しそうな影は消えず。
それはやっぱり信じられていないのだとしか思えない。

「どうして、笑わないんだよ?」
「・・・・『絶対』なんてないもの。」
零れた答えに、彼は思わず苦笑する。
アンジェリークにそう思わせる要因を与えたのは確かに自分だった。
ひょっとしたら、犯した罪の中でこれが一番性質が悪いものなのかもしれない。
あの過去がある限り、少女に不安をもたらすから。
「ば〜か。女王が未来を悲観しててどうすんだよ。」
「そんなこと・・・・・・」
おでこを彼女のそれにくっつけ、至近距離で笑いかける。
「悲観するのは、俺の役目だろう?」
いつだって後悔しない道を選んできたはずなのに。
いつも後悔し悩んでいたのが、かつての自分だった。
だったから・・・・・少女のその姿を責めることは出来ない。
「そんなこと、言わないで。」
「ああ、わかってる。・・・・・だからさっきのは、訂正だ。」
「・・・・・・訂正?」

「俺の方がおまえを離さねぇよ。」

耳元でくすぐったく、けれど真秀な声に囁かれ、少女とっさにそれから逃れようとする。
が、力強い腕は放してはくれず。
抱きしめられたまま少しも動けない。
「ちょっ、レヴィー!」
「『離さない』って言ったろ?」
面白そうに、少女の白いうなじに口を寄せる。
「そっ、そういう意味?!」
アンジェリークは一気に頬を染めて、必死に逃げようとする。
「こんなとこで・・・・・・・・!」
「ククッ、俺は別に構わないぜ?」
「もうぉっ、駄目だって、ばっ!・・・・・・アルフォンシアッ!」
「っ!・・・・・何しやがるっ!」
突然後ろ頭に痛みを感じ、青年は後ろを振り向く。

そこには桃花色のフワフワした尻尾。
女王に助けを求められた聖獣が、彼の頭を叩いたのだった。

「痛てぇじゃねぇか、アルッ!」
「駄目だって言ってるのに、止めないからよ!」
涙目で訴える少女に指摘され、言葉に詰まる。
「・・・・・・・あー、調子に乗って悪かったよ。」
泣かれると困るので、あっさり謝る。
別に時間はたっぷりあるしなと、心の中で悪巧みしていたから。
今さえ許してもらえれば、嫌われなければ、とりあえずそれでよかった。
「・・・・・なんか、考えてるでしょ。」
「別に。無駄に勘ぐるなよ。」
見透かされても動揺を顔に出さずにやり過ごせるようになった。
この旅で得た処世術の一つ。
悪ガキではあったけれど素直だった少年時代を知っている者には、それは割と災難なのかもしれない。


「帰って来るなら、みんなでお祝いしたかったのに。」
連れ立って帰る途中、少女は彼を見上げて残念そうに呟く。
けれど、青年はうんざりと言う顔をする。
「・・・・・お義理で、祝われたくねぇよ。パーティなんてまっぴらだ。」
「ふふっ、本当に嫌いなのね、パーティ。」
「ああ、嫌いだ。」
「じゃあ、レイチェルと3人ならいいでしょ?」
荷物を持つのと反対の腕にぶら下って強請られ、苦笑する。
わがままを言えとついさっき言った手前、それを受け入れないわけにはいかない。
結局、聞き入れてしまうのだ、彼女の願いを。
甘いと思いながらも、渋々を装いながら了承してしまう。
「ったく、しょうがねぇな。」

やがて宮殿が目の前にまで迫った時、彼女は彼から離れ、先に走る。
「アンジェリーク?」
その行動の理由が読めず、青年は首を傾げる。
少女は振り返り、そっと目を伏せる。
「さっきのはわたし個人として。・・・・・・・・今度は、『女王』として言うわ。」


「おかえりなさい。無事帰って来てくれたことを嬉しく思います、レヴィアス。」

けれど、その至上の微笑みは。
やっぱり一人の少女としてのもの。
そして、その表情を向けるのはただ一人。

「クッ・・・・・・あぁ、今、帰った。女王よ、出迎え有り難く思う ――――――――」

彼は不遜ながらも、祝福に答える礼を取り。
彼女のそれにふさわしく、自信に満ちた笑みを返したのだった。