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一方、黒髪の皇帝が治める宇宙。
その居城の主の執務室。

ここ一ヵ月昼夜問わず、その部屋の灯りは途切れない。
そして主がどこぞかへと外出した様子は、ない。

それどころか、自らの私室へ戻った様子さえもない。



コンコン・・・

不意に響いた控えめなノック音に、執務机の前に置かれた椅子に座っていた青年は自分が知らずうちにうたた寝をしていたことに気付く。
軽く頭を振り警戒心に僅かに顔を強張らせた彼は、金と緑の瞳で扉を睨む。
しかしそこから感じられた気配はよく知る者のもので、ほっとひとつ息を吐き緊張を解く。
そして乱れた黒髪を掻き揚げながら、背もたれに背中を預け入室を許す。

「・・・・入れ。」

その声に恐る恐る開いたドアの隙間から薄い水色の髪の少年が覗く。
「あ、あの・・・兄さま・・・」
「何の用だ、ルノー。・・・ショナも一緒か。」
幼い魔導士と共に彼の親友である金の髪の神学生も姿を見せ、レヴィアスは肘掛けに頬杖をついたまま用向きを尋ねる。
「カインが陛下に食事を持っていくようにと・・・・レヴィアス様が侍女達には執務室に近づかせもしないからって、僕達に。」
無表情でそう答え年下の友人が手に持つ盆を見た少年に、青年は苛立ち気味に眉を顰める。
「・・・・いらぬと伝えたはずだが?」
「で、でも・・・兄さま、食べないと・・・・」
「いらぬ。」
わずかに怯えを見せながらも食事を勧められ、彼は重ねて拒絶する。
「せめて、スープぐらい・・・に、兄さま、寝てもいないん、だよね・・・・?」
しょんぼりと肩を落とし心配そうに言う少年を薄目で一瞥し、レヴィアスは嫌悪を露にして自嘲する。

「あのようなところで、休めると思うか?」


皇帝の寝室。

そこはあの日以来、吐き気がするほどに鼻につく甘ったるい匂いで充満していた。

そう。
貴族達が差し出した娘のせいで。

贅を尽くした衣装を身に付け。
どこで覚えたのか、媚びるようにしなを作り。
虎視眈々と、寝台の上で待ち構えている。
皇帝の寵愛と妃という地位を得るために。

あれと比べれば、仕事だと割り切っている商売女の方が多分まだいいだろう、下心がない分。


素直に差し出された女を抱いてしまえばいい。
それが皇帝の『勤め』だとするのなら。
どんなに嫌悪感を抱こうとも、抱こうと思えば抱けぬことはないだろう。
自分とて男、方法さえ手段さえ選ばなければ、女など抱ける。

そんなふうに、心のどこかでは思う。

だがそれ以上に心を占めるのは、手段を選ばなかった末に泣かせてしまった少女。
好きだからこそ一緒にいられないと、自分を突き放した異界の女王。
柔らかなぬくもりと心地よい甘い匂いを持つ、自分が唯一手に入れたいと思った女。

傍にいて笑っていて欲しいのは、彼女。

たとえ妃ではなくとも、傍らに置いておきたかった。
手の届く範囲にいて欲しかった。

触れることすら、もう二度と叶わないのかもしれないが。


「兄さま・・・姉さまのところには、もう、行かないんですか・・・・」
「・・・・ルノー。」
心に思い描いていたのを少年に言い当てられたような気がして、レヴィアスは不機嫌さを増して一瞥する。
「だ、だって・・・兄さま、姉さまといる時が、い、一番楽しそうだったから・・・・・」
「あれは、もう終わったことだ。・・・・我はアンジェリークを妃には出来ぬからな。」
「で、でも・・・・」
唯一二人でいるところを見ている彼にあの頃の幸せを指摘され、レヴィアスはそれを振り切るように瞳を伏せ諦めを口にする。

「でも兄さまは、姉さまの、ま、魔法使いでしょう?」

「何・・・・?」
しかし確認するように訊ねられた言葉に、青年は僅かばかりに動揺し目を見開く。
「ね、姉さまがどうして兄さまのお妃様になれないのか、ぼ、僕には判らないけど・・・でも姉さまが、に、兄さまのお妃様じゃなくても、兄さまは姉さまの魔法使い、だ、だよね・・・・?」
「我が・・・アンジェリークの魔法使い・・・・?」
そんな泣きながら訴える『弟』の言葉を、彼は半ば呆然と繰り返す。
「この前陛下と出かけた日の夜、ルノーが話してくれたんです。」
そんな怪訝そうな主人とぽろぽろと涙を流す友人を見かねたのか、菫色の瞳を持つ少年は淡々とした口調で呟くように説明する。
「お妃様は『天使』のようで、レヴィアス様を魔法使いだと思っていると。それならレヴィアス様は天使に愛された魔法使いだろうと。」
「天使・・・・」
まさしくその名を持つ少女を思いながら、レヴィアスは少年達の言葉にとある可能性を見出す。

少女は自分の妃にはなれない。
それは彼女自身が選び、自分も認めた未来。

だが、その逆だったら・・・・・・?

「レヴィアス様・・・・?」
その考えにいてもたってもいられなくなり、黒髪の皇帝は立ち上がる。
「出かける。」
「え・・・ど、どこ・・・・・」
突然の主人の行動に戸惑い行き先を訪ねようとする少年達に、彼は口に端を上げて見せる。
「あ・・・」
そのことで何事かを悟ったのか、彼らはそれ以上追求しようとせず黙る。
それを認め部屋の中央に立った青年は、瞳を閉じて口の中で詠唱を始める。
「・・・・」
しかし不意に自分の手元にあるものに気が付き、途中でそれを中断する。

「・・・・ルノー。」
「は、はい。」
そして年少の彼の名を呼ぶと、レヴィアスはそれを取り放り投げる。
「え・・・あ・・・こ、これ・・・・」
咄嗟に手を出しそれを受け取った少年とその親友が驚きの表情で手の中と自分を交互に見る仕草に笑い、レヴィアスは勅命を出す。
「出かけるには、邪魔なのでな・・・持っていろ。けして無くすな、それはまだ我のものだ。」
「は、はい・・・・っ!」
目に涙を浮かべたままぱぁっと表情を明るくした幼魔導士に背を向け、宇宙最高の力を持つ魔導士は呪文を完成させる。



そして今度こそ漆黒のマントを靡かせ、異界へと旅立ったのだった。