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「う〜ん、いい天気。」
私室から続くテラスに出て、アンジェリークは思いっきり体を伸ばす。
朝露に濡れた草花の匂いが風に乗って彼女の元へ届き。
それを胸いっぱい吸って、宇宙の女王は嬉しそうに微笑んだ。
「今日もみんな元気そうね。」
命の息吹を感じる。
出来たばかりの宇宙で、ここで生まれた『ヒト』はまだいないけれど。
この宇宙で生きるものは、そこに在るだけで少女を喜ばせてくれる。
守るべきもの達であり、慕ってくれるもの達だから。
みんな大切な宝物達。
「それにしても・・・・」
手すりに肘を突いて白んだ空が青くなっていくのを見ながら、彼女はまたしても溜め息を吐く。
そして、少し首を捻り考える。
「なんで、わたしなのかしら?」
強烈すぎる記憶に、顔が熱くなってしまう。
『皇帝』を名乗る青年の求婚。
確かに今の立場になる前は、いつかそんなこともあるのかなぁと考えたことはあったのだけれど。
けれど彼の行動は、一般的に少女が夢見る段階という段階を全てすっ飛ばしている。
『好き』だとも。
『愛してる』とも。
そういう告白めいた言葉は一切聞いてない。
いきなり『妃』だったのだ、彼女が驚き逃げ出したくなるのも当然のこと。
もちろん『女王』であることも、逃げ出す要因の一つではあるのだが。
そこで、ある仮説を立ててみた。
例えば『女王』でなかったら?
スモルニーに通い、普通の女子高生の生活を今もしていたとしたら?
彼を受け入れていた・・・・?
いや、違う。
なおさら、拒絶していたような気がする。
きっと一庶民の少女だったら、青年の中に潜む『孤独』に気付かずにいた。
その『孤独』が権力者としてのものなのか、彼に与えられた宿命なのかは判らないけれど。
宇宙で唯一人の者となった少女はそれを見つけてしまった。
けれど、あの頃の彼女なら。
ただ態度の大きい人だと思い。
嫌悪すら抱いていたかもしれない。
――――――――――――――― そう。
別に、嫌いではないのだ。
むしろ理解出来てしまう。
彼の行動は驚くことばかりだというのに。
それだけに性質が悪い。
本心から、拒むことが出来ずにいるのだから。
今日も来るのかなぁ。
あ、でも、溜まった執務をするって言ってたっけ。
じゃあ、来ないの・・・・・かな?
ぼんやりとそんなことを思ってしまった自分に気付き。
そんな考えを振り切るように慌てて頭を振る。
これでは、まるで来るのを心待ちにしているよう。
なっ、なに考えてるの、わたし?!
あんな人、別に来なくたって・・・・・!!
関係ないじゃない!!
ぶつぶつと自分に言い訳する火照った頬を、風が冷ますように吹き。
悪戯に茶色の髪が顔に掛かる。
鬱陶しげにそれをかきあげようとして。
そこで、少女の頭に疑問が浮かぶ。
なぜ、後ろから風が吹くのだろう?
自分の背には、部屋から続く扉しかないはずなのに・・・・?
振り返ろうとして。
何かが顔に当たった。
いや。
誰かに抱き竦められていた。
力強い腕に。
なっ、何?!
誰っ?!
何が起こっているのか、理解出来なかった。
出来なかったが。
出来なかったから。
悲鳴を上げようとして。口を開きかけた。
けれど。
その一瞬前に。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・すまない。」
耳元で声が響く。
余りにも真剣な声が。
たった今、頭から振り切ろうとしたその持ち主が、彼女を抱きしめていたのだった。
けれど少女はその腕から抜け出そうとすることも忘れ、再び混乱する。
その言葉が何を指しているのか判らなくて。
抱きしめていることなのか?
突然、現れたことなのか?
こんな朝早くから来たことなのか?
それとも、他のことなのか?
心当たりが余りにも有りすぎて、絞り込めない。
「なに・・・・謝ってるの?」
判らないなら、直接尋ねるしかない。
アンジェリークは、上目遣いで彼に問う。
けれど、その顔にはフッと笑みが浮かび。
青年は腕の力を緩めて、彼女の手に挨拶をくちづける。
「・・・・・さぁ、なんだろうな。」
ひょっとして。
からかわれてるんだろうか。
不満気に眉を寄せる少女に、なぜか彼はさらに笑みを深めた。
それを見て、今度は小首を傾げる。
「な、なに?」
「クッ、いや・・・・・・我をそのような姿で待っていたのか?」
「まっ、待ってなんかっ・・・!!」
半分図星を指され、反射的に怒鳴ろうとしたが。
その言葉に、なにか引っかかり。
「・・・・・す・・・・がた?」
そして、ハッと気が付く。
今の自分の格好を。
起きたばかりで。
夜着の上に、薄いガウンを羽織っただけ。
・・・・着替えていない。
つまり。
かなり無防備な姿。
「キャ〜〜〜〜〜ァッ!!!!」
今度こそ思いっきり悲鳴を上げた。
その声を聞き、出させた相手は笑いを堪えるように彼女を解放した手を口に当てる。
「わ、笑い事じゃないわっ!!」
ガウンの胸元を掻き合わせ、アンジェリークは彼を睨み上げる。
「ククク・・・・ああ、そうだな。我以外の誰かにそのような姿を見られたらどうするつもりだ?」
「見られないわよっ!!」
突然、誰かが現れない限りは。
女王のあられもない姿を見られることなど有り得ない。
少女は慌てて、扉に近寄り開けて。
振り返り、一応は釘を出す。
そこまで卑劣じゃないとは思うが。
「覗いたら、もう口聞いてあげないんだから。」
「・・・・・・心に留めて置こう。」
口の端を上げ、楽しそうに青年は返事をする。
その表情を見て、少女は顔を顰める。
なんだか信用できない。
ひょっとして、本当に覗かれるんじゃないだろうか。
その時、脳裏に桃花色の影が過る。
そのことに気が付いて。
パッとその顔に花が咲く。
「見張り、ちゃんとしててね。」
女王陛下はにっこりと笑い。
テラスから私室に引っ込んだのだった。