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「おまえが送り込まれるのは、寝台じゃなかったのか?」
帰って来て早々宰相に捕まり、溜め込んでいた書類をこなしていた皇帝は騒がしく開かれた扉に向かって皮肉を口にする。
正確には侍従達に慌てて入室を止められているドレスの貴女に対して。
「お離しなさいっ!私は陛下に用があるのですっ!」
「し、しかし・・・・!」
本来なら腕をつかんででも外に連れ出すのが近衛の職務ではあるが。
相手の身分が高すぎ恐れ多くて触れることさえ出来ない。
その様子に小さく笑い、レヴィアスは口を開く。
「好きにさせろ。この者と話をつけるなら、ここのほうがいい。」
「は・・・はっ!それでは失礼致します。」
主人の言葉に少々戸惑いながらも、彼らは一礼をし退出する。
「あいかわらずですこと。」
尊大なこの宇宙の主の態度に、客人は黄金色の瞳を細める。
「しかもその様子じゃ、私が来ることが判っていらっしゃったみたいですわね。」
「奴等が選ぶなら、おまえあたりが妥当だと思うが?」
嫌そうに自分を見る彼女を、彼は澱みなく睨み返す。
「『皇帝妃』に相応しい充分な身分があり、傀儡としやすい立場。これ以上ない好条件だと思うが?」
的確すぎるほど的確な皇帝の理由付けに、その従妹姫は顔を強張らせた。
先帝の弟である叔父。
帝位に執着する彼が大臣どもの企みに乗り、娘を『妃』にと望むのは考えられない話ではない。
帝妃となった娘に子が産まれれば、すぐに『皇帝』を隠し幼孫の代わりに執権を取る気なのだろう。
負けず劣らず権力に執着する息子と共に。
「私は嫌ですわ。」
しかし、尊い立場に据えられる姫はきっぱりと拒みを口にする。
「ほう・・・・・奇遇だな。」
「あら、一緒になさらないで頂けないかしら?」
「何?」
ツンと冷たく返事され、レヴィアスは執務机に肘を突いたまま片眉を上げる。
「陛下は御自分が相手を好んでいらっしゃるのなら、相手の気持ちなどお考えにならないのでしょう?私は、相手の殿方が私をと望んで下さらなければ嫌ですわ。たとえそれが政略であっても。」
誇り高く宣誓する彼女に、彼はクッと笑う。
「だが、叔父上はそれを許さないと思うが?」
「ええ。でも、」
少女はそっと自分の顔に指を這わす。
「陛下もこの色を持つ私は『妃』に望まれないのでしょう?」
金の瞳と黒い髪。
明らかに皇族を象徴するその色は、その頂点にある彼が嫌うもの。
それが欠けていた為に数限りない謀略に陥れられたのだから。
尤もそれは要因の一つでしかないが。
「でしたら、私が出来ることは一つですわ。」
その言葉と共に皇帝の首に当てられたのは、白い刃。
貴人が持つ守り刀。
「・・・・・うかつですわね、陛下。」
「なんのつもりだ?」
「こんな小さな刃でも十分役に立ちますわ。」
薄く笑う血族の姫を、口に端を上げて見上げる。
「死んで下さいませ。そうなれば少なくとも、私があなたに嫁ぐことはなくなりますわ。」
刃が食い込み、黒髪が掛かる首に血の細い筋が滲む。
「うまくすれば、お兄様があなたに成り代わるかもしれませんわね。」
「その資質があれにあると思うのか?」
「あろうがなかろうが、私には関係ありませんもの。」
「そうだろうな。」
安穏と過ごす城内の女にとって、媚びる相手が変わるだけのこと。
ましてや目の前の暗殺者は皇帝の眷族。
媚びて生きる必要さえない。
「・・・・・だが。」
「きゃっ・・・・?!」
レヴィアスは懐刀を握る手を捻り上げ、それを絨毯の上に落す。
「そんなに震えていては、我を殺すことなど出来ぬぞ。」
「っ!」
「これでも殺されかけることには誰にも負けぬぐらいに慣れていてな、その程度のことでは殺せぬ。」
「・・・・・しぶといんですのね。」
腕を固められてなお減らず口を叩く彼女に、彼は鼻を鳴らして放り出す。
「当たり前だ。下らぬ輩にくれてやるモノなど一つもない。」
「ですわね。私もいりませんわ。下手したら、牢に繋がれるでしょうし。」
捻られた手首をさすりながら立ち上がる少女を皇帝は一瞬怪訝そうに見て、そして鼻で笑う。
「やはり芝居か。」
「でも、あなたの『妃』になりたくないのは今も昔も本当ですわ。」
ようやく真っ直ぐな視線で自分を見る彼女に、小さく溜め息を吐く。
まだ幼かった頃。
今回と同じように一緒にさせられそうになったことがあった。
それぞれの正妃から生まれた従兄妹同士であると言う、ただそれだけの理由で。
『婚約者』と『妃』という立場の差は、さすがにあったが。
そしてあの時も今回と同じように、少女は狂言を演じた。
さすがに刃を向けるような真似はしなかったが。
本人以外の周りの誰もが望む『帝妃』の座を拒む道を選んだ。
「大臣の叔父様方も単純なのですわ。いくら年月が経とうとも、私の心は変わりませんのに。」
何かの拍子に切ったのか、掌の傷を見て少女は寂しそうに呟く。
「でも・・・・これでお父様もお兄さまも諦めて下さいますわね。これ以上キズモノになっては、皇女としての私に価値がなくなりますもの。」
その表情に、皇帝は金と碧の瞳を細める。
「おまえ・・・・ひょっとして誰か好きな男でもいるのか?」
「・・・・・陛下には関係ありませんわ。」
はっとして顔を反らす従妹に、彼は読みが当たったことを知る。
「誰だ?」
「少なくとも陛下ではありませんわ、ご安心なさいませ。」
「おまえなら、相手が誰であろうと拒ばないだろう?」
「・・・・・やっぱり陛下もお父様達と何も変わりませんわ。」
涙が浮かんだ目をキッと吊り上げ、そして呆れ交じりに少女は口を開く。
「なんだと?」
「力で無理にねじ伏せようとなさる。どこに違いがありまして?」
「・・・・・・」
「そうですわね。たとえ身分が低くても、私でも情夫ぐらいにはできるでしょうね。けれど、」
胸元でぎゅっと手を握り締め、従兄を強い眼差しで射抜く。
「私は私だけを選んで頂けない方などまっぴら。たとえそれが私の想い人であっても同じ事ですわ。それに・・・私が選ばれるとしたら、それは殺される時ですもの。」
強固にもそう断言する彼女に彼は眉を顰め、そしてふと従妹の想い人に思い当たる。
「諦めなければいけない想いもあるのですわ。」
その皇帝の顔に小さく笑って、贄の姫は寂しげに彼の幸せを祈る。
「――――――――― 陛下は想う姫君に選んで頂けると良いですわね。」