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『逢いたかった。』


彼の囁くように呟かれたその言葉に、アンジェリークは知らず口が動きそうになる。

「わたしも」と。

だがそれを寸でのところで止め、少女は青年から顔を反らして俯く。
「何しに来たの?もう・・・来ないでって言ったでしょう?」
そのあの時と同じセリフに、レヴィアスは彼女の心の内を察しながらも僅かに眼光を鋭くする。
「そのような戯言、我が従うと思ったか?」
そしてあくまで自分を拒絶しようとする少女に青年は冷たく答え、茶色の髪で隠れる横顔を二色の瞳で見つめる。
そんな彼の変わらない尊大な態度に眉をぎゅっと寄せ、アンジェリークは零れそうになる涙を堪える。
「わたしの気持ちなんて、関係ないのね・・・」
「ならばおまえは、我の気持ちを考えたか?」
しかしお互い様だと言われ見開いた蒼い瞳から、水滴は雫となって落ちシーツにしみを作る。

「だって・・・だって、来たって意味がないじゃない。」

「あなたがどんなに望んだって、わたしはあなたの『妃』になんてならないのに・・・・あなたとは一緒に行けない。一緒にいられない。」
彼の望むまま自分の気持ちのままに生きられない彼女は、彼の言葉にぎゅっと真っ白な布を指が白くなるほど強く握り締める。
そして僅かに唇を噛み、心とは真逆の現実に胸を痛めながらそれを口にする。
「なのに、どうして・・・・」
いくつもの涙を零し今度は己の気持ちを押し込めようとする姿に、レヴィアスはその痛々しさに眉を顰める。
だが不意にふっと瞳の光を柔らかなものに変え、強く握られた少女の手をそっと取る。
「そのようなことは、もう関係ない。」
そして両手でそれを包み込み、その行動と言葉に驚き見上げる彼女に頬を緩める。
「我は『妃』が欲しいのではない、おまえが欲しいのだからな。」
「・・・・え?」
潤んだ蒼い瞳を真っ直ぐに見据えたまま、彼はベッドの前に片膝を突き反対に見上げる。

「言ったであろう、『逢いたかった』と。」

怯えさせないようになるべく静かに声を張り、青年は愛しい少女に話し掛ける。
「逢えなくとも、想い叶わぬと知っても、それでも我はおまえのことを想っていた。」
「でもっ・・・・」
「それでも、どうしても、我はおまえがいい。おまえでなければ、駄目だ。」
きっぱりと言い切る彼の言葉に、アンジェリークは嬉しさなのか哀しさなのか自分でも判らない涙を再び零す。
けれどゆっくりと息を吐きながら首を振り、尚もその一途な想いを受け入れることを拒む。
「でも・・・・どうにもならないじゃない。わたしは、あなたの・・・」
「おまえが我のものにならぬなら、我がおまえのものになればいいだけの話。」
しかしそれを遮るかのように、青年は今更ながらに気付いたことを口にする。
「え?」
そのなんでもないことのように言う口調に、少女は一瞬思考が止まる。

「我がおまえのものとなればいい。」


けれど繰り返し言われ、彼女は泣いたが為に紅潮していた顔から血が引くのを自覚する。
そしてふと落とした目線の先にある大きな手に、あるべきものがないことに気付く。

異界の皇帝たる証。

あの彼の右目と同じ色の石が嵌められた指輪がそこにない。
その意味に少女は動揺し、薄く笑みを浮かべる青年を揺れる瞳で見つめる。

「簡単なことであろう?」

自分を見つめる金と碧の瞳は真剣な眼差しで、本気であることは明白だった。


「ダ、ダメ・・・ッ!」

「あなたは皇帝なのに・・・・そんなこと、しちゃいけないわっ!わたしとなんて、一緒にいちゃ・・・っ!」
強く首を振り、少女は青年を止めようと必死に言葉を重ねる。
「『いけない』・・・・か。無理だの出来ぬだの言わぬところを見ると、おまえと共に生きる方法はあるのだな?」
「・・・・?!」
しかしその彼女の言葉尻を捕らえ、彼は小さく喉を鳴らしながら訊ねる。
「よくよく考えてみれば、おまえの友だという娘もおまえと同じ時を過ごしているように見えたな。それに他にも人はいるようだ。」
強張る少女の顔を覗き込み、レヴィアスはこの宇宙で感じたことをその主に伝える。
「我は間違ったことを言ってるか?」
「・・・・・・・」
そしてその最後にもう一度訊ね、押し黙る彼女の答えを辛抱強く待つ。


「確かに・・・・」

僅かに切なげな表情を浮かべる青年に自分がそんな表情をさせてるのだと、少女は心がひどく痛くなる。
けれどいつだって不遜な彼の心が態度とはうらはらに優しく伝わってくるのを感じ、同時に安らぐ自分に気付く。
そんな彼への自分の心を改めて自覚しながら、アンジェリークは迷いつつも促されるように口を開く。
「確かに、わたしはあなたをわたしと同じ時の流れに乗せることは出来るわ。」
そして青年の言葉を認め、青年が望むことは可能だと告げる。
「そしてこの宇宙の意思である聖獣・・・アルフォンシアは、あなたを、いえ、あなたの力を欲しがってる。」
「あの獣が・・・・宇宙の意思?」
「うん・・・」
更には自分の半身も自分とは別の意味で青年を手に入れたがってると伝え、そのことで僅かに眉間を寄せた人に頷く。
「でも・・・わたしがあなたのこれまでの全てを奪ってもいいの?」
けれど少女はまた小さく首を振り、蒼い瞳で真っ直ぐ訊ね返す。
「あなたの宇宙から、あなたを大切に思う人たちから、あなたを奪ってもいいの?」
しかし訊ねながら声と体が細かく震えてることを自覚し、何事かを恐れてる自分に気付く。
「わたしの運命に、あなたを巻き込んでしまってもいいの・・・?わたしにそんな権利があるの・・・・?」
そんな目の前の想い人の心の揺れに気付き、レヴィアスは彼女を見つめる目を僅かに細める。
そして包み込むように握っていた手を更にしっかりと捕らえ、その指先にそっとくちづける。

「我の立場など気にするな。我の心を、おまえの願いを優先しろ。」
その程度のことで頬を染める幼い少女に、青年は言い聞かすように口を開く。
「帝位など、おまえが手に入るなら惜しくはない。」
彼女が気に病むことを否定し、彼は自分が欲しいものをはっきりと伝える。
「周りにいる輩の大半は我が『皇帝』であるから、大切に思ってる者ばかりだ。」
そして自分を飾り立てる『地位』は自分を偽らせて見せると、邪魔だと、すっぱり切り捨てる。
「我に必要なのはおまえだ。」
欲しいのはただ一人だけだと重ねて口にし、彼は不安げな表情を浮かべる彼女に訊ねる。
「あの時拒んだのは、我を想ってのことか?」
「・・・・うん。」
僅かに逡巡し、けれどこくんと小さく頷いた少女に、青年は喜びを露にして頬を緩める。
その笑顔に胸が締め付けられながら、アンジェリークは再び頬に伸ばされた手に自分のそれを重ねる。

「我を想うならば、我を他の何者にも渡すな。・・・・躊躇わずに奪え。」

『王』にふさわしくない身勝手な欲望ともいえる願いは二人とも同じだと言う彼を、彼女は滲む視界の向こうに見る。
「本当に・・・・いいの?」
「我の心は、とうの昔に決まっている。」
そしてもう一度訊ね変わらずに返る答えに、少女は蒼い瞳をそっと閉じる。
再びそれが開かれた時、そこには強い意思が浮かび青年を映す。
「もうひとつだけ、訊いて・・・いい?」
そのじっと自分を見つめる顔を見ながら、アンジェリークは少しはにかむ。
そして小首を傾げ、澄んだ声で最後の問い掛けをする。

「わたしのこと・・・・好き?」


ずっと怖くて訊けなかった。

ただ異界の女が珍しいから。
そして皇帝である自分に逆らうから。
だからこそ手に入れたいと思われてるのかもしれないと。

そんな貴族の道楽か単なるコレクションのように思われていたらと、ずっと不安だった。

でも今なら訊ける。

地位も名誉も捨て、彼自身の全てをくれると言ってくれたから。


そんな少女の心に気付き、青年は眩しそうに目を細め美麗なその顔に笑みを浮かべる。
そして白く小さな手の甲にそっと忠誠と愛情をくちづけ、静かに答えを待つ顔を見上げる。



「ああ。おまえを愛してる・・・・アンジェリーク。」