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Sunbeam
背中合わせの中等部と高等部の校舎。
その間にある境界の金網を一人の少女は金の髪をなびかせながら飛び越えた。
「よっと・・・・着地もキマって、満点だね。」
得意げな顔で正面を見ると、窓の中に幼なじみを見つけた。
ほんの数ヶ月だけ年上の、今はリボンの形が違う制服を着た親友。
「ア〜ンジェ!」
「あ、レイチェル。」
手を振って呼びかけると、移動教室の帰りらしく荷物を胸に抱きしめ振り向いた。
「お弁当、一緒に食べようよ。」
包みを高く掲げてみせると、彼女はパッと笑顔を浮かべ頷く。
「うん!じゃあ、屋上で待ってて!すぐ行くからぁ!!」
言うが早いか、茶色い髪の少女は走って行ってしまった。
その後ろ姿を見ながら、思わず呟いてしまう。
「ホントに、ワタシより年上なのかな・・・・・」
それから数分後。
気持ちいい晴天の下にある屋上。
想像に違えず、親友は本当においしそうに人の弁当を頬張っている。
「やっぱり、レイチェルのとこの卵焼き、おいしい♪」
「・・・そう言ってくれると、ママも喜ぶよ。」
その姿に少し呆れながら、少女は牛乳のストローを咥える。
そして、口の端で小さくため息を吐いた。
なんだか餌付けしている気分。
それも小さな子の。
とてもじゃないが、女子高生に接しているような感覚はない。
昔から少しも変わらない彼女は、ご近所からどういう扱いを受けているのか気が付いているのだろうか。
それほど田舎でもないが、かといって緑がまったく無いわけじゃない。
新しいものと古いものが混在しているこの街で、なぜか彼女は誰からも可愛がられている。
隣近所の住人がどういう人物かまったく知らない人も多いというのに。
もちろんそれは人懐っこい性格というのもあるのだろうし、けして悪いことではないのだが。
問題は、『コレットさんちのアンジェちゃん』が未だ小学生のように扱われていること。
みんな、過保護すぎる。
けれど、つい構ってしまうという気持ちも理解できる。
なんだか無防備すぎて、見ているほうからすればかなり危なっかしい。
自分の年齢に無自覚なのにもほどがあると思う。
誰に対しても無邪気なのも考えものだ。
そして、今日。
中等部で彼女に関して、とある噂が持ち上がっていた。
それも飛びっきり新鮮な噂で、本当のことなら頭抱えてしまうというもので。
その上真っ向から否定したいのに、どこか心から否定できないというのも困りものだった。
それは誰もが感じていることからなのか、誰も彼も親友である中等部一の才女に真偽を尋ねてくる。
いくらなんでも、この世のすべてを知っているわけがないというのに。
けれど、「そんなこと、知らないヨ。」で済むほど、人の好奇心は甘いものじゃなく。
結局、事実関係を確かめる為、こうしてやってきてしまったわけなのだが。
当の本人は、そんな幼なじみの心にぜんぜん気がついてなく。
それとも、ただ単にまだ高等部まで噂が届いてないからだけなのか。
にこにこと目の前でお昼を食べているのだった。
「ねぇ、アンジェ。」
意を決して、レイチェルは口を開く。
「ん?なぁに?」
彼女は、頬をもごもごと動かしながら顔を上げる。
それを見て、ますます溜め息を吐きたくなる。
「あのさぁ、聞きにくいんだけど、」
「だから、なぁに?」
言いにくそうな親友に、少女は首を傾げてみせる。
「公衆の面前で、あのバカにキスしたってホントなの?」
「・・・・バカって、お兄ちゃんのこと?」
きょとんとして、彼女は質問を返す。
「そうだよ。」
「レイチェル・・・・」
「なによ?」
「目上の人をバカって言うものじゃないわ。」
こんな時だけ大人ぶる態度に、頭がクラクラする。
「あ〜、もう!ゴメンなさいっ!!でっ!したの、しないの?!」
「したわよ。」
あっさり返答され、金色の髪を垂らしてぐったりとする。
「それがどうかしたの?」
心配そうに覗き込まれしまい、その蒼い瞳を紫翆の瞳で恨めしそうに睨む。
はっきり言って。
レイチェルはアリオスが大嫌いだ。
初めて会ったのは、もう十年以上も昔。
後に幼なじみと称される少女の家に遊びに行った時のこと。
庭で彼女と遊んでいたら、そこに通りかかったのだ。
人生最大の天敵が。
「あっ、おにいちゃん!」
嬉しそうに駆け出した友達に付いて行ったのが、そもそもの間違いだった。
「おう、チビ。元気か?」
「うんっ!!」
咥えタバコの彼は、制服姿だった。
そんな格好で堂々と公道を歩いて帰って来たのだった。
派手めな見掛けと違い、小さい頃からレイチェルはそういうことは許せなかった。
特にタバコなんて、言語道断だった。
「あなた!みせいねんがたばこすうなんて、いけないことでしょっ!!」
ビシッと指差して、睨み付けた。
にもかかわらず、少年はいけしゃあしゃあと彼女を見下ろして言ったのだった。
「なんだ、このガキは?」
その上、真っ白な煙を噴きつけてきたのだった。
「っけほっ、・・・・・・・なにすんのよ!!」
「生意気な口聞くな、クソガキ。」
クッと笑い見下したその表情を見た途端、金色の頭は決定を下したのだった。
こいつは一生モノの敵だと。
絶対、地に頭を付けさせてやると。
後悔させてやると。
レイチェルは心に固く誓ったのだった。
けれど。
「なかいいねぇ、れいちぇるとおにいちゃん。」
のんびりとどこか羨ましそうに呟かれた声に、上った血が一瞬にして下りてしまった。
思えば、彼女がどこかボケてるのもこの頃からだった。
それは周りの人間関係の潤滑に繋がっている面も確かにあるのだが。
やっぱり相手と時と場合によると思う。
ましてや、今現在の奴には・・・・・・
「ひょっとして、勘違いしてるの?」
「なにを?」
片手で額を押さえながら、レイチェルは問い返す。
「口にしたんじゃないわよ。」
「・・・・は?」
またもやあっさり言われ、彼女は目を向いて顔を上げる。
「ほっぺにしただけよ。」
ここ、ここと頬を指で突つかれ、安心した様な疲れた様な気分になる。
「なぁんだ・・・・」
「やぁね、するわけないじゃない。お兄ちゃん女の人にモテるし、わたしなんかがしても嬉しくないでしょ。それに、」
「?」
「・・・・・・・お兄ちゃん、好きな人いるのに。」
「へ?」
その言葉を聞いて、首を傾げてしまう。
彼の想い人には、心当たりはある。
けれど彼女がそれに気が付いているのなら、こんな言葉が出て来る筈もなく。
一体、誰のことを言っているのか。
「・・・・・誰よ?」
なんかすごい勘違いをしている気がする。
けれど、やっぱり尋ねずにはいられなかった。
天敵の弱点は知っておくに限る。
「そんなの決まってるじゃない、」
クスッ笑って、親友は明朗に答える。
「うちのママよ。」
思いもよらなかった返答に突っ伏し、天才少女は自慢の金糸をコンクリートにばらまいてしまった。
「ど、どうしたの、なんで驚いてるの?」
口に手を当てながら、またしても覗き込まれてしまう。
「あ、あのさ、アンジェ。」
「ん?」
「ひょっとして、家庭崩壊を願ってるワケ?」
「ううん、・・・・お兄ちゃんには、可哀相だけど。」
否定の返事に、心の中でこっそり胸をなで下ろす。
余計なことはいつまでも憶えているのだ。
そして、それがいつまでも変わらないと思い込んでいる。
けれどこの場合。
思い込んでいてくれた方が都合が良かったし、面白くもあった。
少なくともレイチェルには。
けれど、何処かの誰かにとっては ―――――――――――――――――――――
「・・・・・・・・・一生、勘違いさせておこう。」
「レイチェル、何か言った?」
「ん?なぁんでもないよ♪」
生涯の敵の人生最大の不幸に。
少女は意地悪げな満面の笑みを浮かべたのだった。