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The green eyed monster



「だからね、もう大丈夫なんだってば。」


守護聖も過半数が揃い、聖獣の宇宙が安定しだしたとある日の夕暮れ時。

私室に置かれたピーコックチェアにドレス姿のまま座る女王は、少々困ったような不満なような口調で自分をここに座らせた人に訴える。
「んなことは、あの女に言え。俺は補佐官殿から与えられた『使命』を遂行しただけだ。」
しかしいつの頃からかこの部屋での彼の定位置と化したソファに寝転ぶ彼は、涼しい顔で己が仕える主の言葉を受け流す。
そして自分に言うのはお門違いだとばかりに、少女を部屋に連れていけと命じた少女の親友に罪をなすりつける。
「ア、アリオス・・・・」
そんな身も蓋もない言葉に先程の執務室での光景を思い出し、少女は一瞬言葉が詰まる。

確かに書類を取りに来た金の髪の補佐官は、いきなり姿を見せた魔天使に出会い頭にそれを命じた。
それが執務が終了しただけということではないことは、自分の顔を見た親友と、そしてこの青年がほんの一瞬表情を曇らせたことから判る。
だからその命令の理由は、一つしか思い浮かばない。
思い浮かばないからこそ友達を貶されたことに憤るよりも先に改めて困惑を見せ、女王は軽く眉を顰める。

「ねぇ・・・・そんなにまだ体調悪そうに見える?」
「さぁな。」
そして銀髪の青年をアンジェリークは蒼い瞳で見つめ、今度は不安げに訊ねる。
しかしやっぱり彼はそっけなく返事を返し、彼女は憂いの表情で椅子に置かれていたふかふかのクッションを抱きしめながら小さな溜め息をつく。
「別にいいじゃねぇか。だいたい今日の執務は終わってたんだろう?ぐだぐだ考えてねぇで、さっさと休め。」
「もう・・・・」
その嘆息に気がついたのか、まだ日があるうちからぐうたらを決め込む彼は伏せていた瞳を片方だけ開き、怠惰に誘う。
けれど口が悪いながらに過剰なくらいいつも心配してくれる人の気持ちが判り、少女は苦笑しながらもこくんと頷く。


その心配は自分が忠誠を誓った主へというよりも、個人的レベルで少女自身を気遣うものであることは想像に難くない。

『執務が終わった女王を私室に連れて行くこと』など、命じられたとてどう考えても彼の仕事の範疇にはないのだから。
それこそ星の視察から帰ったばかりの彼が逆に「疲れている」とそっけなく突っぱね、さっさと自室に引っ込んでしまっても責められる道理はどこにもない。
それにもう補佐官が命じた理不尽な『使命』は完了したのだから、ソファーに寝転びここにいる理由もない。

にも関わらず、自分の傍に当然のようにいてくれることに少女は申し訳ない半面嬉しく感じ、苦味混じりだった笑みを年相応の無邪気なものに変える。
そして相変わらず素直じゃない年上の恋人に、小さく、けれど心からの礼を言う。


しかしその時電子音が部屋に響き、アンジェリークは突然のことにビクッと白い肩を震わせる。
「な、何・・・・」
驚いている少女を尻目に、寝転がっている青年は面倒くさそうにコートの内ポケットを探る。
そして小さな端末をいかにも億劫そうな動きで取り出し、その画面を見つめる。
「あ・・・」
自分は同じものを持たされてないが見覚えのあるその機械に、少女は浮かれていた心が急速に萎んでいくのを自覚する。
「お仕事・・・?」
「・・・いや。」
けれどほんの少しの寂しさを滲ませ訊ねるまでもなく、彼はそれをテーブルの上に放り出し再び惰眠に耽る。
しかしその返事に彼女はほっとするどころか、逆に何故かもやもやとした感情が胸に沸き上がり、クッションをぎゅっと握り締める。
「・・・・返事、しなくていいの?」
「あ?」
怪訝そうに片眉を上げこちらを向いた青年に,少女はなんとなく目線を外しながらポツリと呟く。
「エンジュ・・・からじゃないの?」


この銀髪の剣士の存在を知る者は、さほど多くない。
更にその中でこの青年が聖地にいると知る者は、もっと少ない。
ましてや彼と通じる手立てを持つ者など、今は片手で足りるだろう。

職務柄、繋がりを持つ者か。
もしくは、個人的に懇意にしている者か。

仕事じゃない以上、今回の場合、後者で。
その中で、愛想もそっけもないこの人に懲りずにメールを打つ者となると・・・
それはもう、かなり絞り込めてしまう。


「あのおさげだったら、なんですぐに返事しなきゃならねぇんだ?」
少女の言葉に青年は眉を顰めたまま起き上がり、長い前髪を掻き揚げながら肩を落とす小さな体に目を向ける。
「だって、待ってるんじゃないかなって・・・・」
その不機嫌そうな声と視線に何故かますます気落ちして、彼女はおどおどと小さな声で呟く。
「俺にも俺の都合ってのがあるだろう?」
「都合って・・・昼寝してるだけじゃない。」
けれど変わらずけんもほろろに突っぱねられ、アンジェリークは胸の内で膨らむ説明できないもやもやと彼の態度に苛立ちを増す。
そんないきなり機嫌を損ねた少女に青年は眉間のシワを深め、呆れ混じりの溜め息を吐く。
「あのな・・・だったら、俺がおまえからのメールにすぐに返事したことがあったか?」
そして立ち上がり俯きがちに拗ねたような表情を浮かべる彼女の前に立ち、頭を軽く小突く。
「な、ないけど・・・でも・・・」
その痛みとは言えない程度の刺激に促されて、少女はおずおずと目線を上げる。
そんなとても女王には見えない小さな子供のような顔に、アリオスは片眉を上げ見下ろす。
「ほら、見てみろ。」
そしてもう一度軽く溜め息を吐き、さっきテーブルに放り投げた端末を取り、心細そうな色を見せる蒼い瞳にそれを突きつける。
「単なるノロケだ。すぐに返事が必要な内容か?」


確かにそこに書いてあるのは、とある男性への不満というかグチというかノロケ。
本人が自覚してるのかしていないのかは、判らないが。
内容が不平にも関わらず文面は敬語で、あの亜麻色の髪の少女の人柄が滲み出てる。

そして肝心なその相手は、もちろん目の前で自分を睨んでる人などではない。

そんなエトワールのオフレコ話に、女王はなんだか気が抜けたような表情になる。
更に眺めるうちに不意に自分の中のもやもやの正体がなんとなく判り、何かを曲解していた恥ずかしさで顔が熱くなる。


「ったく、ロクなメールが来やしねぇ・・・ってな。」
「あっ・・・きゃっ!」
面白くないとでも言うように軽く舌打ちをしつつ、青年は頬を染めつつ呆けたように液晶画面を見つめる少女を片腕で抱え上げる。
そして入れ替わるように椅子に腰を下ろし、驚きで見上げた膝の上の彼女にニヤリと口元を歪める。
「・・・な、何?」
「いや、別に。」
先ほどまでと一転して浮かぶ意味ありげな笑みに、アンジェリークは戸惑い無意識に身構える。
けれど彼はその笑いを浮かべたまま、小さな手から自分の所有物を奪い返す。
「・・・やっぱり返事書くの?」
「ああ・・・せっかく女王陛下からエトワールに返事を出せとありがたいお言葉を頂いたからしな・・・・・っと。」
片腕で自分を抱き寄せたままもう片方の手で器用に何事か文字を打ち出した人に、少女は不思議そうに首を傾げる。
しかし再び突きつけられた画面に書きこまれていた文面に、端から見れば青白かった顔が火が噴いたように真っ赤になる。
「ア、アリオスッ!」
そして恥ずかしさのあまり涙目で、楽しげな表情を向ける青年をきっと睨み上げる。


『そういうことは補佐官辺りにグチるか、本人に言え。
 むやみやたらに女からメールが来ると、
 女王陛下が妬いて俺の手に負えないんでな。
 じゃあな。                   』


「ダ、ダメ!こんなメール送っちゃ・・・っ!」
女王の尊厳に関わるその内容に、彼女は端末を持つ手からそれを奪おうとする。
「事実だろう?」
「違・・・ちょっ、待って・・・・っ!」
けれどそんな追っ手を軽く振り切り、アリオスはククッと喉を鳴らしつつ送信ボタンをポチッと押す。
「あ・・・あ、あ〜〜〜〜〜〜っ!」
手が届かないまでも画面は少女の瞳に映り、なすすべもなくそこに『送信完了』の文字が浮かぶ。
それを見てあわあわと空を切っていた手は硬直し、彼女は青ざめて悲鳴を上げる。
「アッ、アリオスのバカッ!これからどんな顔して、エンジュに会えば・・・」
固まった手を取られそこに求めていたものを今更置かれ、少女は涙を滲ませながら青年を責め立てる。
だがその苦言の途中で急にくらりと眩暈が彼女を襲い、小さな体は広い胸に倒れこむ。
「ったく・・・おとなしくしてろ。ぶっ倒れでもしたら、俺のせいにされる。」
「・・・アリオスのせいでしょう。」
「クッ・・・はいはい、悪かったよ。」
けれどそれでも彼女は彼を責め、しかしその一方で宥めるように腕を回し抱きしめてくれる人の暖かさにほっとして身を任せる。

「じゃあ詫びに、次の休みにどっかに連れて行ってやるよ。」
「え?いいの・・・?」
髪を弄ぶ長い指にくすぐったそうに身を竦めながら、アンジェリークは謝罪を口にした恋人を見上げる。
そして彼の多忙さを思い出し眉を潜め、控えめにその言葉を確認する。
「ああ。体調整えてどこがいいか考えておけ。」
その姿がおかしかったのか、それともその心配が杞憂だと言いたいのか、青年はクククと小気味よく喉を鳴らし笑い出す。
しかしけして先ほどの言葉を否定することなく、大きな手で茶色の頭をぽんぽんと叩きながら頷く。
「う、うん・・・」
そのまるで子供扱いな態度にいささか不満を感じながらも、少女は安心して頷き了承する。
そんな変わらない素直さに満足そうに二色の瞳を細め、青年は桜色の唇に自分のそれを寄せる。
「あ。あの女に俺の休みをおまえに合わせるように言うのも、忘れんじゃねぇぞ。」
だが不意にもう一つの障害を思い出し、彼は眉を僅かに顰めながら己の主に不敬にも言いつける。
「・・・うん、判ったわ。」
そのあまりに大人げない様子に一瞬きょとんとしながらも、すぐにクスクスと表情を崩してアンジェリークは笑う。
そしてもう一度心から嬉しそうに頷き、少し背を伸ばし彼の頬に感謝と期待をくちづける。

「楽しみにしてるね、アリオス。」



それから数日後。
嬉しそうにはしゃぐ茶色の髪の少女と、減らず口を叩きながらもそれを微笑ましく見つめる青年がアルカディアで目撃され。
時には口ゲンカをしながらも仲良さげに戯れる二人に、それを見た人々は好ましく思うのだった。