戻る




宮殿の裏庭に面したテラス。
そこを通りかかった女王は、無意識のうちに何かを捜す様に花畑へ目をやる。
けれど昨日の雨で濡れた花が何事もなく風に揺れているだけで。
思わず小さな唇から溜め息が零れる。
しかしその自分の行動にハッと気が付き、少女は慌てて頭を軽く振る。

レイチェルがあんなこと言うから。
意識しちゃうだけ。
アルフォンシアが思わせぶりなことをするから。
気になってるだけ。

その理由を親友と聖獣のせいにし、彼女はわずかに染まった頬には気づかぬ振りをして止めた歩みを進める。
だがその瞬間憶えのある気配を感じ、アンジェリークは再び蒼い瞳を庭へと向ける。
そこには想像に違わず、黒い人影。
別に待っていたわけじゃないと少女が強固に思う待ち人の姿がそこにあった。


「出迎えか、アンジェリーク?」
「違いますっ!」
自分の姿を見つけ口の端を上げてこちらへと歩いてくる彼に柳眉を上げて、彼女は廊下と庭の間の柵から身を乗り出さんばかりに声を荒げる。
「だいたい私がどこにいるのか判るんでしょう?!したくなくても、あなたが現れるところにいるのは仕方ないじゃないっ!」
「ああ、いつもはな。だが、今日はおまえの元ではなくわざわざここを選んだんだが?」
「え・・・・・?」
目を細め笑う青年に少女はわずかに首を傾げる。
「今日は連れがいるんでな。もしおまえが部屋にいたら、マズイだろう?」
「連れ?」
「ああ、どうしてもおまえに逢いたいと言うのでな・・・・ルノー。」
「あ、は、はい、兄さま。」
レヴィアスの言葉に小首を傾げたアンジェリークは、彼の陰から姿を現した少年に気が付く。
「ね、姉さま・・・は、はじめまして。」
おどおどと、けれど嬉しそうに挨拶をする姿に、彼女は戸惑う。
「こんにちは。・・・・あの、『姉さま』って・・・・・?」
「あの、に、兄さまのお妃さまだ、だから・・・・・」
きょとと返事する少年の答えに、少女はキッと諸悪の根源を睨む。
もっとも涼しい顔で交わされてしまったが。
「そ、そう呼んじゃ、い、いけないですか?」
心持ちがっかりとした表情で改めて確認され、アンジェリークはなんだかすごい悪いことをしているような気分になる。
「ダメ・・・ってことはないんだけど・・・・」

兄弟がいないアンジェリークには、姉と呼んでくれるような存在はどの世界にもいない。
だから慕ってそう呼んでくれるのは嬉しいのだが。
そういう意味での『姉さま』は、かなり引っ掛かりを感じる。

「『兄さま』ってことは・・・・あなたの弟なの?」
眉を寄せわずかに頬を膨らませた少女に訊ねられ、レヴィアスは柵に凭れ小さく頷く。
「弟は弟でも、本当のところは『弟弟子』だがな。」
「『弟弟子』って・・・・・じゃあ、あなたも魔法使いなの?」
その言葉に少し目を丸くした彼女は、今度はルノーに訊ねる。
「ま、魔法・・・・・?」
だが案の定どう返事をしていいのか判らず、まごつく『弟』に彼は苦笑する。
「ルノー、とりあえず頷いておけ。」
「は、はい・・・・・・」
素直にこくんと頷く少年に、またしても少女は眉を寄せる。
「ちょっと・・・今、なんか馬鹿にしなかった?」
「しておらぬが?」
「そうかしら・・・・・・?」
拗ねたように手摺りに肘をつき頭を載せる彼女の姿に、彼は頬を緩め笑う。

「あ、あの、姉さま・・・・」

さっきのこともあり、恐る恐る呼びかける様子に気が付き、アンジェリークは気を取り直して脅えさせない様に優しく訊ね返す。
「何?」
「あ、あの、そこら辺り、見て来ても、い、いいですか?」
「うん、別にかまわないわよ。」
「あ、ありがとうっ!」
この地の主の了承をもらうや否や、小さな彼は駆けて行ってしまう。
そのあまりの速さに、彼女は思わず呆気に取られる。
「クッ・・・・・」
だが聴こえた笑いにムッとし、その発生源である青年を横目で軽く睨みつける。
「何よ?」
「いや・・・あれはあれなりに気を使ったのだと思ってな。」
二色の瞳を細め意味ありげに頬に手を伸ばしてくる彼にぎょっとして、少女は凭れかかっていた体を仰け反らす。
そのいつもながらの反応に笑い、手摺りに残った手を取りレヴィアスは指先に口づける。
「気なんて使ってくれなくてもかまいませんっ!」
「そのようなこと、我に言っても仕方があるまい。」
取られた手を慌てて奪い返して顔を赤くする女王に、皇帝は喉を鳴らし笑う。

「ま、今のあれがお前に危害を与えるなどということはないから安心するがいい。一人でここへ来ることも許さぬしな。それに見てのとおり、我を『兄』と慕っている。」
「あなたをあんな純粋な子が慕うなんて、奇妙なこともあるものね。」
「それについては同感だな。」
いつのまにやら肩に乗っている小獣を撫でながら、彼は彼女の言葉を肯定する。
そんな珍しく素直に認める青年に、アンジェリークは言葉が詰まり顔を逸らす。
「どうした?」
「・・・・・・なんでもない。」


時折見せる寂しげな表情がその横顔に浮かんでいたから。
どこか自嘲的な笑みとともに。
そのことに思わず胸を衝かれてしまった。
寂しさが自分にも伝染するような気がした。

哀しかった。
態度が尊大すぎるこの人に、そんな顔をさせることが。
いつだって自信に満ちて、自分に無遠慮に触れてくるのに。
なのに、そんな人に愁容な表情をさせる何かがある。
そのことにわずかに憤りを感じ、何も出来ない自分が哀しかった。

けれど同時に一瞬。
どうしようもなく、その横顔に目を奪われた。
いや・・・・・心さえ奪われていた?


頭に浮かんだとんでもない考えをそんなことないと必死に否定し、少女はぎゅっと手を握り締め俯く。
そんな急に落ち込んだ様子に、レヴィアスは眉を潜める。
「アンジェリーク?」
「なんでもないから・・・・本当に。」
薄く笑い顔を上げた彼女に、ますます彼は困惑する。


何かを隠しごまかすようにするのは、いつものことではあるが。
今日のそれは何かを我慢しているようにも見えて。
それは胸を締め付けるように、彼の自尊心を崩そうとする。

この少女はこれまで自分が生きてきた意味を根底から覆すことすらするのかもしれない。
そう思うと、わずかに恐れを感じ、しかし同時に微かな喜びを感じる。

澱み切ったこの運命に変化をもたらすかもしれないと。
もちろん、他者に未来を押し付けられることなど我慢ならない。
己に命ずることが出来るのは己だけ。
そう信じているし、これからも変わらず信じる。

だがこの少女になら。
それもいいかもしれない。

もっとも、それは自分の欲しいものが手に入るのなら、だが。


「ほら、あの子、帰ってきたわよ。」
微笑んだ少女に指差され、沈んだ表情の理由を問い質すことも出来ず、仕方なく青年は庭のほうへと振り向く。
「に、兄さま、め、珍しい薬草、いっぱい生えてました。」
「そうか・・・・・」
背後を振り返り楽しそうに報告され、頭では横にいる彼女のことを考えながらも頷く。
「あの、少し、も、持って帰っても、いいですか?」
「あ、うん・・・・・いいわよ。」
「あ、ありがとう。」
「ん?・・・・ああ、待て、ルノー。」
持ち主に優しい笑顔で了解を得て取りに戻ろうとする少年を、彼は気まぐれに呼び止める。
「は、はい、兄さま?」
「お前は動物も好きだろう?」
そして視界の端にいる桃花色をレヴィアスは腕に抱いて見せてやる。
「は、はい・・・・・?」
しかし向き直った少年は意味をつかめないような顔で不思議そうに首を傾げる。
まるで見えていないようなその表情に不審を感じ、少女に目をやると蒼い瞳を見開いてその光景を見ていた。

「アンジェリーク・・・・・・?」
「ごっ、ごめんなさい。わたし、用を思い出したから・・・・じゃあね。」

泣き出しそうな笑顔でそう告げるアンジェリークの肩に捕まえていた腕から擦り抜けた小獣が収まる。


そしてまるで逃げるかのように走り去っていく後ろ姿を、レヴィアスは戸惑い見つめることしか出来なかったのだった。