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Call




ふわっとしたスープのいい香り。
コトコトと音を立てるその中を鼻歌を歌いながらおたまでかき混ぜて、少女は一口すくう。
「・・・・・ん、おいし♪」
熱いのに気を付けながら味見して満足そうに微笑んだ時、電話が鳴った。

慌てて彼女はコンロの火を消して、受話器を取る。
「はい、もしもし・・・・あ、カインさん。」
電話の先には、知った声。
彼女の大切な旦那様の秘書。
『夜分、遅くに申し訳ありません、アンジェリーク様。』
遅いと言っても、まだ7時を回ったところなのだが。
『レヴィアス様は、まだお帰りではありませんか?』
「一緒じゃないんですか?」
『私は社に残りましたので。そろそろ着く頃だと思うのですが・・・・・』
その時、玄関でチャイムとそしてカギが開く小さな音がした。
「あっ、帰ってきたみたいです。ちょっと待って下さいね。」
そのままコードレスの受話器を持って、帰宅したこの家の主の元へと駆け出した。


後ろ手で扉を閉めた時、愛しい妻が奥から笑顔で出迎えに出てきた。
「おかえりなさい♪」
それに機嫌を良くし、片腕でその体を絡め取る。
「俺がいなくて寂しかったか?」
そしてもう片方の手で少女の小さな顎を決る。
「あっ・・・・・」
「・・・・ただいま。」
近づく顔に相変わらず頬を染める彼女に軽くくちづける。
「あ、あのね・・・・・」
「どうした?今のじゃ足りないか?」
「ちょっ・・・・」
「それなら、おまえが満足するまで何度もしてやるが?ま、そうなると・・・・唇だけじゃ済まなくなるな。」
そう言って口許を挑発的に上げる。
「ま・・・・・待って!」
だが行動を制止され、真っ赤な顔で鼻先に差し出されたのは電話。
この家のキッチンにあるものだ。
なぜここにあるのか?

「レヴィアス様っ!!あなたは、いつも奥様にそんな破廉恥なことをおっしゃってるんですかっ?!」

聞こえたのは、つい十数分前に別れたうるさいお目付け役。
その声に心底嫌そうに眉を顰める。
「坊ちゃま!そのような教育を私はっ・・・・・・・」
「黙れっ!!一つしか違わん奴に『坊ちゃま』なんて呼ばれる筋合いはないっ!!人の家のことをあれこれ言う前に、自分のことをなんとかしろっ!!」
彼女の手から奪い取って怒鳴り、速攻で切って傍らに置く。
「これで邪魔者はいなくなったな。」
腕の中で呆気に取られてる少女に、満足そうに向き直る。
「ね、ねぇ、カインさん、なにか用事があったんじゃ・・・・」
「構わん。俺には用はない。」
「そんなっ・・・・!」
彼は言い切って、離れようとする彼女に再び近づく。

その時。
再びベルは鳴る。

それに思いっきり青年の整った顔が引き攣る。
「出なきゃ、ダメよぉ。」
手を伸ばして電話を取り、彼に差し出す。
だが、受け取りもしない。
「ねぇ、レヴィアス?」
覗き込んで頼むように見上げる。
けれど、やっぱり受け取ってくれない。
小さく溜め息をついて、しかたなくアンジェリークは耳に当て受け答えようとする。
が、それは叶わなかった。
彼がその前に素早く切ってしまったから。
「レヴィアスッ!!」
「取らなくてもいい。」
「よくないでしょうっ?!」
どうしてこの人はこんなに強情なんだろう。
自分が悪いって、判っているはずなのに。
その上、いつもいつも強引で・・・・

「・・・・・・・・キライ。」

ぽろぽろと蒼い瞳から零れる涙に、青年はぎょっとする。
「レヴィアスなんて、大キライッ!!」
そう言い捨てて少女は、2階に駆け上がってしまった。
「アンジェリーク・・・・・・」
面と向かって言われたことがショックで、その場にしゃがみこんでしまう。
本気じゃないことは判ってる。
だが、だからこそ、涙目で言われたのは、心にグサリと刺さった。
この事で、本当に嫌われたらどうしようかと。
常にそのくらい不安なのだ。
誰にも、彼女にさえ知られたくないが。

だが、その思考を遮るように今度は携帯が鳴り響く。
投げ捨ててやろうかと思ったが。
少女の涙が浮かび、渋々電話に出る。

「・・・・・・何のようだ?」
「うちは家庭円満ですよ。」

・・・・・明日、出会い頭に殴ってやろうと思う。


「アンジェリーク?」
薄く扉を開けられ、部屋の真ん中で座り込んでた少女は振り返る。
「・・・・・来ないで。」
怒った目で睨まれて、困った顔で彼女の言葉に反して側に近寄る。
「カインからの電話には出た。・・・・・それでいいだろう?」
「・・・・・よくないもん。」
涙のにじんだ瞳で膝をついた彼を見上げる。
「すごく頑固だし、自分勝手だし、わたしの話ちっとも聞かないし・・・・」
「・・・・判った、これからは気を付ける。」
「前もそう言って、嘘ついた。」
鋭く過去を突かれて、彼は激しく動揺する。
「そ、そうだったか?」
「そうだったわ。」
じぃっと向けられる眼差しに耐え切れず、小さな体を荒っぽく抱きしめる。
「悪い。だが、おまえがここにいると思うと嬉しくてな。つい、我を忘れる・・・・」
少女の小さな耳に囁くように告白する。
そのくすぐったい感覚に、彼女は少し身を捩って金色の光を視界に入れる。
「レヴィアス・・・・・・・?」
「本当に、今夜は眠らせたくないんだがな。」
今は嘘なんかついてないと言う言葉に、カァッと頭に血が上る。

「そ・・・・それで、カインさんの話はちゃんと聞いたの?」
思いっきり話を逸らそうとする彼女に苦笑しながらも口を開く。
泣かれて嫌われるのは、まっぴらだから。
「あぁ。・・・・あの程度の事なら、初めから携帯に掛ければいいものを。」
「あっ・・・・そうよね。レヴィアスが車を運転しているわけじゃないから・・・・」
一応、お抱え運転手なんかもいたりする。
その割には可愛らしい外観の新婚さんらしい家で、ご近所から不信がられているのだが。
「どうして家に掛けてきたの?」
「・・・・・・・・経費削減だそうだ。」
くだらん。
電話代ケチるほど、困ってないはずだ。
むしろ人員整理であいつを何処かに飛ばして、家庭崩壊にでもしてやろうかと密かに計画する。
が、やっぱりやめた。
他に自分の秘書として耐えられそうな人材が見つけられなかった。
その理由は、果たしてカインにとっていいことなのか悪いことなのか。

「奴の話は終わりだ。それより・・・・・」
「あっ、夕食!!作りっぱなし!!とりあえず、食べよう?・・・・・ね?」
戻そうとした話の腰を折られ、少し不満そうな顔をするが。
一つ彼女の額にキスをして、抱き上げる。
「クッ、そうだな。・・・・・・まずおまえの手料理の方を堪能してからでも、遅くはないな。」
意地の悪そうな夫の微笑みに、まだ幼い妻はやっぱり赤くなるしかなかったのであった。


そして、ダイニングルームに連れ去られる途中に少女が見たのは、コナゴナになった携帯電話の残骸だった。
・・・・・電話代をケチっても、結局は無駄だったのかもしれない。
すぐに物を壊してしまうこのご主人様がいる限りは。