戻る
Lonely Girl
日の曜日の朝。
炎の守護聖である赤い髪の青年の私邸を訪れる者は、二人いる。
「まだまだ脇が甘いぞ、坊や。」
「坊やじゃっ、ありませんったらっ!やぁっ!」
一人は彼を剣の師と仰ぐ少年。
毎週通って来ては手合わせを願い出て、この頃ではめきめきと上達しつつある。
そして、もう一人は ――――――――
庭での剣の稽古が終わり二人が汗を拭いていると、屋敷の門の方に少年が人影を見つける。
「あっ!ロザリアッ!」
青年が僅かに眉を顰めたのに気付かず、ランディは爽やか過ぎる口調で玄関に向かっていた少女を呼び止める。
「ごきげんよう、ランディ。」
風の守護聖に呼ばれて庭のほうへ歩いてきた紫紺の髪の補佐官は、艶やかな笑顔を浮かべ彼に挨拶をする。
そしてこの館の主の方に向き直り、更に笑みを深める。
「オスカー様、おはようございます。」
「あ、ああ・・・おはよう、お譲ちゃん。今日も変わらず、キレイだな。」
「ありがとうございます。」
クスクスと笑う少女に、オスカーは心の中で溜め息をつく。
自分の中ではとっくに『お嬢ちゃん』ではなく、『レディ』であるにも関わらず。
未だにそう呼ばざる負えないのは、この普段の彼女からすれば不釣り合いなほど無邪気な笑顔のせい。
本気で『お嬢ちゃん』だと思っていた頃は柳眉を上げて、怒っていたものなのだが。
このごろの補佐官殿は、気にせず受け流すように笑う。
そしてその微笑みを見て、自分は苦虫を潰したような気分になる。
それは自業自得、なのだろうが。
「オスカー様、俺帰ります。ロザリアもまたな。」
「ああ。」
「ごきげんよう、ランディ。」
愛剣を手に門の方へ駆けて行く少年の背に、青年と少女はそれぞれ別れを投げかけ見送る。
「あっ、そうそうっ!」
門にたどり着いた少年は思い付いたようにくるっと振り向き、二人に大きく手を振りながら余計なことを叫ぶ。
「デート、楽しんできてくださいねーっ!」
その彼の言葉に、オスカーの表情はますます渋味を帯びていく。
「あいつ・・・・」
しかしそんな彼の表情を読み取れず、少女は小首を傾げ自分が訊ねてきた人を見上げる。
「おかしいですわね、ランディったら。別に私達、デートする関係じゃありませんのに。」
ほとんど毎週自分のところへ通ってきているにも関わらずそんな事を言う彼女に、オスカーはいよいよ頭を抱えたくなる。
そう。
今、一番の問題は少年の言葉ではない。
休みの日、いや、暇さえあれば自分のところに来るこの少女。
彼女には自分に対する恋愛感情はない。
少なくとも、そういう自覚はないように見える。
それでも、間違いなく慕ってはいてくれているのだろうが。
「オスカー様、どうかしまして?」
「え、あ、いや・・・・」
思い耽っている間に知らずと小さな顔に見入っていたらしく、少女は僅かに頬を染め訊ねる。
「ひょっとして、今日はどなたかとお約束がありましたの?でしたら、私帰りますけれど・・・・」
そして勘違いも甚だしいことを口にする少女に、オスカーは相手に分からない程度の苦みが交じった笑みを浮かべる。
「見目麗しい補佐官殿がわざわざ俺などを訪ねてきてくれるのに、他の誰と逢えというんだ、ロザリア?」
白魚のような手を取り、彼は貴人に対する礼をくちづける。
本当に他の誰と約束が出来るというのだろう?
愛しく想っている少女が訪ねてくると判りきっているのに。
いや、それ以前にもう彼女が自分を訪ねてくることは聖地中に広まっている。
おそらくは少女の耳には入ってないのだろうが、付き合っているという噂さえ出ている。
あのランディでさえ、そう思っているのだ。
きっと誰もが心の中ではそう思い込んでいるに違いない。
現実には無邪気な天使に心を弄ばれる自分がいるだけなのだが。
「今日も陛下はデートなのか?」
少女を屋敷の中へ招き入れた青年は、彼女と自分が仕える尊き方の今日の予定を訊ねる。
「ええ。あの子ったら、執務中でも暇さえあればすぐ抜け出して遊びに行っちゃうんですもの。休みの日なら当然ですわ。」
「そう・・・・だな。」
ソファーに座りくすくすと笑うその表情に僅かな寂しさが交じっているのに気付き、彼はアイスブルーの瞳を一瞬細める。
おそらくは。
彼女の寂しさの原因は親友に恋人が出来たこと。
今が一番楽しいのだろう金色の髪の佳人は、デートに勤しんでいる。
その結果、仕事以外に一緒にいることも少なくなり、話しても話題はのろけ話ばかり。
多分。
置いていかれた気分なのだろう。
親友の恋人に嫉妬さえしているのかもしれない。
そして自分の存在価値が、判らなくなっている節がある。
幼い頃から『女王』になる為にと、育てられた少女。
しかしいざ蓋を開けてみれば、『女王』になったのはもう一人の女王候補で。
その時点でもう、彼女の今までの人生は根底から覆されている。
そして今、補佐官として、女王の親友としての立場が彼女の心の中で危ういものになっているのだろう。
その寂しさと不安を紛らわせる為、少女はここに来る。
自分をけして無碍に扱ったりしないだろう男の元へ。
その男の心には少しも気付かずに。
「ま、あの二人が逢瀬を楽しんでくれるおかげで、俺はフェリシアの天使に相手をしてもらえるのだからな。陛下にはご自重頂きたい面もあるが、その点では俺は感謝すべきなんだろうな。」
「まぁ、オスカー様ったら・・・私の苦労も少しは考えてくださいませ。休日はともかく、平日は抜け出すなと言いつけておいても、いつのまにか・・・なのですわよ。」
青い瞳を丸くして女王に対するグチを口にする彼女に、彼は苦笑めいた表情を浮かべる。
「なぁ、ロザリア?」
「はい?」
そんな彼の笑いに少女は優雅に首を傾げ、その反動で艶やかな髪を背で滑らす。
「毎週毎週、俺のところにきて楽しいか?」
「・・・・・え?」
「あっ、いや、邪魔とかじゃ、なくてだな・・・・・」
一瞬にして表情が曇った彼女に、オスカーは慌てて言葉を付け足す。
「別に遊び相手は俺でなくても構わないだろうと思ってな・・・・・」
そう。
別に自分でなくても構わない。
言葉は悪いが、彼女が寂しさを紛らわすのに利用できる人間は他にもいる。
実際、彼女に恋心を抱く輩は自分の他にもいる。
炎の守護聖相手じゃ勝ち目がないと思ってくれるのか、幸いにも今のところ告白しようと思うものはいないようだが。
「・・・・なんとなく、じゃいけませんか?」
しばし思察した後、訊ねられた少女はぽつりと呟く。
「楽しいですわよ、私。つまらなかったら来ませんわ。」
そして華やいだ微笑みをオスカーに向ける。
「それに・・・きっと今の聖地で私のことを一番気に掛けてくださるのは、オスカー様ですわ。」
「そう、か?」
「ええ。『女王補佐官』としてではなく、ただの『ロザリア』として扱ってくださるのも。」
花が咲いたようなその笑顔に、オスカーは見惚れながらも心の内で今日何度目かの溜め息を吐く。
まったく・・・・
ここまで信頼された言葉を向けられると、どうにもこうにも身動きが取れなくなる。
信じられないことに、この自分がだ。
確かに身の内には、彼女の気付かない欲望はあるのに。
天使の羽のように真っ白な心を曝け出されると、どうしようもなくなる。
本当はそんな信頼など、ぶち壊してやりたいのだが。
「だからオスカー様のところへ来ますのよ、私。」
にっこりと笑って自分を見る紫紺の瞳に吸い込まれそうになりながらも、彼は彼女を見つめ返す。
「それが理由では、いけませんこと?」
「いや・・・・」
そして目を伏せ小さく首を振り、彼らしい微笑みを湛えながら再びアイスブルーの瞳を彼女に向ける。
「満足な答えだな。」
「それはよろしかったですわ。」
「それに・・・・」
「はい?」
少し躊躇いつつも、彼は本心を口にする。
「お嬢ちゃんが俺を憎からず想ってくれてる事も判ったしな。」
「オッ、オスカー様っ!また、私をからかって・・・そういうところだけは治してくださいませ。」
「ははは、すまん。」
しかしからかわれたと思った少女は真っ赤になって怒り、オスカーは苦いものを感じながら謝罪を口にする。
もう少しだけ彼女が自分に求めるフェミニストを演じることにしよう。
せめて・・・・
そう、せめて。
今目の前のにいる人間が『男』なのだと少女が気が付くその時まで。