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Awkward Fingertip
〜 Angelic Arietta番外編 〜




「ったく・・・馬鹿が。」
「う〜、そんなふうに言わなくてもいいじゃない・・・・」

呆れた声で先を歩き振り返った人を、真っ白な包帯を右手に巻いた少女は涙が滲んだ蒼い瞳で見上げる。
「馬鹿じゃなきゃ、とんでもないドジか不器用だな。いや、ヘンに器用なのか。」
追いついて来た彼女の額をピンッと弾いて、青年は火の着いてないタバコを口に咥える。

「フツーしねぇだろ、利き腕に持った包丁で利き腕の指切るなんてことな。」


遡ること、数時間前。

アンジェリークは、いつものごとく、その口の悪い恋人の部屋にいた。
一緒に夕食する為に。
どうせ帰っても一人で食べることになるし、なにより大好きな人の傍に僅かの時間でもいられるのは嬉しかったから。
もっとも僅かな時間ではなく、次の日の朝になってしまうこともしばしばであったが。

そんな言葉どおりに勝手知ったる彼の家の台所。
そこで彼女は悲鳴を上げた。
少々のことでは動じない宿主が驚いて飛んでくるほどの大声で。

「お・・・・おまえ、なにやってるんだ・・・・・?」
アリオスは床に座り込んで血がぼたぼたと滴る手を高く掲げている少女に顔を引きつらす。
「なにって・・・・血がいっぱい出たときには心臓より高く上げなさいって・・・・」
「そうじゃなくてだな・・・・・・」
思わず頭を抱えそうになるにをグッと我慢して、青年は自分のネクタイで細い二の腕を強く縛りそこにあった手拭き用のタオルで傷口を押さえる。
「ダメよ、血で汚れちゃう。」
「黙ってろ・・・・ほら、さっさと立て。」
「あっ・・・・・」
小さな体を持ち上げて立たせるが、失血による貧血なのかよろめいく。
「ご、ごめん・・・・服まで汚しちゃった・・・・」
「いちいち気にするな・・・・・しかたねぇな。」
シンクの縁に怪我をしてない手で捕まらせて、彼は背を向けてしゃがみこむ。

「アリオス・・・・?」
「そんなフラフラじゃ、歩いて医者なんて行けねぇだろうが。」
「えっ、お医者様っ?!」
心底嫌そうに蒼い顔で後ずさりさえする少女に、アリオスは眉を顰める。
「い、いいっ、平気だからっ!」
「嘘つけ。」
「嘘じゃないもん、ホントだもんっ!」
「おまえな・・・・・」
ぶんぶん首を振って子供のように嫌がる恋人に呆れかえる。
「いい加減にしねぇと、無理矢理担いでくぞ。」
「うっ・・・・・・」
さすがにそれは恥ずかしいと思ったのか、アンジェリークは押し黙る。
「ほら、早くしろ。」
「う〜、判ったわよ・・・・・・」
渋々ながら彼女が背に体を預けたのを感じると、アリオスは立ちあがる。

「痛くても我慢しろよ、自業自得だからな。」


そんなこんなで治療を施されて。
傷口を縫われ、包帯でぐるぐる巻きにされ。
ようやく終わった頃には、やっぱりぽろぽろと涙が零れていた。

「我慢しろって、言っただろうが。ぴーぴー泣きやがって。」
病院を出て夜空の下、咥えたタバコに火を着ける銀髪の青年の腕に、少女はしがみつく。
「我慢したわ、泣いたけど暴れなかったでしょう?」
「・・・・・・・暴れるな。」
茶色い頭をぽんぽんと叩く大きな手を、アンジェリークは甘んじて受ける。
「ホント、ドジな奴だよな。いったいどうやったら、そんな器用な指の切断が出来るんだ?」
おとなしくされるままの彼女に溜息を吐いて、アリオスは尋ねる。

タオルで押さえる時にチラッと見た指はざっくりとまさに切断せんばかりで。
そこからは真っ赤な血が吹き出していた。
だからこそ、のんきに手を上げてる姿に呆れてしまったのだが。

「・・・わ、わかんない・・・・」
尋ねられたことにどんなに記憶を探ろうにも一瞬のことで、少女はあの時のことをよく憶えていない。
「ったく・・・・いつもおまえが俺に言う言葉言ってやろうか?」
「え?」
「端くれとはいえ、ピアノ弾きが指大切にしなくてどうするだ?」
「う・・・・・」
自分の口癖を仕返しなのかニヤリと笑って口にする彼に、自分が悪いと判ってはいるものの頬が膨らんでしまう。
「アリオスに美味しいもの食べてもらおうと思って頑張ってたのに、そんなふうに言うことないじゃない。」
「それで怪我して食いっぱぐれてちゃ、イミないだろ?」
しかし痛いところを突かれて、またしても言葉が次げなくなる。

「あんまり、俺の心労を増やすじゃねぇぞ。」

だが続いた彼のセリフに、アンジェリークはきょとんと煙を吐くその顔を見上げる。
「・・・・・・なんだよ?」
「心配、してくれてたの?」
首を傾げて尋ねる少女に、アリオスはがっくりと項垂れる。
「おまえは、人をオニかなんかだと思ってるのか?」
「え、あ、そうじゃなくて、なんか意外な気がして・・・・」
「・・・・おい・・・」
どう聴いてもオニ扱いの少女の言葉に、青年は不機嫌が増し目を細める。
「ご、ごめんなさい、違うの、うまく言えないけど・・・そうよね、心配してくれたのよね。ありがとう。」
「・・・・・・・どういたしまして。」
やっと口に上った恋人の礼に、まさしく心労がアリオスの上に圧し掛かる。

本当に判ってるんだろうか?
どんなに心配したかを。

あの時、呆れる直前に心臓が潰れるほどの衝撃を受けた。
半分は自分の為にしていたことで怪我をされ、それでショックを受けないはずがない。
少女のドジぶりよりも自らのうかつさに腹が立つ。

もちろん、それを彼女に悟らせるわけにはいかなかったが。

しかし、ふとぶら下がるように自分の腕を少女に抱き締め擦り寄られていることに気が付き、アリオスの口元は知らずと緩む。
「ま・・・この借りは今夜一晩中ベッドで返してくれりゃ、俺は文句は言わねえぜ?」
「は・・・・・・・・?」
艶めいた碧の瞳で見下ろされ、アンジェリークは一瞬にして真っ赤になる。
「あ、だって、わたし、手・・・・っ!」
彼の目前に白い手を晒して思い留まらせようとするが、その手首を掴まれ指先に布の上からくちづけられる。
「別に俺はおまえの手が怪我してたって、不満はないぜ?」
「そんな・・・・」
「なんだ?それとも、不満があった方がいいのか?」
ぱくぱくと口をさせて沸騰する顔に、青年はククッと笑う。
「その手じゃ、まともに飯も食えねぇだろうしなぁ?風呂も入れねぇよな?」
「え?え?」
「まぁ、俺の部屋で起こったことだ、そこら辺は俺が責任取って、ずっと面倒見ててやるよ。」
「え、あの、ちょっと・・・・・」
そこはかとなく企みに満ちたその笑顔に、少女は思わず彼から離れようとする。
しかし抱きすくめられてしまい、その力強い腕の中で硬直する。

「完治するまで楽しみだなぁ、アンジェリーク?」


耳元で喉を鳴らし本当に楽しそうな彼の声に、アンジェリークは今回のことでこの時ほど自分の不注意加減を呪わないことはなかったのだった。