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「いえ・・・・こちらにはいらしゃってませんが。」
「そうか・・・・」

後宮への門。
この宇宙の主の為だけに造られたその宮の入り口の前で、その主を探しに来た宰相は予想通りの返答をされ諦めたように溜め息を吐く。
「中を探させましょうか?ひょっとしたら、ここから入ったのではないのかもしれませんし。」
その様子を気の毒に思ったのか、門番は建言する。
その申し出にカインは苦笑し。
「いや、どうせ駄目元だったからな。きっとここにはいらっしゃらない。・・・邪魔したな。」
礼を言ってそこを立ち去ろうとした時。

「あら、先生!」

久々の呼び名にぎょっとし。
その声に聴き覚えがあることに気が付いて、そちらに首を巡らす。
「セリーナ・・・・・・・・様。」
そこには青い瞳の女性。
近衛の大将軍の令嬢であり、先帝の最後の妃。
そして、彼が家庭教師をしていた頃の教え子だった。
「お久しぶりですわ、宰相閣下。」
クスッと笑って、淑女の礼をする。
「・・・・・どこかへお出かけでいらしゃったのですか?」
「ええ、ちょっと里帰りですわ。」

良く言う。
『里帰り』は嘘じゃないだろう。
だがその『里』というのは彼女の父が治めることを皇帝から許された領ではなく、皇帝城内の屋敷、もしくは帝都内の別邸宅であろう。
ちょっとそこまでの感覚であることは間違いない。

「そうですか。お帰りなさいませ。・・・・では。」
「待って。」
そう言って去ろうとする彼を、思いっきり彼女は止める。
「・・・・・・なんです?」
「お時間ありまして?」
「ありません!」
過去の経験からして嫌な予感があり過ぎて、はっきりきっぱりカインは断言する。
第一、ここへは陛下を探しに来たのだ。
教え子と遊んでいる暇はない。
「そんなに嫌な顔なさらなくても・・・・少しぐらいよろしいでしょう?どうせ探しても、陛下は見つからないと思っていらっしゃるくせに。」
不満そうな顔で心を読まれて、宰相は顔を引き攣らせる。
「閣下の負けですよ。」
門番にまで言われてしまい。
もう諦めるしかない。
・・・・・決裁の書類が溜まりまくっていると言うのに。


宮殿の中庭。
辺りに誰もいないそこでかつての師弟は旧交を温めていた。
もちろん、傍目ではだったが。

「・・・・・噂の情報収集だったら、私は喋りませんよ。」
「まぁ、他人行儀。」
侍女を下がらせた先帝妃は、くすくすと笑う口元を扇で隠して面白そうに見上げる。
「昔、王宮を賑わかせた醜聞の主役の二人ですのに。」
その言葉に宰相は今すぐ逃げ出したくなる。

未だ憧れられる彼のロマンスを彩る過去の醜聞。
それは、自分の家庭教師に横恋慕したコンラート将軍令嬢が彼とその恋人の前でヒステリーを起こした挙げ句、自殺未遂をしたとか、しないとか。
もちろん、事実無根である。
確かにリディアに初めて逢った時、彼女は大騒ぎをしたのだが。
それはヒステリーと言うよりは、冷やかしの声で。
自殺未遂と言うのは、ただ単にその時すっ転んだだけ。
怪我の一つもしていない。

まったく恐ろしいくらいに、話が大きくなる。
そのおかげで、彼は職をなくしてしまった。
宮廷には魔が住んでる。
そう実感した出来事だった。

「ま、そんなことを言っていても、仕方がないですわね。」
「何の用なんだい?すまないが、早くしてくれないか。」
時間がもったいない宰相は、時間が有り余っている先帝妃を昔の口調で急かす。
それにこんなところを誰かに見られては、また根も葉もない噂が立てられては堪らない。
それも今回は生徒ではなく、先代とは言え皇帝の妃なのだ。
職を失うだけではなく、反逆罪で牢に繋がれる可能性だってある。
「陛下へのお祝いを託けようかと思いまして。」
にっこり笑ったその顔に、カインは眉を顰める。
「まだ決まった訳じゃない。」
「あら、皇太妃様は大変ご立腹なようでしたけど?」
「まさか噂を流しているのは・・・・・」
「お疑いのところ悪いですけれど、私は無実ですわ。」
ふぅっと溜め息を吐いて視線を流す。
「けれど、皇太妃様にも困ったものですわね。ご自分のお子様のご結婚も祝福できないなんて。」
「セリーナッ!!」
教え子の言葉にカインは焦る。

どこに太后の息の掛かったものがいるかもしれない王宮内でこんな暴言を吐くなど。
何があっても文句は言えまい。
しかも彼女が帰るところは、後宮。
陛下に妃がいない以上、未だそこの法は先帝の正妃にあるのだ。
その行為は、命知らずとしか言い様がない。

「平気ですわよ。私のことなど塵にも思ってないはずですから。」
恩師の心配に少し首を竦めながら、小さく笑う。
「・・・陛下のお妃様は、どんな方ですの?」
「さあな。わたしもお会いしたことはない。ただ、花を編めるということは確かだが。」
苦々しい顔で、先日の主人の怒りの表情を思い出す。
そして結局噂の種を振りまいていることに気が付いてしまい、更に苦々しさが深まる。
「そうですの。ふふっ、宮内にはいない可愛らしい方みたいですわね。」
「そうだな・・・・その意味では、貴族の御令嬢でいらっしゃった太后様が御反対なさるのも無理はないな。」
「でも、誰であってもあの方は許しそうもありませんけどね。一体いつになったら、子離れが出来るんでしょう。」
「・・・・・・・・・・は?」
教え子の疑問にカインは頭を傾げる。

『あの方』とは一体誰を挿しているのか、理解できない。
いや、心当たりはあるが、結び付かない。
どう考えても、繋がらない。

「陛下もいつまでも3つや4つの子供ではないですのにね。」
「・・・・ちょっと待ってくれ。」
「はい?」
話の腰を折られた彼女は髪飾りを鳴らして小首を傾げる。
「まさか子離れが出来ないと言うのは・・・・・・」
「皇太妃様ですわよ?」
否定していた予想を見事に当てられて、カインは頬を引き攣らせる。
「気が付いてませんでしたの?」
師のそんな表情を見て、セリーナは驚いたのか目を見開く。
「だって、あの方はレヴィアス様をお育てしてないだろう?」
「だからこそですわよ。」
扇で彼の胸を指して彼女は断定する。
「だからこそ、いつまでも小さな子供だと思っていらっしゃるんですわ。母親の世話がいる、ね。」

地位も。
その妃も。
治世も。
その生き方さえ。

幼い我が子には何一つ決められない。
その判断は常に心もとない。

そう決め付け、それを覆そうとしない。

「お生みになってすぐに、乳母にお預けになられたでしょう?離れていた分、あの方の中では成長してないのですわ。それが『お人形』に対するのとほとんど変わらなくても。」
上流貴族の嫡子は、親の手で育てられないのは通例ではあるが。
まさかそんなことが後宮を治める彼女の胸の内にそんな想いが募っていたなんて。
「陛下の他にお子はありませんしね。仕方ないですけど。」
「だが、陛下はそうは思ってないぞ。」
「でしょうね。」
苦笑して先帝妃は肯定する。

「でもあの方が反対なさっても、いつか誰かを妃に娶らなくてはなりませんしね。」
「そうだな・・・」
はぁっと溜め息を吐いて、カインは頷く。
「でも、陛下がお決めになられた姫君が皇太妃様とは別の意味で御不満な大臣の叔父様達や皇族の方々が何か不粋なことを企んでましてよ。」
「不粋?」
「陛下の寝台に誰を送り込むだのどうだの・・・・そんなことで陛下のお気持ちが変わるのかしら?」
「寝台っ?!」
噂好きの教え子の不穏な言葉に、皇帝の忠実な部下は赤くなりながら目を向く。
そんな元家庭教師にくすくす笑って、セリーナは付け加える。


「陛下に『おめでとう』とお伝え下さいませね。」