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・・・・・誰に見張りを頼んだのだ?

レヴィアスは、眉根を寄せる。
最後の言葉は自分に向けられたものじゃない。
それは、判るのだが。

けれど、その不可解な思考はすぐに排除した。

考えても判らないことは、しかたない。
いつか判るだろう。
それが必要なことならば。
向こうから自然とやってくるはずだ。

今はそんなことよりも、考えなければならないことはたくさんある。
彼女と、そして自分の未来の為に。


手摺にもたれた彼は、背に視線を走らす。

色とりどりな風景。
柔らかな空気。
優しくそそぐ日の光。

やはり時差があるらしく、自分が城を出た時間よりも巻き戻った朝の光景。
くすぐったくなるほど、平和な世界。
まるでここに住まう者を映したような幸せな空間。

そのどれもが彼の宇宙には無いもの。
彼が手に入れられないもの。

――――――――――― どんなに欲しくても、本来、触れることさえ許されないもの。

そして、その最も重要足るものは。
この地を治め、慈しむ少女。

生きた花々に囲まれ、双眸はあの時自分を見上げた。
その蒼は、彼の城にいるどの女のものよりも澄んでいた。
強い光に惹きつけられた。

手に入れたいと思った。
初めて欲しいと思った。

求めてはいけない者だと、どこかで気付いてはいる。
だが、それでも欲しかった。
だから自分のものとする為に、『妃』にと願った。


女など誰も彼も同じ。
ただ着飾って、媚びているだけの存在。
そう嫌悪を抱いていた。

その代表が、皇太妃。
自分の保身の為に、子に『皇帝』となることを強要した母。

高く結い上げられた髪。
白く塗られた顔。
紅すぎる口元。

その姿を思い出すだけでも、吐き気がする。

彼女から産まれたにもかかわらず。
母に対する感情は、厭悪だけだった。


しかし、『女王』を名乗った少女は。
たいして着飾りもせず。
地の上に直接座して。
編んだ花を手に。
大きな瞳で、不躾なほど自分を見上げた。

明らかに違う。
自分の知っているどの女とも。

いや。

どの人間とも、違っていた。
存在が余りにも違った。

その後の反応も予想外で。
ころころと変わるその表情が楽しくて。
けれど、けして拒絶したりしないのが嬉しくて。

一秒でも長く。
一ミリでも近く。

傍に居たかった。


だが。

今は、傍に居ることは出来ない。
連れて帰るわけにはいかなかった。
共に在るわけにはいかなかった。

しようと思えば、出来る。
無理にでも、傍には置ける。

しかし、自分には余りにも敵が多すぎた。
『皇帝』となった今でも狙うものはいる。
連れ帰れば、その危険は彼が選んだ少女にも及ぶだろう。

守る自信が、無いわけではない。
だが、確信はない。
ならば、不安が付き纏うだけ。
彼女にも、自分にも。


少女がこの宇宙の『女王』でよかったと思う。

たとえ、いつもこの腕に抱けないとしても。
少なくとも、妃の存在を知り得た敵がその命を狙うことはない。
自分から奪うことなど、出来やしない。
・・・・・・出来るはずがない。

おそらく。

『異宇宙への転移魔導』が行なえる者は、片手で数えられるほど。
複数で発動させるのであれば、その限りではないだろうが。
それでも転移を行なった後で誰かの命を狙うなど、不可能。
下手な貴族どもに仕える凡愚な魔導士達では、みっともなく意識を手放すのが関の山だろう。
たとえ魔導以外の力で暗殺を行なおうしても、なんの魔導の素質を持たぬ他者を共にすることなど自殺行為に他ならない。
それほどの力を持たなければ、世界を越えることは出来ない。

彼が知る限り、魔導士の中で余裕を持ってそれが出来るのは二人。

師である大魔導士ヴァーン。
そして、その弟子であるルノー。

もし少女の命を本気で狙おうとすれば、どちらかを頼らなければ無理だろう。
けれど、それなら尚更不可能というもの。
けして現実にはならない。

大魔導士は、殺生を好まない。
そして、その人を見る目は誰も適わない。
少女の魂に刻まれた清廉さに気付かない筈がない。
誰に依頼されようとも、自分の意に適わないことはしない。
頑固すぎる面もあるが。
信頼はしてないにしろ、信用はしている。

ルノーは・・・・気にするだけ無駄だろう。
未だ、その力をうまく扱えないということもあるが。
なにより、自分を『兄』などと慕っている。
初めて聞いた時、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑ってしまった。
けれど、それもすぐに真剣な眼差しを受けて消えた。
その少年が今、自分を裏切るわけが無い。
もっとも、絶対はないが。

ともあれ。
ここにいれば、彼女が命を狙われることはない。
それは、安心だった。


だが、連れ帰れない一番の理由は多分それではない。

彼が彼女に見せたくないものが、彼の宇宙にはたくさんある。
全てが汚れているわけではないが。
ここと比べれば、どす黒い世界であることは間違いない。

そんな場所があることを、今は少女に知られたくなかった。
見れば、無用な心の痛みを感じてしまうかもしれない。

そして。

自身も、また、彼女を引き裂くのかもしれない。
一族に潜む狂気は、彼の中にもある。
それを厭っていても。
『神』であるとともに『同族殺し』でもある『アルヴィース』の血は、彼を縛って放さない。

何もかも壊してしまうかもしれない。
どんなに謝ろうとも、許されないことをしてしまうかもしれない。
大切にしようと思っていても。
その呪いがふいに出てしまう可能性は十分あった。

それが恐かった。


けれど、彼は自嘲する。

今更それを恐れても、しかたない。
疎んじてもどうにもならないこと。
もう二十数年、生きてしまったのだから。

だが、彼女を手に入れることが出来れば。
なにか変わるかもしれない。

そんな予感がする。
誰が聞いても、わがままな皇帝の強引な欲求だろうが。
どう思われてもかまわない。
彼女が傍に居てくれれば。

――――――――――― 何も惜しくはない。



「・・・・まだ、いたの?」

ふと気が付くと、扉の隙間から蒼い瞳が覗いていた。
その表情は、何故か笑いを堪えていたが。
彼は黙って体を起こして、彼女の傍に近寄る。

「・・・・・アンジェリーク。」
扉の縁に腕を掛け、少女の名を口にする。
「聞きたいのだが、」
「なに?」
零れそうになっている笑みを見下ろしながら、青年は自分の頭を、いや、そこに張付いているものを指差した。


「この奇妙な色の小獣は・・・・何だ?」