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「レヴィアス、お待ちなさい!」

少女の宇宙より戻った青年を呼び止めたのは、甲高く耳障りな声だった。
本当は、振り返りたくなかった。
立ち止まる事さえ、嫌だった。
だが、それは許されなかった。
なぜなら。

「・・・・・何か、ご用ですか・・・・・・母上。」

顔が強張っているのが自分でも判る。
けれど、それ以上に不機嫌な表情が出ているはずだ。
なにしろ相手は、この世で一番顔を合わせたくない人物なのだから。

「これから日が高くなろうとしているのに、後宮から出ていらっしゃるとは。実に珍しい。」
実の子の皮肉めいた言葉に、彼女は綺麗に整えられた眉を寄せる。
もちろん、彼は気に留めなかったが。
「・・・・・妃を決めたようですね。」
「そのようなこと、誰から聞いたのです?」
母の言葉に、今度はレヴィアスが眉を寄せる。

黙っていろと、命じたはずなのに。
何処の誰が広めているのだろう?

だが、問題はそれはない。

「誰でも良いでしょう。本当なのですか?」
「母上には関係のない事です。」

口出しは無用。
皇帝のなすことに意見するなど、たとえ皇太妃であろうとも許される事ではない。
ましてや政務に関わる事は、以ての外である。

「関係ないと言う事はないでしょう?何処の馬の骨とも知れぬ娘を皇帝の正妃になど、許される事ではありませぬ。ましてや、妾の後継になど・・・・・・認めませんよ。」
その悪意に満ちた保身の言葉に、彼は息を吐く。
胸の奥から込み上げてくる吐き気と怒りを静める為に。
「いつもいつもご自分の事ばかりですね。・・・・だが、あなたは先帝の妃。私の治世には、既に終わった方だ。」
「なっ・・・・?!」
レヴィアスの目の前で、みるみると女は顔を紅潮させる。
そして、気絶しそうになるくらい手に持った扇を折れんばかりに握り締める。
「母に向かってその言葉・・・・・・・無礼ではありませぬかっ?!」

「母、だと・・・?」

熱り立ち吐かれた台詞に、今度は怒りは止められなかった。
「クッ、何を馬鹿な事を。」
目を一度伏せ、鼻で笑い。
そして皇帝は蔑みながら、彼女を睨む。
「母親としてしたのは、産んだというだけであろう。これまで十分、おまえの思う通りに生きてきてやった。産んでくれた恩はとうの昔に返したと思うが?」
静かに、けれど切り捨てるように言い放つ。
「我の妃だ。文句は言わせぬ。それが皇太妃であってもだ。」


初めてかもしれない。
心から何かを、誰かを欲するのは。

親に愛情を求めるのは、物心付く前に諦めた。
遠い遠い昔のこと。
幼い日から、出逢いの日まで。
本当は欲しいものなど何一つなかったのかもしれない。

面白いとか。
誰かの鼻を明かしたいとか。
すべては興味本位でしかなかった。
皇帝の地位さえ。
その程度のものだった。

どうしても、あの少女が欲しいと思う理由。
そんなものは、きっと言葉では言えない。

言葉に出来ること。
それはきっと、そうは多くない。
しかも。自分は下手に権力がある。
力任せにねじ伏せてしまうことも少なくない。
だからなのか。
気持ちを素直に口にすることは、あまり得意ではない。

・・・・・そうは、思えないかもしれないが。

それでも構わなかった。
今までなんの不都合もなかったのだから。

それが彼女に出会って初めて、もどかしく感じた。
うまく気持ちを伝えられない。
それがどんなに辛いことなのか、思い知った。

だが、少女もまた隠していることがある。
何を隠しているのかは、未だ知れないが。
そのことをレヴィアスは知っている。
言葉に、音にして聞いたわけでもないのに。

ならば、時として言葉など不要なのではないか?

音なき声。
彼が聴きたい相手は、ただ一人だけ。
そして、らしくなく願う。
自分の声も、聴き止めて欲しいと。


「さっさと、自分の領界に戻るのだな。」
目の前で狂わんばかりに青くなっている女にそう言い捨て。
レヴィアスはマントを翻し、その場を去る。
怒りともどかしさを胸に秘めて。



「・・・・ふふふ、言い過ぎですよ、陛下。」
またしても突然話掛けられ、不機嫌そうに今度は立ち止まらずに口を開く。
「立ち聞きか、キーファ。」
「私だけではありませんよ。・・・・・ねぇ、カーフェイ。」
チロリと脇の角の壁を見て、彼は屍斑色の瞳を細め笑う。
「・・・・一緒にするな。」
そこに凭れていたのは、鋭い緋色の視線の持ち主。
「おまえはおまえで勝手に盗み聞きしただけだろう。・・・・・太后の後を付けていた俺とは違う。」
小声で反論し、レヴィアスの前に出る。
「後宮内にはもう噂は蔓延している。もはや出所など確認できない。」
「そうか。」
暗殺者であり諜報者でもある彼は、皇帝が欲しい情報を的確に答える。
「さぞ、女どもは悔しがっていることでしょうね。」
実に楽しそうに額に垂れた黒金糸を揺らす。
「誰が悔しがろうと、別に構わん。」
「ふふふ・・・あなたの為に集められたのに?」
「頼んだ覚えはない。」
城の主は、つれなく断言する。

望んだことはないのに。
貴族どもは娘を差し出してくる。
城内での地位の向上と保身の為に。
そして女どもは皇帝の寵愛を受ける為、華燭に耽る。
彼がそれらに厭悪を抱いているとも気付かず。

「妃など一人いればいい。」
「お子が出来なかったら、どうなさるおつもりです?」
面白そうに尋ねられ、微かに眉を顰める。
「玉座が欲しいものなど、掃いて捨てるほどいる。」
自分の血を継ぐものが『皇帝』にならなくてもいい。
強要されることが、強制されることがどんなに辛いか知っている。
なにより、奪い奪われ続いてきた御代なのだ。
直系である必要は何処にもない。
「愚者ばかりだが、な。」


「おまえ達、仕事に戻れ。」
皇帝は立ち止まり、振り返る。
「はい、陛下。下賎な痴れ者達の排除はお任せを。」
口許に冥い笑みを湛えて優雅に礼をし、皇帝直属の騎士団の長はその場から姿を消す。
それを少し呆れの視線で見送り、もう一人は主人に確認をする。
「・・・・続ければ、いいんだな。」
「あぁ。」
黒い髪を揺らし、静かに頷く。



ただ一人、いればいい。

例え、それが妃という地位ではなくともいい。

側にいてくれれば。
その蒼い瞳で見上げてくれれば。
自分を一人の人間として認めてくれれば。


――――――――――――――――― それでいい。